見出し画像

「斉藤鉄夫首相」を我々は許容できるのか 宗教団体とオールドメディアの「悪魔合体」で日本が乗っ取られる

19日の「解散宣言」と言える会見で、高市総理はこう言った。


「衆議院選挙は政権選択選挙と呼ばれます。自民党と日本維新の会で過半数の議席を賜れましたら、高市総理。そうでなければ野田総理か、斉藤総理か、別の方か。間接的ですが内閣総理大臣を選んでいただくことにもなります」


その衝撃的な意味を、マスコミが正確に伝えたとは思えなかったですね。

あるいは、意味が分かっていても、あまりに衝撃的だから、言えなかったのか。


「野田総理」は、まだいい。彼は一度総理になってるしね。

でも、「斉藤総理」の可能性を、我々は本当に真剣に考えていたか。

いま現在も、その意味に気づいていないのではないか。

高市さんが言いたかったのは、それだと私は思った。

巨大宗教団体をバックに持つ人を、国のトップにしていいのか、と。


これは、斉藤鉄夫氏の能力や、人間性をどうこう言いたいわけではない。

彼が優秀で立派な人格者であるのは間違いないと思う。

あるいは、創価学会が邪教だとか言いたいわけではない。

私が知っている創価学会の人は、みんないい人でしたよ。



でも、「国家」の問題は、そういうこととは次元が違う。

大学の政治学や法哲学のクラスで、こう教わらなかっただろうか。

国家権力は、他国の侵略から国民を守るだけではない。

国家権力が、なぜ必要かといえば、国内的に力を持った「中間団体」に人々が抑圧されないためである、と。


国家権力=天下統一とは、つまり、そういうことだから。

中世から戦国時代で言えば、寺社勢力が武装して力を持ちすぎていた。

あるいは、土豪とか、ヤクザ者とかが、地域を支配していたかもしれない。

現代で言えば、大企業とか、ヤクザ組織とか、エセ同和とか、あるいは、巨大宗教団体とか。


そういう、政治権力としては非正規な力が、我々の生活に不当に介入してきて、抑圧する。人権を侵す。その可能性がつねにあり、実際にも起こる。

だから、国家権力が必要になる。国家権力は、恐ろしく強力だが、こうした非正規な力から我々の人権を守るから、正当化され、正統性が付与されるーーそう私は教わった。


繰り返すが、「国家権力」は、中間団体を上回る力を持つことで、人々の権利が、それら団体に侵されないために必要だ。


そこで、だ。

「斉藤鉄夫首相」を、我々は許容できるのか。

憲法は、許容できるのか。

彼は、まさに国家が規制すべき団体の一つを支持母体にしている。

これは、政治家の資質とかの問題ではなく、そもそも国家とは何か、なぜ国家が必要か、という問題に直結しているはずなんですね。



私のマスコミ現役時代、毎日新聞の人事で、創価大出身者が専務になったことがあった。

新聞社の役員人事は、業界紙に載るから、それで知ったんだけどね。

業界的に、ちょっと緊張が走った。


毎日新聞は、1970年代の経営再建の時に、創価学会の支援を受けたから、創価大出身の社員が多いと言われていた。

そういう人が出世して、ついに毎日新聞のナンバー2になったわけです。

だから、優秀な人には間違いないけれど。


しかし、毎日新聞は、創価大出身者を社長にするだろうか?

そんなことが、ありうるのだろうか?

みんなの脳裏に、そういう疑問がよぎったと思うんですね。


創価大出身者が社長になれないとすれば、それはそれで人権問題だろう。

だが、そうであっても、創価大出身者が、毎日新聞のような全国紙のトップになることが許されるのか。

政治的権力を持つ巨大宗教団体の関係者が、新聞社のトップになって、その新聞の公正さを読者は信用できるのか。

そんな新聞が世論に大きな影響力を持つことが、許されるのか。


この疑問は当時、口に出すのはタブーのような雰囲気もあったけど。

結局、その人は社長にはならず、公明新聞とかを印刷している毎日新聞系の印刷会社の社長になったと記憶する。


同じことが、いま日本国の政治、日本国の「トップ人事」で、起こっているわけですよ。

これは、議論をタブーにしてはいかんでしょう。



しかし、こういう事態になったのは、自民党自身のせいですね。

自民党が、公明党と連立し、大臣ポストを渡してきたから、こうなった。

国交大臣になれたわけだから、総理大臣になれないはずがない、ということになった。

自民党の自業自得だ。


でも、一大臣と、総理大臣=国のトップは違う。

それは、毎日新聞で、専務と社長が違うのと同じです。

そこのところを、よく考えてほしい。



しかし、オールドメディアは、こういう問題提起をしないだろう。

オールドメディアには、もともと「国家」嫌いが多い。

左翼はそもそも、国家廃絶のイデオロギーだし。

左翼でなくても、先の戦争の経験から、「国家」は本質的に悪だという信念のようなものを持っている。

その洗脳のようなものを国民も受けているから、日本という「民族」は好きでも、日本という「国家」は信用できない、と、なんとなく思わされている人は多い。


そういう「反国家」勢力が、いま、「反高市」勢力として結集している。

彼らにとっては、「反高市」が優先で、我々の「国家」のことは、恐ろしいことに、後回しにされかねないのです。


「高市」でいいかどうかは、また別の問題だが、少なくとも「斉藤鉄夫首相」が許されるかは、「政局」以前に、政治思想や政治哲学の問題として議論されるべきだと思う。

この問題に気づいている学者や識者は多いと思うけど、なかなか言えない空気もありそうなので、皮切りとして、ネットの片隅から声を上げました。



<参考>


いいなと思ったら応援しよう!