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オールドメディアの「下劣な欲望」

私は井川意高氏のファンではないが、彼は時に鋭いことを言うし、彼ならではの情報を漏らす。

昨日の以下のポストなどがそうだった。


ちょっと前に
講談社の役員会で
週刊現代を
休刊(つまりは廃刊)
にするかが
議題に上り
野間社長は
リアリストだから
休刊にしたかったけど
「企業などの
スキャンダルを書く
媒体を持ってないと
広告収入が
減るかも知れない」
って意見で
休刊免れたらしい
じゃねえか

総会屋ビジネス と同じだろ
(井川意高 2025/11/12 12:16)


この講談社の役員会の話、真偽はわからないが、いかにもありそうな話だ。

いまや週刊文春ですら、毎号赤字らしく、経営的な悲鳴が聞こえてくる。

他の週刊誌はもっと苦しいだろう。

でも、なかなか潰れない。

週刊朝日は一昨年潰れたが、それより苦しいはずのサンデー毎日はまだ潰れない。

経営者が赤字媒体を潰さないのは、それなりの理由があるということだ。


出版業界にいた実感から言えば、こういう赤字雑誌は、社内的にも迷惑だ。

いくら一方で稼いでいても、一方で赤字を垂れ流しているのでは、やる気がなくなる。

その赤字の分まで、余計に働かなければならなくなる。


それでも、

「スキャンダルを暴く媒体を持ってないといけない」

というマスコミ経営者の強迫観念は、リアルだ。


経済合理性を無視して生存する「週刊誌」は、いまやメディアの本質である「スキャンダリズム」を象徴する存在となっている。

井川氏のいう「総会屋ビジネス」だ。



ちなみに、「総会屋」的なジャーナリズムを、日本語で「ブラックジャーナリズム」と言うが、この言葉は差別的だ。

英語でblack Journalismといえば、「黒人の(黒人のための)ジャーナリズム」という意味にしかならないだろう。

ホワイト企業とかブラック企業とかいう言い方も、本当は人種差別的なのに、日本の左翼が何も言わないのはおかしい。

というか、差別にうるさいはずの左翼が率先してブラックとかホワイトとか言っている。感覚がおかしい(私もつい使ってしまうが、私は左翼じゃない)。

ついでに、扇情的なジャーナリズムを「イエロージャーナリズム」と言う英語について、黄色人種は怒っていいw



まあ、それはともかく。

もちろん、週刊誌は「象徴」であって、スキャンダリズムは、その他のメディア、新聞にもテレビにもある。


一般に19世紀の新聞は、明治時代の日本の新聞ふくめて、センセーショナリズムだった。

しかし、欧米でも、日本でも、「そういうのはよくない」と、次第に「真面目なジャーナリズム」を目指すようになる。


だが、「真面目なジャーナリズム」だけでは経営的にやっていけない、というメディア経営者の本能のようなものは存続した。

それが、週刊誌や、夕刊紙や、テレビのワイドショーようなものを産んだ、と言えるだろう。


真面目なジャーナリズム、「本番のニュース」の基準では怪しくて使えないようなネタを、週刊誌や夕刊紙やワイドショーで使う。

それで、読者や視聴者からカネをとり、メディア総体としての影響力を増やし、井川氏が言うように、企業その他への「脅し」にも使う。


メディアは、自分たちは立派なことをやっている、と胸を張るときは、高い基準にもとづいた「表の顔」だけを見せる。

しかし、一方で、基準を下げた媒体である週刊誌やワイドショーがあることは黙っている。



19世紀に横行したスキャンダリズムは、そのように、現在も主流メディアの中に「隠れた形」で存在する。


日本のイエロージャーナリズムの代表として、よく取り上げられるのは「萬朝報(よろずちょうほう)」だ。

明治時代、東京でいちばん部数が多かった新聞だ。


日本では、英語のイエロージャーナリズムに当たる言葉として「赤新聞」という言葉があった。これは、共産主義の新聞ではなく、萬朝報のことで、紙面がピンク色だったから、スキャンダリズムの代名詞になったのだ。

有名人のスキャンダルを好んで取り上げた。

センセーショナリズムの特徴は、社会的事象、社会的関心事ではなく、「有名人」個人のプライバシーに焦点を当てがちなことだ。これは洋の東西を問わない。


「萬朝報」のような低質で下品なスキャンダリズムは、「朝日新聞」や「毎日新聞」のような高級紙の登場によって駆逐された、というのが、日本のジャーナリズム史が説きたがる物語だが、ことはそう簡単ではない。

