ジャーナリストの「野心」と「災禍」 オウム真理教事件の裏側
さっき、江川紹子氏のwikiを見ていたら、経歴から、1989年秋のサンデー毎日「オウム真理教の狂気」キャンペーンとのかかわりが完全に抜けているのに驚いた。
江川紹子(1958ー)
1982年から1987年まで神奈川新聞社の社会部記者として警察・裁判取材や連載企画などを担当。29歳で退社しフリージャーナリストとなる。
1989年5月、息子がオウム真理教に出家した母親から電話を受け息子の状態について相談され、弁護士の坂本堤を紹介する。そのときはオウムについて何も知らず、連絡もとれないということに疑問を持ち、知合いの弁護士に相談したところ、彼が忙しかったため、同じ事務所の坂本堤弁護士を紹介されたという。その後11月に弁護士一家が行方不明(のち家族全員殺されて発見。坂本堤弁護士一家殺害事件)となって以来、オウム真理教問題の取材に取り組む。
江川氏は、1989年5月に、オウム真理教と信者の親との間に紛争があることを知り、それをきっかけに坂本弁護士と知り合った。
その後、半年ばかりオウムのことはずっと忘れていたが、11月に坂本弁護士一家が「失踪」したから、オウムの問題と取り組むことにした。
ーーという書きぶりになっている。
しかし、それはおかしい。
1989年9月末から、サンデー毎日の「オウム真理教の狂気」キャンペーンが始まり、それで世間の大方は、オウムのことを知った。
サンデー毎日の報道により、テレビのワイドショーが連日オウムを取り上げていた。上祐だの青山弁護士だのが出てきたし、坂本弁護士もよく出てきていた。
その間の騒ぎを、江川氏が知らないはずはないし、かかわりがないはずはない。
そもそもサンデー毎日にオウムのネタを持ち込んだのは、江川氏だと思う。信者の親との問題をいち早く掴んでいたのは彼女だし、彼女は神奈川新聞をやめてフリーになったばかりで、仕事を探していた。
だが、サンデー毎日のキャンペーンと、江川紹子氏との関係は、公式には現在まで隠されている。
だから、江川氏のwikiからも、この部分が潔癖なほど消されているのかもしれない。
*
江川氏は、1989年春時点で、オウム真理教と親との紛争というネタを掴んでいた。
一方、当時のサンデー毎日編集長の牧太郎氏は、1989年9月の段階で独自にこのネタを掴んだ、というような説明を後にしている。
一九八九年(平成元年)九月のことである。
皇居の深い森が眺望できる「サンデー毎日」の僕の席に、ベテラン記者の一人が「相談に乗ってほしい」とやって来た。
「ある母親が、自分の子供がオウムに行ったきり、戻ってこない。警察にも、弁護士にもお願いしているが、新聞、雑誌が書いてくれないと、ことが前進しない……と言うんです」
僕がオウム真理教の名前を耳にしたのは、その時が初めてだった。
(牧太郎『新聞記者で死にたい』中公文庫、2010、p71)
この「ベテラン記者」の名前は明かされていない。
まるで社内の記者のようにボカしているが、十中八九、それは江川紹子氏であり、ネタ元だから、この時点でも隠したのだろう。
当時、牧氏が江川氏を知っていたことは、サンデー毎日の巻末に書いていた「編集長日記」でもわかる。
1989年11月2日(木)
フリージャーナリストの江川紹子さんが『朝日ジャーナル』の仕事で、取材にこられる。テーマは少年犯罪の報道について。
(牧太郎『「サンデー毎日」編集長日記』1992、三一書房、p58)
この時、サンデー毎日は「オウム真理教の狂気」をまだ連載中である。「編集長日記」もオウムの話でいっぱいだ。
それなのに、江川紹子氏と会って、オウムについての話が出ない。いまから考えると不自然でおかしいが、当時はネタ元なので隠していたわけだ。
事実は、オウムについてサンデー編集部で牧氏と情報交換した江川氏が、ついでに、「朝日ジャーナル」の仕事で、当時話題になっていた女子高生コンクリート詰め事件の取材をしたのだろう。
当時の江川氏は、教育問題のフリージャーナリストとして売り出し中だった。
そして、牧氏が江川氏と会った、この日付にも注目してほしい。
1989年11月2日。それは、坂本弁護士一家が惨殺される2日前である。
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坂本弁護士一家「失踪」を、マスコミが報じたのは、11月15日だった。
牧太郎氏は、「編集長日記」で、以下のように書いている。
1989年11月15日(水)
夕刊各紙が、坂本弁護士一家失踪事件を一斉に報じている。公開捜査の方針を神奈川県警が決めたため、報道関係も、ニュース”解禁”を決めたのだろう。
実はこの事件、十一月八日時点でキャッチしていた。坂本弁護士と懇意の女性ジャーナリストが、深夜、「緊急事態でご相談したい」と連絡してきたのである。
(同上 p82)
この11月8日の深夜に緊急連絡してきた「坂本弁護士と懇意の女性ジャーナリスト」が、江川紹子氏であるのは明らかである。
牧氏は、坂本弁護士一家「失踪」を知った夜、江川氏と何を「相談」したのか。
それがわかるのが、日記の11月10日の記述だ。
1989年11月10日(金)
なにかと話題を呼んだ『オウム真理教の狂気』連載を、一応今週号で終えることにする。
(同上、p60)
つまり、11月8日の深夜、牧氏は江川氏からの電話で、坂本弁護士一家がオウムに拉致されたらしいことを知り、殺されたかもしれない可能性まで話し合ったのだろう。
