見出し画像

左翼にも、キリスト教徒にもなれずーー【追悼】「日本人でありすぎた」保守思想家・田中英道 (田中英道論への助走)

日本の保守論壇の牽引者だった田中英道さん(東北大学名誉教授)が、4月30日に83歳で亡くなった。

田中さんは、令和まで生きた保守思想家の中で、最も生産的で創造力に富むと共に、戦後日本の学者として、示唆的で興味深い足跡を残した人だった。

私は「田中英道論」というのを書きかけていたのだが、田中さんが突然亡くなったため、筆が止まってしまった。


田中さんが亡くなってしまったいじょう、ちゃんとしたものを書かねば、と思った。

といっても、田中さんが残した膨大な著作で、私が読んでいないものは多い。

それ以外に雑誌論文や、ネット上の「日記」なども数多く残されている。


せめて、ネット上に残っている講義動画だけでも見ようと思ったが、これがまた膨大なのだ。


まず、田中さんの動画のリストを作りかけたのだが、メインの「Hidemichi Tanaka」チャンネルだけでも、195本あった。


総収録時間を計算すると、139時間を超えていた。

たまに旅行記や対談があるが、ほとんどは田中さんが一人で喋っている講義・講演である。


それ以外に、サブチャンネルに当たる「田中英道のNEW HISTORY」があり、また「和の国チャンネル」「日本を知る会」「My Jewish Japan」「防人と歩む会」「Daily WiLL EX」などの各チャンネルにゲスト出演している。

それらはほとんど、田中さんが80歳になった頃以降の、最近の動画である。


私は退職老人なので、ヒマだけはあり、田中さんの動画をけっこう見てるほうだと思うが、それでも半分も見ていないと思う。


私が確認した中で、最も最近の動画は、今年3月8日にアップロードされた以下のものだった。

新著『浦島伝説とユダヤ』出版と、氏の83歳誕生日(2月20日)を記念して、2月13日に新大久保で開かれた講演会の記録だ。


田中英道◉沖縄にやってきた古代ユダヤ人の謎!山幸彦・浦島伝説の真実と神武天皇出生の秘密!琉球は竜宮だった!『浦島伝説とユダヤ』出版記念バースデー講演会(和の国チャンネル 2025/3/8)


この動画を見てもわかるが、田中さんは、死の直前まで精力的で、頭脳明晰だった。その活動性は、歳をとるほどに加速している印象さえあった。


田中さんは、晩年になるほど、YouTube動画の発表に積極的だった。

最近は「書くこと」より「話すこと(オーラル)」を重視している、と田中さん自身が語っていた。

それは、「自然道(しぜんどう)」という田中さんの思想の結論でもあった。


田中さんは、それを、東大仏文科の先輩である大江健三郎を引き合いに出して説明していた。

大江健三郎の生原稿を見ると、完成稿にいたるまで、おびただしい量の加筆や修正がほどこされていることがわかる。

田中さんは、そこに「不自然な作為」を見る。

「書かれたもの」には嘘が多い。いくらでも自分や世界についての作為的なイメージを操作できるからだ。

それに対して、人に向かって話すときは、より正直で、おのずと話者の人間性もあらわれる。

だから、思想の伝達手段として、「話す」ほうがより自然で優れている、と田中さんは考えた。


そういう「思想」と共に、自らの余命を意識して、田中さんはできるだけたくさんのことを次世代に伝えておこうと、YouTubeで「話す」実践を選んだのだと思う。

だから、田中さんのYouTube動画は、どれも全力投球で、真剣であったことが伝わる。



田中さんの「保守」としての思想活動は、大きく二つに分けられると思う。


1 「日本文明」論 *日本独自の文化と歴史の究明

2 反「左翼」論 *左翼(フランクフルト学派、日本の左翼学界、中共等)への反論


1がオモテとするなら、2はウラであり、互いに関連し合っている。

発生的には、2が先であり、1はその結果であったと言える。

田中さんは、自分の実人生の中で、左翼思想が濃厚な環境で学者人生を始めたが、その環境にどうしても馴染めず、次第に自分の「日本人性」に目覚めていき、「1」の課題へと向かうことになった。


私自身が興味があるのは、実は「2」のほうである。


日本には、たくさん「保守」を名乗る人がいるが、意外にちゃんとした反「左翼」論を持っている人は少ない。

単純な反韓反中であったり、あるいは古い「左翼」イメージによる時代遅れの反共主義者であったりする。

若手の「保守」批評家は、わかっている人もいるのだろうと思うが、大学やマスコミで活動しようとする限り、どうしても左翼に妥協的になっている。


今主流の左翼は、1960年代以降の新左翼であり、浅田彰から上野千鶴子まで、いわゆる「1968年の思想」である。

だから、今世界標準の「保守」は、「反1968」であり、たとえばトランプ政権を支える思想もそうである。

でも、日本では、そのポイントを外して「保守」を名乗っている人があまりに多い。


「1968年の思想」は、昔のようなマルクス・レーニン主義ではなく、「人権思想」「反戦平和運動」「反ファシズム」「反差別」「フェミニズム」「環境主義」などに紛れ込み、「ロック」から「アメカジ」ファッションまで、60年代発祥の広範な文化を味方につけている。

今の左翼は、もはや共産社会のような明確な「未来図」があるわけではない。田中さんが言うように、伝統を「批判」し、破壊するだけである。


日本の場合、それは「戦後民主主義」を偽装することが多い。戦後民主主義ー60年代左翼ー現在の「リベラル」、というふうな直線的な戦後日本思想史を、小熊英二からスガ秀実までが描く。

