記憶の稲穂:7粒目【お袋の味は昆布つゆ】
湯気の立つ煮物と、子どもたちの笑顔。
でも、その味の奥には
「断酒」という長い闘いが隠れている。
今回は、我が家ならではの
“お袋の味”
についてのひと粒を──。
アルコール依存症への入り口
私たちのデートには酒が欠かせなかった。
焼き鳥屋、海鮮居酒屋、立ち飲み、銀座ライオンやキリンシティのようなビヤホールにもよく通った。
2人とも酒が好きだったし、杜々さんは料理の勉強のために、いろんなジャンルの食べ物を食べてみたいという探究心があった。
ビジネス街にある飲食店に勤めていた杜々さんは、ほぼ休みなく朝から晩まで働いていて
会える時間はわずか。だいたい夜の時間が多かったので、居酒屋で待ち合わせというのが定番になった。
美味しいものは大好きだけど知識ゼロの私は、杜々さんが語る料理や酒のうんちくを聞くのが好きだった。
寡黙な杜々さんは酔うと饒舌になる。
だから私も、酒を注ぐ手を止めることはなかった。
それがまさか、アルコール依存症の入り口になるとは
この時は思いもしなかった…。
肝臓が語った、体調の真実
自分のお店を開業すると決めてから、杜々さんの体調はずっと悪かった。私はそれを、プレッシャーによる精神的なものだと思っていたし、本人もそんなようなことを口にしていた。
ある朝、杜々さんが布団の中で唸り声をあげていた。その声で「ああ。まだ生きてるな」なんて思うのが日常になっていたけれど、その日は少し様子が違った。いつまでも布団から出られない。話す力がない。
「立てない…」と力なく言う杜々さんの顔を見て、私は「死んじゃうかもしれない」と初めて思った。
杜々さんを支えながら二人で内科に行き、血液検査を受けた。
杜々さんのγ-gtpの数値が異常だと言われる。
血液検査結果の表を見せられポカンとしている私に
医者が「奥さんはお酒飲みますか?」と聞く。
「……まぁ、たまに。最近は、週に1回飲むか飲まないかくらいですけど」と答えると、
「では奥さんの場合、この数値はおそらく10くらいです」と言われた。
杜々さんの数値は、3000近かった。
「ヒッ…」と声にならない細い悲鳴が喉を通った。
幼馴染の言葉
杜々さんの健康を取り戻すには、断酒しかなかった。
でも、うちは飲食店。レバーを引けば生ビールが出る。冷蔵庫には日本酒、棚には焼酎。
家にも箱でビールや酎ハイが置いてあった。
杜々さんが飲むだけじゃなく、私にとっても週末、子どもたちが寝たあとに深夜番組を見ながら飲むビールは、ちょっとした癒しだった。
断酒をするには誘惑の多すぎる環境だった。
近所に住む幼馴染に、杜々さんの体調や断酒について相談する機会があった。
「あんたも酒やめなよ」彼女が言った。
私は少しムッとして
「なんで?私は病気じゃない。肝臓悪くしたのは彼の自業自得じゃん」
わかるよ、と前置きしつつ彼女は続けた。
「自分に置き換えてみて。病気になるほど大好きな酒を我慢するんだよ?目の前で、おいしそうに飲んでる人がいたら、どう?我慢できる?殺意沸くでしょ。すごい酷なコトだよ。」
その言葉に、ぐうの音も出なかった。
酒を捨てた日
そう。私には覚悟がなかった。
杜々さんの肝臓の数値が通常の300倍でも、どこか他人事だった。自己責任。私は悪くない。自分でどうにかしてほしい。そう思っていた。
でも、杜々さんの病気は一人ではどうにもならないところまで進行していた。
私も家族として、彼の病気を一緒に治すという覚悟が必要だったんだ。
その日、私は家じゅうの酒をすべて処分した。
ビールも酎ハイも、料理酒もみりんも。微量のアルコールでも入っているものは、譲ったり捨てたりして、すべて手放した。
救世主登場
料理酒もみりんも無くなった我が家の食卓を救ってくれた救世主がいる。
その名も「ヤマサ醤油 昆布つゆ」様だ。
出汁も、みりんも、酒、醤油も入っている!
