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福音派としてのチャーリー・カーク 「愛」のない左翼、「霊」のない保守にはわからない

チャーリー・カーク氏殺害事件の余波で、改めてキリスト教や宗教について考えています。


チャーリー・カークは、「保守活動家」と紹介され、彼自身「保守派」を自認していたけど、基本的には福音派のキリスト教宣教師です。

福音派というのは、聖書の書いてあることが真実であると信じる人たちです。聖書に書いてあるのは比喩であり、道徳的な説法の一つだ、というような現代的な考え方はしない。

たとえばLGBTについても、福音派がそれを認めないのは、聖書に罪だと書いてあるからです。今の日本のキリスト教プロテスタントは、主流派はリベラルで同性愛を許容し、福音派も左傾していると言われる。でも、カークのようなアメリカの福音派は、同性愛を拒絶する。その意味では「原理主義」的。


カークは、日本でいう、いわゆる保守主義を説いたのではない。キリスト教福音派の信仰を説いた。

保守主義者というなら、彼は何か普遍的な意味の保守主義を説いたのではなく、「アメリカ人本来の価値観」の保守を説いた。それはすなわち、福音派の信仰なわけです。


チャーリー・カークが亡くなった後の、未亡人のエリカさんの声明を聞いていても、「保守主義運動を続けます」なんて言ってない。

「霊的戦争 spiritual warfare」を続ける、と言っていました。

その「スピリチュアル」の部分が、日本のいわゆる保守派に、無視されている気がする。

ただ、「移民反対」で同志だ、というだけで。


チャーリー・カークと参政党の神谷氏らは、同じ「反グローバリズム」ということで、同志的交流をしていました。

しかし、よく言われるけど、キリスト教徒としてのカーク氏と、日本の保守政党の参政党とは、根本的な対立があります。

とくに参政党の神谷氏は、16世紀に日本に訪れたキリスト教宣教師は、日本を植民地化しようとした欧米の尖兵だという歴史観を述べていた。

それは、まさにエドワード・サイードが言っていたような反植民地主義、オリエンタリズム史観で、福音派キリスト教徒から見れば、忌むべき左翼思想でしょう。


カーク氏のような福音派は、「宗教右派」とも言われる。そして、「宗教右派」は、日本では特に、左翼リベラルに恐れられる。

場合によっては、左翼にとって「極右」より悪い。もはや議論不能、了解不能の絶対悪のように考えられる。その宗教右派をバックに持つから、トランプ政権は邪悪だ、と考える。


そこには、右翼VS左翼とか、保守VSリベラルというより、一神教徒VS無神論者、あるいは、宗教VS唯物論の隠れた対立があり、そっちのほうが根源的なんですね。


唯物論者というと、私はなぜか浅田彰の顔を思い浮かべる。あれが、私の中の、唯物論者の典型的な顔ですね。

彼も、今のアメリカの「宗教右派」を指弾する急先鋒です。


20世紀は、唯物論の世紀でした。

思想界では、フロイトとマルクスが、反宗教的唯物論の2大巨頭でした。

20世紀前半には、それはうまく行くかに見えた。

でも、20世紀後半に破綻した。その結果として、21世紀の今があります。

にもかかわらず、思想・学問の世界は、20世紀の唯物論思想をなんとか延命させようと努力している。浅田彰は、日本でのそういう思想運動の象徴でもあります。


一神教徒VS無神論者、あるいは、宗教VS唯物論という図式は、日本に当てはめようとすると、うまくはまらない。

多神教? それって宗教なの? 私にはいまだによくわからない。

神社仏閣に過去の信仰の跡が刻まれているのは確かだけど。

でも、日本人の根底にあるのは世俗主義で、根本的に宗教と対立してるんじゃないか。世俗主義だからこそ、モダニティ(近代)にうまく適応できたのではないか。そんな気がします。


そういう世俗主義者で、無神論的・唯物論的な日本人だからこそ、移民問題への反応にも、欧米とは違った感触があると思います。


この問題、私には難しすぎて、今もよく整理できていない。


ただ、政治的次元で言うと、チャーリー・カーク氏は、シオニスト、イスラエル支持者でもありました。

福音派のシオニスト、という、トランプ支持派として脚光を浴びた新しい潮流に属します。

(イスラエルはユダヤ教であり、ユダヤ人がキリストを殺したとキリスト教徒は考えるから、必ずしもイスラエル支持ではなかった。今の福音派シオニストは、イスラエル人もいずれキリスト教に改宗すると信じている)


そして、同じ福音派シオニストである高原剛一郎氏が言っていましたが、シオニストは今、右からも左からも憎まれています。

左がシオニストを憎むのはわかるでしょうが、右翼の白人至上主義者も、ユダヤ人支持者を嫌うからです。


それにしても、チャーリー・カーク氏殺害に関して、日本のキリスト教界の反応は乏しすぎるように感じます。


今回のチャーリー・カーク氏殺害と、シオニストとしての彼の政治的ボジションが関連するかどうかはわかりません。

チャーリー・カーク氏は、むしろ晩年、イスラエルのイラン攻撃に反対し、ネタニヤフを支持しないようトランプに求めた、という情報もありました。

そんな情報が流れたせいか、ネタニヤフのカーク追悼文が出るのが、少し遅れたような気がしました。



いずれにせよ、宗教の狂信者も怖いが、唯物論者も怖い、というのが、今回に限らず、私がいつも思うことです。

私の小説「平成の亡霊」は、ややオウム真理教に同情的に見えるかもしれませんが、江川紹子や毎日新聞記者らの唯物論的立場からの宗教断罪も残酷だったと考えているからです。


キリスト教は、本来、「愛」と「敬虔」を最高の美徳とするはずです。

そして、リベラリズムも、無神論的思想ながら、本来は、宗教戦争の教訓から、「寛容」や「謙抑」を最高の美徳としていた思想でした。

どちらも、人間の傲慢さを抑える思想であったはずです。


しかし、安倍晋三氏暗殺後も死体蹴りをし、参政党に中指を立てて選挙妨害する連中、またそれを黙認する政党やマスコミは、リベラルの風上にもおけない、「愛」のない唯物論者たちです。

意見が対立する相手や他国を罵倒してやまない、傲慢さを競っているかのような「保守」「右翼」も、宗教心というか、「霊」的な次元がなさすぎる。

左翼に暴力で報復しようという宗教者がいたら、それも同断です。


ある「ラディカルクリスチャン」の以下のXの投稿に、私は共感しました。


あなたは、キリスト教徒であれば、同性愛支持者にはなれない。

同時に、あなたがキリスト教徒であれば、同性愛者を憎めない。

You can’t be a Christian and support homosexuality.
You also can’t be a Christian and hate gay people.
(Oliver Burdick 2025/9/14 2:26)


もちろん、私がそんなエラソーなことが言える「有徳者」ではあり得ないことは前提ですが。

でも、右VS左とか、保守VSリベラルとかいうより、より根本的な人間の道義の次元があるはずだ、と最近よく思うんです。

政治においても、そういう道義が貫かれているかが、最終的には重要だと感じます。



<参考>



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