それで、10日までに「オウム真理教の狂気」の連載中止を決めた。これ以上連載を続けると、自分たちもやられるかもしれないと知ったからである。
連載中止は、牧編集長個人の判断かもしれないし、もっと社の上層部の指示だったかもしれない。
いずれにせよ、結果として、「テロ」によるオウムの脅しが効いた形になってしまった。
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江川紹子氏が、サンデー毎日のネタ元となりながら、自分の名前を出さなかったのも、やはり最初から危険を感じていたからではないか。
そのあたりの真意はわからない。
牧太郎氏は、危険は感じていたとしても、組織に守られた自分は大丈夫だと踏んで連載を始めたのだろう。
当時、サンデー毎日は、1989年6月に「宇野宗祐愛人スキャンダル」のスクープを当てて、意気が上がっていた。
「編集長日記」を読んでいても、サンデー毎日が売れている、注目されている、出版の調子がいい、といった景気のいい話が多い。時はまさにバブル期だった。
宇野スキャンダルで有名になり、テレビ朝日キャスターに転身した鳥越俊太郎編集長の跡を継いだ牧氏は、宇野スキャンダルと同等の話題性あるネタを探していた矢先でもあったのだ。
一方、江川氏も、神奈川新聞をやめてフリーになったばかりで、大手メディアとのコネを築いている最中だった。
オウム真理教事件の背景は、牧氏と江川氏という、野心に燃える二人のジャーナリストの存在を抜きに考えられない。
彼らの野心が、ある意味で、事件に火を点けたとも言える。
二人はジャーナリストとして、オウムの報復を警戒していただろう。
実際、オウムは江川氏や牧氏の襲撃を計画し、サンデー毎日編集部を毎日新聞社のビルごと爆破しようという計画すらあったことが後の裁判で明らかになる。
江川氏と牧氏は、警戒を厳重にし、難を逃れたが、警戒心の乏しかった弁護士の坂本氏の一家(坂本堤氏33歳、妻・都子さん28歳、長男・龍彦くん1歳)が、彼らの身代わりとして惨殺されてしまった。
麻原は、本当は牧氏を拉致したかったが、警戒が固くてできなかったから、身代わりに坂本弁護士を拉致しようとして、成り行きで一家惨殺となったことが、後の裁判で明らかになっている。
(麻原には、坂本弁護士を殺害する積極的理由はなかった。裁判で負けているわけではなかったし、坂本弁護士がいなくなっても、他の弁護士が出てくるだけ、と当時、麻原は殺害疑惑を否定するために釈明したが、マスコミもその説明に納得していた。選挙への出馬を考えていた麻原の目的は、サンデー毎日・毎日新聞によるキャンペーンをやめさせることだった。また、麻原は、サンデー編集部に抗議に訪れた時、牧太郎氏に侮辱されたと感じており、個人的に恨んでいたようだ。)
江川氏は、その後、マスコミの前面に出て、オウムの犯罪を追及するようになる。
その功績で、彼女は有名なった。しかし、その追及の動機には、自分のせいで坂本一家を殺されてしまったという罪の意識があったのではないか。
一方、サンデー毎日と毎日新聞は、坂本弁護士一家「失踪」でビビって、オウムの追及をやめた形になった。
もし追及を続け、坂本弁護士事件をふくめた殺人事件を一つでも明らかにできていたら、6年後の地下鉄サリン事件は防げた。
江川氏らの追及にもかかわらず、オウムは1995年の地下鉄サリン事件まで突き進むことになる。
結果的には、江川氏らが追及すればするほど、オウム側は狂乱状態になり、警察の捜査撹乱のためのサリン事件で自滅することになる。
坂本弁護士一家は、「失踪」ではなく、惨殺されたことは、サリン事件でつかまった実行犯の自供で初めて明らかになった。
その後、1997年に、牧太郎氏は、「マスメディアで初めてオウム真理教を追究した」として、日本記者クラブ賞を受賞した。
しかし、誇らしいはずのこの受賞歴も、wikiの「牧太郎」などには記されていない。
二日前の「オールドメディアの『下劣な欲望』」でも触れたが、やはり、その後の裁判で、牧氏の身代わりで坂本弁護士一家が惨殺されたことが明るみに出たのが大きいのではないか。
牧氏にも、江川氏と同様の、罪の意識のようなものがあっておかしくない。
サンデー毎日のキャンペーンは、結果としてはオウムの被害を増やしただけだった。
このことを考えると、今にいたるまで、1989年の「オウム真理教の狂気」キャンペーンでの江川氏とサンデー毎日のかかわりを、江川氏も、毎日新聞の側も、隠したがるのはわかる気がする。
だが、この部分が明らかにならないと、事件の全体像は見えてこないと私は思う。
サンデー毎日のキャンペーンがなくても、オウムの「狂気」がいずれ社会で大事件を引き起こしたかもしれない。
しかし、サンデー毎日のキャンペーンがなければ、坂本一家惨殺事件は起こらず、坂本一家惨殺が起こらなければ、それを隠蔽するためのその後の凶行もなかっただろう。
オウム真理教事件は、ジャーナリストの野心から始まり、ジャーナリズムの敗北に終わった、というのが私の総括だ。
詳しくは「小説 平成の亡霊」に書きました。
有名になりたい、出世したい、というジャーナリストの野心は、悪いことではない。
悪いのはオウムであり、江川氏や牧氏が罪をおかしたわけではない。
しかし、ジャーナリストの野心が、社会の大きな災禍につながることがある。オウム真理教事件は、その教訓であり続けている。
<参考>
