「過去の実績」は墓石に刻むんじゃ SNSプロフィール欄の“自慢大会”を終わらせる仏教の智慧
その「すごい経歴」、誰のために書いていますか?

XやInstagram、FacebookなどSNSのプロフィール欄にずらりと並んだ、きらびやかな肩書きと輝かしい実績。
「〇〇社CEO」、「ベストセラー作家」、「年商〇〇億」
私たちは、それを見て「すごい!」と感嘆する一方で、心のどこかで、ほんの少しの違和感や、うんざりした気持ちを覚えてはいないでしょうか。
まるで、過去の実績を並べた“カルタ”を、これでもかと見せつけられているような感覚。そのアピール合戦は、一体どこまで続くのか。そして、その先に、本当の心の充足はあるのでしょうか。

私たちは、過去に積み上げたものでしか、自分の価値を証明できないのでしょうか。
もし、あなたの本当の価値が、過去の実績リストの長さとは全く別の場所にあるとしたら。
これから語るのは、SNSで見つけた「すごい大人たち」に興味津々の少年、さとるくんと、過去をバッサリと切り捨てる、あるお寺の和尚さんの物語です。
「別名“恥ずかしい人”大会じゃな」和尚さんが笑い飛ばす まだ何も持たない今ここの私

ある晴れた日の午後。さとるくんが、友達とスマートフォンを囲んで、何やらクスクスと笑っています。その様子に気づいた和尚さんが、縁側から声をかけました。
「何やら楽しそうじゃのう」
「あ、和尚さん! あのね、SNSのプロフィールを見てたんだ。すごい経歴の人がいっぱいで、結構みんな自慢しまくってて面白いんだよ」
「ほう。お友達の間で、そんなものが流行っておるのか?」
「ううん、違うよ!」さとるくんは、慌てて首を振ります。「友達同士で自慢なんてしないよ。そんなことしたら、恥ずかしいし、嫌われちゃうもん。」
「僕らが見てるのは、知らないお仕事をしてる大人たちのプロフィールだよ」
さとるくんは、画面を和尚さんに見せながら言いました。

「『お金持ちなんだ』とか、『こんなに儲かった』とか、『本を何十冊も書いてる』とか…。これって自慢?なのかなって思うくらい細かいことまで書いてあってさ。」
「大人って、自分の自慢をいっぱいしないと偉くなれないの?」
その純粋な疑問に、和尚さんは「まあ、あながち間違ってはおらんがのう…」と苦笑い。
「友達とね、『最強の自慢大会』って言って、ネットで一番すごい経歴の人を見つけて、どっちが見つけた人がすごいか勝負してたんだ。聞いたこともない仕事をしてる人って、結構いるんだね」
「ゲームになっておるのか。。それはまるで、別名『恥ずかしい人大会』じゃな。まぁ、いろいろな職業を知って、感心する程度にしておくくらいにしとくんじゃぞ」
和尚さんの一言に、さとるくんはなるほどと深く頷いています。
「アピールすること自体は、一向に構わん。じゃが、場所と時と、誰に向けて語るのかは、よくよく気をつけんといかんな」
「和尚さんは、自分のすごいところをアピールしないの?」
その問いに、和尚さんは穏やかに首を横に振りました。
「わしか。まあ、人によって価値観は違うが、わしは、これまで自分がやってきたことには、それほど重きを置かんのじゃ」
和尚さんは、さとるくんの隣に腰を下ろし、静かに語り始めました。

「一つ、話をしてみようかの。さとるくんは、お寺や神社にお参りに行くじゃろう。その時、過去に向かって、『終わってしまった過去を、どうか変えてください』と願ったりするかのう?」
「え? そんな変なこと、誰もするわけないよ。みんな、未来のこと…『テストで良い点が取れますように』とか、『足が速くなりますように』とかを願うもん」
「そうじゃろう」と和尚さんは深く頷きました。
「お願い事をするその瞬間、この世の誰一人として、過去に未練なんぞ持っておらん。誰もが、これから先の『未来』に向かって、まっすぐに手を合わせておる」

「もし、神仏の前で、『私はこれだけの本を書き、これだけのお金を稼ぎました。こんなにすごい私なのですから、どうか願いを叶えてください』なんて過去の実績を並べ立てたら、どうじゃ?」
「 むしろ逆効果かもしれんのう。それでいて、お賽銭はせこく小銭を一枚、なんてことでは、格好がつかんじゃろうな」
和尚さんは、遠くの空を見つめ、力強い声で言いました。
「わしは、過去にはしがみつかんと決めたんじゃ。過ぎ去った過去のことなど、自分の墓石にでも刻んでおけば十分じゃ」

「わしらはのう、まだ、これから先を生きていくんじゃ。だから、最も大切にすべきは、過去の肩書きではない。『今』、何を語り、『今』、どの方角へ向かって歩き続けているか。ただそれだけじゃよ」
和尚さんの言葉は、さとるくんの胸に、深く、そして温かく響き渡るのでした。
過去の栄光は、ただの幻 「無常」と「放下着」が教える、身軽な生き方 仏教の教え

和尚さんが語った「過去にはしがみつかない」という力強い生き方。これは、仏教、特に禅の教えの根幹をなす、非常に大切な智慧に基づいています。
その一つが「無常(むじょう)」という真理です。
これは、「この世のあらゆるものは、常に移り変わり、一瞬たりとも同じ状態に留まることはない」という教えです。
あなたが過去に手にした成功、名声、富。それらがいかに輝かしいものであっても、すでに「無常」の大きな流れの中に過ぎ去った、幻のようなものです。

SNSのプロフィール欄に刻まれた実績は、いわば、川面に映った昨日の月の姿。それにしがみつくのは、すでに流れて消えてしまった月影を、必死に手で掬おうとするような、虚しい行為なのです。
では、私たちは、その過ぎ去った幻をどうすればよいのでしょうか。
そこで禅が示すのが「放下着(ほうげじゃく)」という、潔(いさぎよ)い実践です。
「放下着(ほうげじゃく)」とは、「一切の執着を、ぽいっと捨ててしまいなさい」という、力強い呼びかけです。
過去の実績、築き上げたプライド、人からの評価…。そういった、これまで大切に抱え込んできた重たい荷物を、一度すべて手放してみる。
和尚さんの「過去のことは墓石にでも書いとけばいい」という言葉は、まさにこの「放下着」の精神そのものです。

過去という重たい荷物を下ろした時、私たちは初めて「今」という場所に、まっすぐに立つことができます。
SNSのプロフィールを輝かしい経歴で埋め尽くすことよりも、大切なのは、今、あなたが誰かのためにどんな言葉をかけているか。今、あなたが目標に向かってどんな一歩を踏み出しているか。

あなたの本当の価値は、過去の実績リストの中にはありません。
それは、「今」という瞬間を、あなたがどう生きているか、そのひたむきな姿の中にこそ、光り輝いているのです。
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