書いてあるとおりの分量を水で割れば味が決まってしまう!万能選手!!!!
いろんな「つゆの素」を試したが、我が家の舌に合ったのが「ヤマサ醤油 昆布つゆ」様だった。
煮物も、炒め物も、卵焼きも、うどんも、ぜんぶ昆布つゆ。
味が濃いとか、飽きるとか、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
とにかく、"酒を家から排除する"ことが最優先だった。
子どもたちに「お母さん、これすごくおいしくて好き」と言われると、もちろん嬉しい。
でも心の中では、「それはヤマサ醤油さんのおかげなのよ…」とつぶやいていた。
ちょっと複雑な心境だった。
一生断酒
家じゅうの酒は排除したけど、店には酒だらけ。それに料理人が料理酒を使わずに料理するなんて、ありえない。
1日のほとんどの時間を店で過ごす杜々さんにとって過酷な環境であることは、今も変わりない。
依存症は、ただ好きなものに執着しているというわけではなく、それがないと自分が保てない感覚になる病気。
そんな病気と向き合い、お酒を断ち続けてるのは、なんと言っても杜々さん自身の努力だ。
もちろんすぐにうまくいったわけではない。
内科も転々としたし、最終的には依存症の専門病院に行くことになる。
カウンセリングと薬と、それに断酒会にも参加した。
紆余曲折あり、病気発覚から2年半後、なんとか断酒が続くようになった。
最初は、ノンアルコール飲料を飲んだりもしてたが、今では炭酸水やお茶しか飲まない。肝臓の数値は断酒を始めてすぐ正常値になった。
アルコール依存症は完治しない。回復しているだけで、一口でも飲酒すれば、すぐに肝臓の数値は上がる。
私たちは、それを文字通り肝に銘じている。
お袋の味
料理酒を復活させたのは、断酒8年目くらいから。酒以外のストレス発散や癒しが、杜々さんの生活に定着して、ようやく「少し戻してもいいかな」と思えた。
久しぶりに昆布つゆじゃなくて、料理酒、みりん、醤油、砂糖を使って手羽先と大根の煮物を作ってみる。
生姜をたっぷり入れて、圧力鍋でお肉がホロホロになるように煮る、息子たちの大好きなメニュー。
いつもより時間をかけて調味料を一つずつ足していく。
美味しいのができたよぉーっと食卓に運ぶ。
でも口に運んだ息子達の様子が少しおかしい。
「どう?美味しい?」と聞くと少し考えて
「…なんか違う」
ーーちょっとへこんだ。
私もすっかり昆布つゆ料理に慣れてしまっていて、
料理酒やみりんを使うときの“なんとなくの割合”が、味見だけじゃわからなくなっていた。
昔は感覚で作っていたのに、すっかり忘れてる。
クックパッドやデリッシュキッチンがある時代でほんとよかった。
料理酒が復活した今でも、ヤマサ醤油の昆布つゆ様は我が家の救世主だ。
なんと言っても調理の時短になるし、なんか味が決まらないなぁって時には大抵昆布つゆを少量いれると納得の味になっちゃう。
もはや息子たちにとっての「お袋の味」は、ヤマサ醤油の昆布つゆ様なのだ。
我が家の食卓も、私たち夫婦の覚悟も後押ししてくれた。
家族の救世主——ヤマサ醤油の昆布つゆ様は、今も我が家の台所にどっしりと鎮座している。
アルコール依存症については、こちらにも書いています。
よかったら以前のnoteもぜひ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
たまに、気合い入れて丁寧に料理を作ったり、普段は作らないような凝った料理を作ってドヤ顔で出しても、
「なんか違う…」って言われます。
私の料理の腕が悪いんじゃなくて、ヤマサ醤油の歴史に勝てないだけなんだって、思うようにしてます。
今日のひと粒はここまで。
また稲穂の中を一緒に歩いてくださるとうれしいです。
