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その返信、誰かを“壁の外”に追いやっていませんか? 仏教に学ぶ、SNSの「見えない壁」と孤独の正体








「いいね」の裏の孤独 なぜ私たちは、たった一言に心を縛られるのか

SNSで発信をしていると、時折、どう反応していいか分からないコメントに出会うことはありませんか?

​「…で、結局何が言いたいんですか?」

「〇〇かと思いました」

「いつも見てます(だけ)」

​肯定なのか、否定なのか。質問なのか、ただの感想なのか。


親切で真面目な私たち日本人は、そのたった一言に、心を丸ごと奪われてしまいます。

​「早く返信しなきゃ、失礼にあたる」

「質問の意図が汲み取れない私は、頭が悪いのだろうか」

「挨拶されたのに、無視する冷たい人間だと思われたくない」


​私たちは、街中でセールスに声をかけられても笑顔で通り過ぎることができるのに、ネットの世界では、見知らぬ誰かのたった一言で、勝手に自分を否定し、苦しんでしまうのです。


​そして、この苦しみには、もう一つの側面があります。


それは、あなたが誰かの投稿を見た時、コメント欄が、特定の数人との「内輪ノリ」で盛り上がっている光景。まるで、楽しそうなパーティーの輪に入れてもらえず、窓の外から眺めているような、あの疎外感。


​どちらも、SNSの「言葉」が生み出す、見えない壁。

この息苦しさの正体とは、一体何なのでしょうか。




「友達、取られちゃった…」 和尚さんが語る、SNSの“内輪ノリ”が作る壁

「和尚さん、もし、僕が和尚さんとすごく仲良さそうに、ずっと二人だけで話してたら、他の人は話しかけにくいかな?」


さとるくんが、和尚さんに尋ねました。


「そうじゃな。きっと、『今、お邪魔してはいけないな』と、気を遣って遠くから見守ってくださるじゃろう」


​「あのね」と、さとるくんは少し照れくさそうに言います。「僕の親友のみのるくんが、知らない子とずっと楽しそうに話してて、僕が全然話に入れなかった時、なんだか、みのるくんを“取られちゃった”みたいで、寂しくなったことがあるんだ」

「同じようなことがスマホの中でもあってね…」


​その言葉に、和尚さんは深く頷きました。


「そうじゃ。その気持ちこそが、ネットやSNSで気をつけねばならんことなんじゃ」


「えっ、どういうこと?」


​「ネットの世界はな、広大な広場のようなもの。そこでわしが、もし特定の誰かとだけ、親密なやり取りを繰り返していたら、それを見ている他の大勢の人々は、どう思うじゃろうか」


「…さとるくんが感じたのと、同じじゃ」

​和尚さんは、さとるくんの目を見て静かに言いました。


「『ああ、和尚さんにはお気に入りの人がいるんだな』、『ここは、あの人たちの“内輪”の場所なんだな』と、寂しさを感じ、そっとその場を立ち去ってしまう。」

「わしは、一人の心に寄り添ったつもりで、気づかぬうちに、百人の心を“壁の外”に追いやってしまっておるかもしれん」


​「そっか…。グループで盛り上がってるのを見ると、もっと近づけないもんね」


「その通りじゃ。だから、誰もが見える場所での言葉は、常に、そこにいる全ての人と、そして、その会話を“見ていない”全ての人にまで、心を開いておらねばならん。それは、とても難しく、そして大切な修行なんじゃよ」




あなたは“壁の外”にいない 道元と空海に学ぶ、言葉と繋がりの真実


​和尚さんが語った、ネット、SNSの「見えない壁」。それは、仏教が説く「言葉(分別)」と「慈悲(無分別)」のあり方を、私たちに鋭く問いかけます。


コメントに悩み、疎外感に苦しむあなたの心を、仏教の智慧がそっと解き放ちます。


​1. 悩みの正体は「我(が)」である 〜道元の教え

​なぜ、たった一言のコメントに、私たちの心はこれほど揺さぶられるのでしょうか。曹洞宗の開祖である道元禅師は、『正法眼蔵』でこう説きます。


「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」

(意訳:自分(我)という基準で物事を判断し、思い通りにしようとすることが“迷い”である)


謎のコメントに悩むのは、「私」が正しく評価されたいから。「私」が返信しなければならないから。「私」が傷つきたくないから。その全ての苦しみは、「私(我)」という小さな物差しを、握りしめていることから始まっているのです。


​2. “内輪”など、どこにも存在しない 〜空海の教え

​では、コメント欄の「内輪ノリ」を見て感じる、あの疎外感はどうすればよいのでしょうか。真言宗の開祖である空海(弘法大師)は、この世界そのものの見方を変える、壮大な教えを説きました。


「五大(地水火風空)に皆響き有り。十界(全ての生き物)に言語(ことば)を具す」

(意訳:この世界に存在する全てのもの…石も、水も、風も…は、皆、仏様の声として響いており、全ての生き物は、そのままで仏様の言葉を語っている)


私たちが「内輪だ」と感じているコメント欄は、宇宙全体から見れば、ほんの小さなさざ波に過ぎません。

あなたが本当に“聞く”べき声は、そこだけにあるのではありません。空の青さも、風の音も、道端の花も、すべてがあなたに語りかけている仏様の声なのです。

それに気づけば、あなたは決して“壁の外”にはいないことが分かります。


​3. 最高の返信は「沈黙」である 〜維摩の一黙

​では、どう振る舞えばよいのか。仏教には「維摩の一黙(ゆいまのいちもく)」という有名な故事があります。

最高の真理について問われた、在家の聖者・維摩居士は、ただ黙っていました。その「沈黙」こそが、言葉で説明しようとしたどの菩薩よりも雄弁に、真理を語っていた、というお話です。


全てのコメントに律儀に反応し、言葉を重ねる必要はありません。時には、相手の言葉をただ受け止め、静かに「沈黙」すること。それこそが、自らの心を乱さず、他者との間に無用な壁を作らない、最も気高い「返信」となるのです。


​SNSの言葉に傷ついた時、思い出してください。あなたの価値は、たった一行のコメントでは決まりません。そして、あなたが「内輪だ」と感じるその場所も、宇宙全体から見れば、ほんの小さな一点に過ぎないのですから。





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維摩居士についてはこちらの記事から🙏⏬️


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