「嘘も方便」は大きな誤解? お釈迦さまがついた“世界一優しい嘘”の正体
「方便=うまい嘘」だと思っていませんか? その果てに得るものの違いとは

この言葉、日常会話でよく耳にしますよね。
「嘘も方便(うそもほうべん)」
本当のことを言うと角が立つから、円滑に進めるために少し嘘をつく。
「今回は嘘も方便ということで、適当に理由を作っておこう」
そんなふうに、「場を収めるための便利な嘘」「言い訳としての嘘」という意味で使われていることがほとんどではないでしょうか。
しかし、もしこの「方便」という言葉が、仏教由来の言葉だと知ったら、どう思いますか?
「えっ、じゃあ仏教では嘘をつくことを推奨しているの?」と驚かれるかもしれません。
実は、私たちが普段使っている「方便」の意味と、仏教本来の「方便」の意味には、天と地ほどの開きがあるのです。
それは決して、ごまかしや嘘の言い換えではありません。相手を思いやる、限りなく深い慈悲から生まれた「智慧の技術」なのです。

本当の「方便」とは一体何なのか。さとるくんと和尚さんの対話から、その優しい真実を紐解いていきましょう。
お母さんは「嘘」だと言ったけれど 和尚さんが見せた“魔法の石”が導く場所

「和尚さん、ちょっと聞いてよ」
学校帰りのさとるくんが、不思議そうな顔でお寺にやってきました。
「この前の法話でさ、和尚さん、お釈迦様が『ホウベン』を使ったって話をしてたよね?」
「おお、いつのことじゃったかのう。よう覚えておったな」
和尚さんは目を細めて頷きます。

「でね、お家に帰ってからお母さんに『ホウベンってどういう意味?』って聞いてみたんだ。そしたらお母さん、『それは嘘ってことだよ』って言うんだよ。でも、お釈迦様が嘘をつくなんて、そんなわけないよね?」
さとるくんの純粋な問いかけに、和尚さんは「その通りじゃ」と力強く答えました。

「方便は、断じて嘘ではないぞ。もし方便がただの嘘なら、お釈迦様は大嘘つきになってしまうわい」
和尚さんは、さとるくんの横に座り、優しく語りかけます。
「方便とはな、一言で真実を説明しても伝わらない時に、たくさんの言葉やたとえ話を使って、相手が理解できるように導く『手段』のことなんじゃ」
「手段?」
「そうじゃ。お釈迦様は『対機説法(たいきせっぽう)』といってな、話す相手の性格や能力に合わせて、話し方を変えるのがとても上手な方じゃった。難しい言葉が通じない相手には物語を使ったり、想像しやすい世界を作り上げて教えを説いたりされたんじゃよ」
「ふうん。相手に合わせてあげるってこと?」
「その通り。これはお釈迦様だけでなく、阿弥陀如来さまなど、仏様みなに共通する能力なんじゃ」

「へえ! 阿弥陀さまも?」
「もちろんじゃ」
そこで和尚さんは、いたずらっぽく笑い、ポケットから綺麗な小石を一つ取り出しました。
「さとるくん、実はな、この石はただの石ではない。『賢者の石』と言ってな、これを握りしめて、宿題を一生懸命やると、不思議と勉強がスラスラ頭に入るという秘宝なんじゃ。どうじゃ、欲しいか?」
「えっ! すごい! 欲しい! 今日、算数のドリルがたくさんあるんだ」
さとるくんは目を輝かせて石を受け取りました。

「よし、じゃあその石を机に置いて、しっかり頑張るんじゃぞ」
さとるくんが嬉しそうに帰った翌日。
「和尚さん! あの石、すごかったよ! いつもより集中できて、あっという間に宿題が終わったよ!」

和尚さんはニッコリ笑って言いました。
「それは良かったのう。じゃがな、さとるくん。それは庭の端で拾った、ただの綺麗な石ころじゃよ」
「えーっ!? 和尚さん、嘘ついたの?」
さとるくんは頬を膨らませます。
「はっはっは、これが『方便』じゃよ。わしは嘘をついて騙そうとしたのではない。『勉強を頑張りたい』というさとるくんの背中を押すために、石という『形』を借りて、やる気を引き出したのじゃ。結果、君は自分の力で宿題をやり遂げた。その『達成感』こそが真実じゃろう?」

「うーん…なるほど。石はただの石だけど、僕をやる気にさせるための『手段』だったってこと?」
「そう。真実にたどり着かせるための、優しい手引き。それが方便なんじゃよ」
「燃える家」と「黄金の国」 仏様が用意した壮大なシナリオ

和尚さんが石を使ってさとるくんのやる気を引き出したように、仏教における「方便」とは、私たちを悟りや救いという真実へ導くための、巧みなアプローチ方法を指します。
ここでは、お釈迦様と阿弥陀如来、二つの大きな「方便」について見てみましょう。
1.お釈迦様の「嘘」? 〜法華経『三車火宅』のたとえ〜
「方便」を語る上で最も有名なのが、法華経に出てくる「三車火宅(さんしゃかたく)」という物語です。
ある時、大きな屋敷が火事になりました。中には子供たちがいますが、遊びに夢中で火事に気づかず、親が「外に出なさい!」と叫んでも出てきません。
そこで父親は、子供たちの欲しがっていたおもちゃを思い出し、こう叫びました。
「外にお前たちの好きな、羊の車、鹿の車、牛の車があるぞ! 早く出てきてこれをもらいなさい!」
子供たちは「わーい!」と喜んで、争うように火事の家から飛び出し、命が助かりました。
しかし、外にその三つの車はありませんでした。代わりに父親は、もっと立派な、宝石で飾られた「大白牛車(だいびゃくごしゃ)」という最高の車を子供たちに与えました。
この父親はお釈迦様、子供たちは私たち、火事は悩みの世界、車は教えの比喩です。
「羊や鹿の車がある」と言ったのは事実とは違いましたが、それは子供たちを救い出し、さらに素晴らしい結果(最高の車=悟り)を与えるための、慈悲深い「方便」だったのです。
2.阿弥陀如来の「極楽」 〜形のない真実への案内図〜
阿弥陀如来が説く「極楽浄土」もまた、壮大な方便であると捉えることができます。
お経には、極楽浄土について「地面は黄金でできていて、宝石の木が生え、美しい音楽が流れている」と書かれています。
しかし、悟りの世界とは本来、形も色もない「空(くう)」の世界であり、私たちの言葉では表現できないものです。
いきなり「目指すべきは『無』の世界です」と言われても、私たちは「行きたい!」とは思えませんよね。
そこで阿弥陀如来は、私たちがイメージしやすい「黄金」や「宝石」という言葉を使って、「そこに行ってみたい!」と思わせるような理想郷(浄土)を描き出してくださいました。
きらびやかな浄土の姿は、私たちを真実の世界へと誘うための、阿弥陀様の精一杯のプレゼンテーション、すなわち「方便」なのです。

「方便」とは、人を欺くための嘘ではありません。
それは、真実という高い山の頂上へ私たちを登らせるために、仏様が用意してくださった、手すりであり、階段であり、優しい案内図なのです。
こちらもお読みくださいね🙏
