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子どもたち必読 SNSの「すごいね!」は最強の仕返し? 劣等感に燃える心を鎮める、和尚さんの少し意地悪な知恵







​「いいね!」の数に、今日も心がざわつくあなたへ

最近、スマートフォンの画面を見るたびに、胸のあたりが少しチクチクしませんか?


​友人のきらびやかな投稿。仕事での成功、手に入れたブランド品、パートナーとの幸せなひととき。そして、それに群がるたくさんの「いいね!」の数。


​「すごいな」と素直に思える日もあれば、心のどこかで「また自慢か…」と冷めた気持ちになっている自分に気づく日もある。そして、そんな自分に嫌気がさしてしまう。


​「どうして自分は、こんなに満たされないのだろう」

「あの人にあって、自分にないものは何だろう」


​SNSは、本来、人とつながるための温かいツールだったはずなのに、いつからか、他人の幸せを測る定規になり、自分の価値を揺さぶる天秤になってしまいました。


​もし、あなたもそんな風に、誰かの「いいね!」の数に心をざわつかせているのなら。


これから語る、さとるくんと和尚さんの小さな物語が、あなたの心を少しだけ軽くする手助けになるかもしれません。


​これは、劣等感という名の小さなトゲを、そっと抜き去るための知恵の物語です。




​夕暮れの縁側と、和尚さんの少し意地悪な知恵


​夕暮れ時、さとるくんは、お寺の和尚さんと縁側で麦茶を飲んでいた。


風鈴がちりん、と鳴る。しかし、さとるくんの心は、夏の夕凪のようには穏やかではなかった。


​「和尚さん、最近、ネットの友達がみんな自慢大会みたいになってるんだ」

​さとるくんは、うつむきながらぽつりぽつりと話し始めた。


​「有名な人からフォローされたとか、この投稿に『いいね!』が何百個もついたとか…。中には、『こうすれば絶対うまくいく!』なんて、成功法則を語る人もいて。悔しいけど、すごいと思ってしまう自分もいるんだ。」


「でもね、本当は…『いいね!』の反対の、『ダメだね!』ボタンがあったら、押しちゃうかもしれないな」


​和尚さんは、さとるくんの顔をじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「ほう。近頃の若い衆は、そんなことで気をもんでおるらしいのう。テレビのニュースでも聞いたことがあるぞ」


​穏やかな声だった。和尚さんは、さとるくんの淹れてくれた少しぬるい麦茶を一口すする。


​「さとるくんは、何か自慢できることがあれば、その子たちと同じように自慢するのかい?」

​「えっ…」


不意を突かれた質問に、さとるくんは言葉を詰まらせた。


「そんな風に聞かれたら…しないよ。そこまでして自慢するのは、なんだか恥ずかしいもの」


​「そうじゃろう」

和尚さんは、深くうなずいた。


「つまりな、『それ、自慢ですよね?』と真正面から言われたら、誰も自慢などできんということじゃ。」


「今、自慢をしておる者は、これまで誰からも、たったの一度たりとも、『それって自慢ですよ』と指摘されたことがない、ということなのじゃよ」


​和尚さんの言葉は続いた。

「周りは案外、冷ややかな目で見ているものじゃ。本人は気持ちよく語っているつもりでも、聞かされている方は『また始まった』と思っているかもしれん。」


「それに本人だけが気づけないというのは、なんともみっともない、悲しいことじゃと思わんか?」


​さとるくんは、黙って聞いていた。


​「少し想像してみようか。もし、さとるくんの友達が、テストで100点をとるたびに、答案用紙をSNSに投稿していたとしたら…さとるくんは真似してみたいと思うかい?」


​「するわけないよ!そんな嫌味なことをする人間にはなりたくない」


さとるくんは、きっぱりと首を横に振った。


​「そら、そうじゃろう。大人の世界にも、そういう者はたくさんおる。もしかしたら、子どもたちが苦しんでおるのは、我々大人のそういう姿が影響しておるのかもしれんのう…」