それは、日本の主要マスコミの戦後観でもあり、今の左翼の主流だ。これは田中英道も言っているが、そういう意味での左翼は、今の自民党にも多い。


田中英道は、その中で、「反1968」のポイントを外さなかった、世界標準の保守思想家だった。

彼の教養は、フランクフルト学派どまりで、ポストモダン以降の最新の思想までアップデートされていたわけではない。

その点で限界はあったが、その原点に、東大での学園紛争と、フランス留学中の、1968年パリ革命の体験があったことが大きかった。



その後、田中さんは、バチカンのシスティーナ礼拝堂(今話題の教皇選挙の会場)でミケランジェロの研究をして、博士号を得る。

キリスト教の総本山で研究をしても、キリスト教徒にはならなかった。


晩年、田中さんは、よく「左翼にも、キリスト教徒にもなれなかった自分」を語った。

日本の知識人は、明治以降、キリスト教徒になるか、左翼になるか、あるいはその両方になることが多かった。


明治に入ってすぐ起こったのはキリスト教の流行で、内村鑑三、新渡戸稲造(共に札幌バンド)、徳富蘇峰(熊本バンド)、新島襄といった人たちが最初期の例だ(石破茂は、熊本バンド末裔のキリスト教徒)。

その後、明治20年ごろから「社会主義」思想が入ってきて、賀川豊彦や安部磯雄のようなキリスト教的社会主義者が活躍する。のちに「資本論」を訳す河上肇も、青年期は内村鑑三のキリスト教に影響を受けた。

そして、幸徳秋水と堺利彦が明治37年(1904年)に「共産党宣言」を翻訳し、1917年(大正6年)のロシア革命をはさみ、昭和初期にかけてマルクス主義が全盛となる。


左翼かキリスト教徒になることが、「西洋思想がわかっている」、つまり知識人であることの証であり、なにがしか「良心」の証でもあった。

日本の戦時体制が終わってみると、戦中弾圧された左翼とキリスト教は、戦後に一層輝きを増した。


左翼かキリスト教徒でなければ、知識人にあらず。

そういう感じは、今は少し減っているかもしれない。

現在では、左翼でありキリスト教徒である、香山リカなどがそれを代表しているが、そういう感じは、1980年代ごろまで、もっと濃厚だった。


左翼=唯物論と、キリスト教=宗教、観念論は、相反する世界観に思われるかもしれないが、日本の思想空間の中では、必ずしも矛盾しなかった。


田中さんは、そういう例として、加藤周一を挙げていた。


ちょっと面白いこと言うとね、加藤周一というね、戦後のものすごい、マルキストがいたんですよ。評論家で、朝日新聞によく書いていた。

それがね、最期、ひそかにね、キリスト教徒になってんですね。やっぱり、死ぬときに、耐えられないんですよ、唯物論だとね。

(以下の動画の4:00前後)


田中英道×茂木誠◆統一教会問題と宗教の本質、そして日本が世界に誇る「神道」の力(和の国チャンネル 2022/9/1)


この話の連想で、私の脳裏には、史的唯物論の社会経済学者、石母田正(1912−1986)の名前が浮かぶ。

石母田正は、最近は名前を聞かなくなったが、私が出版界に入った1980年代には、加藤周一同様の代表的な「朝日・岩波」文化人だった。

彼も、マルクス主義者である一方で、キリスト教徒だと言われていた。

当時、先輩編集者の一人が、こう言っていたのを鮮明に覚えている。

「マルキストで、キリスト教徒だと、イメージいいよね。アカデミズム的にも。(麻雀で言えば)イーハン付く感じだ」


あとで調べると、石母田は正式なキリスト教徒ではなかったようだが、キリスト教に「リップサービス」していたから、そういう印象を持たれたようだ。

石母田の評伝で、以下のように書かれている。


石母田の一九五二年の随筆「私の読書遍歴」では、自分の愛読書が『聖書』であったことが語られている。その理由は直接には記されていないが、「汝の敵を愛せよ」というような隣人愛の倫理が、おそらくその後の石母田の社会主義運動へのコミットメントを支える動機へと発展していったものと思われる。キリスト教の雑誌『六合雑誌』に早くからマルクス主義が紹介されていたように、明治時代においてはキリスト教とマルクス主義は呉越同舟の反権力思想であった。双方とも万人に平等な地上天国の実現を目指す点では、一致していたからである。

磯前順一『石母田正』(ミネルヴァ書房)


保守言論人では、たとえば私の住む柿生ゆかりの文芸評論家、河上徹太郎も、最後はカトリックの洗礼を受けている。


でも、田中英道さんは、キリスト教徒になれなかった。それについては、彼自身が、同じ動画でこう言っている。


私はだからね、キリスト教美術は50年研究したけれども、キリスト教徒になれないです。

それは、なぜかというと、日本人であることが強すぎるんですよね。

(動画21:00あたり)


田中さんによれば、日本人であるとは、自然にしたがって生きることであり、キリスト教や左翼思想は、無理矢理な理屈や不自然な仮定が多すぎて受け付けられないのである。

(茂木誠さんとの上の対談動画は、短い時間で、田中さんの思想がうまく要約されているからお勧めだ。)


田中さんの思想は、明治以降の日本の知識人総体を批判する射程を持っていた。


田中さんが亡くなったことで、生前の彼の「日ユ同祖論」や「義経=チンギスハーン説」などを、「トンデモ」だと嘲笑う声がSNSにけっこうあった。

そう言いたくなる気持ちはわかるが、日本の最高の「知識人」たちが100年以上信じてきたマルクス主義だって、キリスト教だって、資本主義は社会主義に必然的に移行するとか、処女が子供産んだとか、「トンデモ」じゃないか。ふざけんじゃないよ。

と、黄泉の国の田中さんなら言うかもしれない。



<参考>


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集