「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」、何が違う? 今さら聞けない、仏教宗派ごとの“推し”が誰なのか問題
なぜ仏教には“お唱え”が色々あるの?宗派の「違い」がスッキリわかる話

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」
仏教には、様々な「お唱え」の言葉があります。お葬式や法事の席、お寺巡りをしている時、その違いに「?」と思ったことはありませんか?
なぜ、同じ仏教なのに、こんなに違う言葉を唱えているのでしょうか。
「うちは浄土真宗だから」、「あちらは日蓮宗だから」と、宗派によって違うことは何となく知っていても、その根本的な理由を説明できる人は、意外と少ないかもしれません。
実は、その違いの理由は、驚くほどシンプルで、当たり前のことでした。
それはまるで、田中さんを「田中さん」と呼び、鈴木さんを「鈴木さん」と呼ぶのと同じくらい、自然なことだったのです。
仏教の宗派ごとの「推し」が誰なのかが分かれば、もう迷わない!
さとるくんと和尚さんの対話で、仏教の基本をスッキリ理解しましょう。
「和尚さんを“お父さん”って呼ばないだろ?」お念仏の謎が解ける、和尚さんの神たとえ

「和尚さん、よくわからないことがあるんだ」
本堂のお参りを終えたさとるくんが、和尚さんに尋ねました。
「『南無阿弥陀仏』とか『南無妙法蓮華経』とか、色々あるけど、どうやって使い分けているの?」
「ほう、面白いところに気がついたのう」和尚さんは楽しそうに笑います。
「では、分かりやすいたとえ話をしてみよう。さとるくんが、わしに声を掛ける時、何と呼ぶかな?」
「そりゃ、『和尚さん!』だよ」
「そうじゃな。わしに向かって、いきなり『お父さん!』と呼びかけたりはせんじゃろう」

「当たり前だよ!だって和尚さんは、和尚さんだもん」
和尚さんは深く頷きました。
「では、もし目の前に、真言宗を開いた弘法大師空海様の像があったとする。その前で手を合わせて、何と呼びかける?」

「えっ…『南無阿弥陀仏』…じゃないのかな。『南無妙法蓮華経』…でもない気がするなぁ」
「察しがいいのう。その通り、どちらでもない。正解は『南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)』とお唱えするんじゃ」
「へぇー!」
「では、仏教の開祖であるお釈迦様の像の前では?」
「うーん…南無…お釈迦様?」
「おしい!『南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)』じゃな」
さとるくんは、ハッとした顔で言いました。
「わかった!要するに、目の前にいる仏様の“お名前”を呼んでいるってこと!?」
「まさしく、その通りじゃ!」
和尚さんは満足そうに頷きました。
「難しく考えすぎる必要はない。ただ、そこにはもう一つだけ、とても深い意味が隠されておるんじゃ」
「どういう意味?」
「『南無』という言葉じゃな。これは、古代インドの言葉で『私は、あなたに全てをお任せします。心から信じ、拠り所にします』という意味なんじゃ。」
「だから『南無阿弥陀仏』とは、『阿弥陀仏様、私はあなたを信じ、全てを委ねます』という、自分の全てを投げ出すような、深い信頼の告白なんじゃよ」

「そっか…ただの名前じゃなくて、大好きだよって伝えてるみたいな感じだね!」
さとるくんの言葉に、和尚さんは「そうじゃな、そういうことじゃ」と、優しく微笑むのでした。
「南無」とは“I LOVE YOU”!? 仏教宗派と、その“究極の推し”への信仰告白

和尚さんの神たとえで、お唱えの違いがスッキリしましたね。
そう、様々な「お唱え」の違いとは、各宗派が、どの仏様やどの教えを「究極の推し(信仰の対象=ご本尊)」としているかの違いなのです。
そして「南無」とは、その「推し」に対する、究極の信頼と尊敬を込めた「信仰告白」と言えるでしょう。
各宗派の「推し」と「信仰告白」を見てみよう!
浄土宗・浄土真宗など
推し:阿弥陀如来(あみだにょらい)
信仰告白:南無阿弥陀仏(阿弥陀如来様、あなたに全ておまかせします!)
私たちのような凡夫を、その慈悲の力で極楽浄土へ救い導いてくださる仏様です。
日蓮宗など
推し:法華経(ほけきょう)の教え
信仰告白:南無妙法蓮華経(素晴らしい法華経の教えに、全ておまかせします!)
仏様そのものではなく、お釈迦様の最高の教えである「法華経」こそが、私たちを救うと信じます。

真言宗など
推し:弘法大師 空海(こうぼうだいし くうかい)
信仰告白:南無大師遍照金剛(偉大なる師、弘法大師様に全ておまかせします!)
宗派の開祖である弘法大師が、今も私たちを導いてくださる存在として深く信仰されています。
禅宗(曹洞宗・臨済宗)など
推し:お釈迦様(釈迦牟尼仏 しゃかむにぶつ)
信仰告白:南無釈迦牟尼仏(仏教の開祖、お釈迦様に全ておまかせします!)
歴史上、ただ一人、自らの力で悟りを開かれたお釈迦様を、修行の根本的な師として尊びます。
なぜ「念仏だけ」を選んだのか【法然上人の“選択”】

ここで少し、あまり知られていないお話を。浄土宗の開祖である法然上人は、なぜ数ある修行の中から「南無阿弥陀仏」という念仏だけを選び取ったのでしょうか。
それは、彼が生きた平安末期、多くの民衆は字も読めず、厳しい修行など到底できない状況にありました。
法然は、そんな人々が、老若男女、善悪を問わず、誰もが平等に救われる道を探し求めました。その結果、ただ口に称えるだけで阿弥陀様の救いにあずかれる「お念仏」こそが、万人にとっての究極の救いの道であると確信したのです。
この「選択(せんちゃく※)」の思想が、日本の仏教をエリートのものから、民衆のものへと大きく開いていくきっかけとなりました。(※浄土宗ではこう読みます)
お唱えの言葉が違うのは、どの仏様、どの教えを「私の人生の、究極の拠り所」とするかの違いです。それは、どの山の頂を目指すかによって、登山口やルートが変わるのと同じ。

大切なのは、自分が信じる対象の名を、心からの信頼(南無)を込めて、誠実に呼び続けることなのかもしれませんね。
こちらもお読みくださいね⏬️