​和尚さんは、夕焼けに染まる空を見つめ、ふっと優しい目になった。


​「よし。自慢されて悔しい、さとるくんの心に、一つ知恵を授けてあげよう」


​和尚さんは、さとるくんに顔を寄せ、悪戯っぽく笑った。


​「そういう自慢する友達がいたらな、自慢で対抗しようなどと考えてはいかん。腹を立てるのも、心が疲れるだけじゃ。あえて、何も言わんでおいてやるのじゃ」


​「え…?」

​「わざわざさとるくんが、『それ自慢だよ』なんて嫌な役を買って出て、恨まれる必要はないからのう。」


「むしろ、どんどん『いいね!』を押してあげるのじゃ。そして、心の中でこう思う。『みんな、あなたのことをすごいと思っているよ』とでも思わせてあげればよい、とな」


​「え、でも、それじゃもっと相手は調子に乗るんじゃ…」


​「もし、その友達がまた新しい自慢を投稿したら、こう思うのじゃ。『ああ、まだ誰からも本当のことを言ってもらえていないんだな。周りに指摘してくれる人がいないなんて、なんて可哀想なんだろう』と。そう思って、もっと応援してあげたらいい」


​和尚さんの言葉は、まるで魔法のようだった。さっきまでドロドロと渦巻いていた悔しい気持ちが、すーっと消えていくのを感じた。勝ち負けではない、全く違う土俵に立ったような感覚だった。


​「どうじゃ?悔しいという君の気持ちは、それで帳消しになるのではないかの?」


​さとるくんは、こくりと頷いた。視界が、少し明るくなった気がした。


​「ただな」

和尚さんは、最後に人差し指を立てて、さとるくんの胸に優しく触れた。


​「この知恵は、誰にも言うでないぞ。さとるくん君だけの、お守りとして、心の中にそっと留めておくのじゃ。これは、相手を打ち負かすためのものではなく、さとるくんの心を守るためのものだからな」


​夕暮れの鐘が、ゴーン、とお寺に響き渡った。




​「可哀想な人」と見つめる心は、最高の「慈悲」かもしれない

和尚さんがさとるくんに授けた知恵。それは一見すると、少し意地悪な「仕返し」のように聞こえるかもしれません。

しかし、仏教の観点から見ると、これ以上ないほどの優しさと、深い智慧に基づいた心のあり方なのです。


​仏教には「慈悲(じひ)」という、中心的な教えがあります。

「慈」は、他者に楽しみや安楽を与える心(与楽)。

「悲」は、他者の苦しみを取り除いてあげたいと願う心(抜苦)。


​この二つを合わせたものが「慈悲」です。

​さて、SNSで自慢を繰り返す人は、本当に幸せなのでしょうか?


ブッダの教えによれば、過剰な自己顕示欲や承認欲求は、心の渇き、すなわち「苦しみ」の表れであるとされます。


​自分の価値を、他者からの「いいね!」や称賛によってしか確認できない。それは、絶えず他人の評価を求め続けなければならない、終わりのない苦しみの状態です。


​和尚さんの「可哀想だな」という言葉は、この相手の根底にある「苦しみ」を見つめる「悲」の心に他なりません。


「自慢ばかりして、本当は満たされていないのだな」

「周りから本当の自分を認めてもらえず、寂しいのだな」

と、相手の苦しみに寄り添う心です。


​これは、相手を上から目線で見下す「憐れみ」とは全く違います。相手と同じ目線に立ち、その苦しみを理解しようとする、深い共感の心なのです。


​そして、その上で「いいね!」を押してあげるという行為。


これは、相手の渇きを一時的にでも潤してあげようという「慈」の心(与楽)の実践と捉えることができます。

「あなたが満たされたいと願うなら、どうぞそれで満たされてください」という、ある種の「お布施」とも言えるかもしれません。


​この一連の心の動きを、仏教では「捨(しゃ)」という境地が支えています。

「捨」とは、何事にも動じない、平静で落ち着いた心のこと。


​他人の自慢に対して、嫉妬や怒りで心を乱されるのではなく、かといって無視するのでもなく、「ああ、この人は今、こういう心の状態なのだな」と冷静に受け止め、慈悲の心で見つめる。


​自慢に自慢で対抗するのは、同じ土俵で泥仕合をするようなものです。腹を立てれば、自分の心が燃え盛る苦しみの炎に焼かれてしまいます。


​しかし、一歩引いて、相手の「苦しみ」に気づき、慈悲の心で見守ることができたなら、あなたの心は燃えさかる炎の中から抜け出し、涼しい木陰で休むことができるでしょう。


​和尚さんの授けた知恵は、相手を打ち負かすためのテクニックではありません。


SNSという現代の荒波の中で、あなた自身の心を守り、穏やかに保つための、仏教二千五百年の歴史が培った、深く、そして優しい「盾」なのです。


​誰かの「キラキラ投稿」に心が疲れたとき、そっとこの「盾」を構えてみてください。

きっと、あなたの心は、昨日よりも少しだけ、自由になっているはずです。




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