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「文化盗用」論のアホらしさ

アメリカのクラシック音楽評論家、デヴィッド・ハーウィッツが1月2日、自身のYouTubeチャンネルで、「文化盗用論のアホらしさ」という動画を投稿していました。

West Borrows East: Stupid Notions of "Cultural Appropriation"(David Hurwitz 2025/1/2)


文化盗用論とは、google先生によれば、以下のようなことです。


文化の盗用とは、ある特定の文化圏の要素を、他の文化圏の人が許可なく不適切に採用する行為を指します。英語では「cultural appropriation」と呼ばれ、「appropriation」には「私物化」という意味があります。
文化の盗用は、社会的に強い立場にある人々(マジョリティー)が、社会的に弱い立場にある人々(マイノリティー)の文化に対して行われる場合に論争になりやすいと言われています。特に抑圧された過去のある少数民族の文化が、主流文化の中で用いられたとき問題となるようです。


要するにポリコレ、キャンセルカルチャーの一つです。


日本でも数年前からこれが言われだし、2024年には海外ゲームでの日本文化引用が炎上したりしました。

クラシック音楽では、オペラ「アイーダ」「蝶々夫人」、オペレッタ「ミカド」などが(サイードのオリエンタリズム論などを持ち出して)槍玉にあがることがあるようです。


デヴィッド・ハーウィッツが政治的話題を取り上げるのは珍しく、新年早々、これだけはどうしても言っておきたい、ということだったのでしょう。

彼は、動画の中で、19世紀のドリーブ「ラクメ」(イギリス統治時代のインドが舞台)や、20世紀のラヴェル「マダガスカル島民の歌」などを例にあげながら、作曲者の意図を解説しつつ、「文化盗用」のような大げさな言葉で芸術作品を断罪する愚を指摘しています。


西洋音楽に対する、昨今のポリティカル・コレクトネスや、キャンセルカルチャーを非常に残念に思うのは、作品を成り立たせている歴史的条件への認識が欠けていることです。

なるほど過去の人は当時の偏見にとらわれていたとしても、現在の人間が後知恵でそれを評価すべきではありません。

彼らの偏見もまた、当時の価値観の一つです。

過去の芸術家は、(他の文化を批判するためではなく)自分たちの文化に対する自分自身の見解を反映する作品を創造したのです。

自分たちの文化に新たな光を当てるため、他の文化を利用したのでした。

I find so distressing about the current politically correct attitude and the
cancel culture with respect to so much western music is this complete lack of
historical foundation for it. all theyknow as often as not is that there were people, they may have been bigots, they may have been one they they were of their time. You never judge people in hindsight if they're of their time. I mean they may have been horrible of their time but they were of their time. They had common beliefs that were characteristic of the period. They created works which reflected a certain view of themselves of their own culture of the other cultures that they were using for the purpose of
reflecting shining a light back on themselves.


1月1日には與那覇潤さんが、noteで「戦後80年を『キャンセルをやめる年』に」というのを投稿されていました。


正月に、日米の知識人が「キャンセルカルチャー」を取り上げて批判しているのが印象的でした。

そして、それは、よい兆しではないでしょうか。

ネットのような「平場」で、こういう風に議論になること自体が健全ですし、一部の左派インテリやインテリもどきたちの理不尽な文化攻撃が、やりにくくなってきた証しだと思います。


私自身は、ポリコレやキャンセルカルチャーをやめるだけでなく、もっと積極的に、勇気ある文化を創造する方向に進んでほしい。

というのも以前、ジョン・アダムスのオペラ「中国のニクソン」について論じたように、日本の芸術文化は、もともと非常に保守的で臆病になっているからです。

「中国のニクソン」も、中国の描き方がアレコレ言われることはありますが、そもそも日本では、この20世紀の傑作オペラが(コンサート形式ですら)上演されたことがありません。

保守的というか・・中国に遠慮しているのか。変な話なのです。

文化大革命を批評的に引用した「中国のニクソン」こそ、元祖「キャンセルカルチャー」批判のオペラなのですが。

新作オペラ「トランプと安倍ちゃん」くらい創作してくれ、と思う。文化の創造性そのものが衰えている。


まあ、私は正月、YouTubeで期間限定で公開されている映画「釈迦」を見ていたのですが・・

【本編】『釈迦』<3週間限定公開>(角川シネマコレクション 2024/12/27)


20世紀の日本人が釈迦を演じているのですから、文化盗用どころの話ではないですね。

昔はジョン・ウェインがジンギスカンを演じたりした。そういう大胆な創造力がなくなったのは残念なことです。


今に、歴史的正確さにだけ異常にこだわった、つまらない、臆病で保守的な時代劇ばかり見せられることになるでしょう。

政治的、思想的な議論を吹っ飛ばすような、芸術の突破力をこそ見たいのですね。



<参考>


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