「朝日新聞」や「毎日新聞」の週刊誌媒体に、スキャンダリズムが引き継がれた面がある。


「萬朝報」のヒット企画として有名なのが、著名人の愛人を暴くという企画だった。

森鴎外の愛人なども暴かれている。


その企画を現代によみがえらせたのが、1989年春の「サンデー毎日」の「宇野宗祐愛人スキャンダル」報道だった。

しかし、スキャンダリズムとして否定されることはなく、むしろ大絶賛され、サンデー編集長だった鳥越俊太郎は、テレビ朝日のキャスターに抜擢された。


私は、当時から、これが不思議だった。

同じ思いの方は、私以外にもいる。


宇野宗佑を下品なスクープでつるし上げたあたりから、左翼は全く変わってないんだな…と思う。

彼らは、あの時に「下衆の勘繰り」と女性の「ゆるせなーいの声」だけで政局をを動かす成功体験しちゃったんだと思うのね。

(狸穴猫/松村りか 2025/11/5 0:56)


この狸穴猫さんは、サンデー毎日の宇野スキャンダル報道について、noteでさらに詳しく記事に書かれている。


当時も、一部から、こんなのはただのスキャンダリズムだという批判はあった。

そこでサンデー毎日の鳥越編集長は、宇野愛人報道が単なるスキャンダル報道ではない理由として、「愛人を持つのは女性差別だ」といった論理を展開していた。いわば、「人権問題」だとしたのだ。

つまり鳥越氏は、「全女性の味方」みたいなボジションをとった。

そういうカッコいいことを言ったために、のちに自身が女性スキャンダルでやられた時、狸穴猫さんが書いているように、余計カッコ悪いことになった。


ともあれ、ただのスキャンダリズムなのに、結果として、「右翼」である自民党をへこませ、土井たか子の社会党を躍進させたから、「ジャーナリズムの大勝利」のように言われたのだ。

その「成功体験」から、次に何が起こったか。


鳥越俊太郎氏がテレビ朝日に引き抜かれた後、副編集長から編集長に昇格した牧太郎氏は、1989年秋から「オウム真理教の狂気」キャンペーンを始める。

サンデー毎日としては、時の総理を倒した勢いで、怪しげな新興宗教団体など簡単にひねり潰せると思ったのだろう。

「真面目なジャーナリズム」である新聞本体では、憲法の信仰の自由を尊重するから、宗教団体を攻撃できない。しかし、「基準を下げたジャーナリズム」である週刊誌なら、できると思った。週刊誌ならではの宇野スキャンダルの成功を、そのように引き継ごうとしたのだろう。


しかし、「基準を下げたジャーナリズム」で、大新聞から攻撃されたオウム真理教は、狂乱状態で反撃し、「坂本弁護士一家殺害事件」を起こし、最後には地下鉄サリン事件という大惨事につながる。

オウム真理教事件も、週刊誌スキャンダリズムが引き起こした悲劇の一つだった。

もっと言えば、「宇野宗祐」愛人スキャンダルを、ジャーナリズムの勝利だともてはやした結果、起こった被害がオウム真理教事件だった。

ーーというのが私の見方で、それを描いたのが「小説 平成の亡霊」なので読んでね。


付記
(いまだにTBSが放送前のインタビュー映像をオウムに見せたから坂本弁護士一家が殺された、という誤解がありますが、そうではありません。

TBSが問題になったのは、映像を見せた事実を隠そうとしたからです。映像を見せたのは事実ですが、それが坂本弁護士殺害に直接つながったわけではありません。

それについては、以下の記事に書きました。


裁判で明らかになったのは、オウムはサンデー毎日の牧編集長を拉致したかったが、毎日のガードが固くてできなかったので、無防備だった坂本弁護士が代わりに狙われ、結果的に一家惨殺になったということです。

もちろんオウムが悪いのです。しかし、地下鉄サリン事件の直後は、オウムを最初に問題にしたと毎日は自慢していましたが、その後、サンデー編集長の身代わりで坂本弁護士一家が殺されたことが裁判でわかり、毎日側も、あまり自慢しなくなりました。

最初にオウムの危険性に気付いたなら、なぜサリンが起こるまでの5年間、毎日は何もできなかったのか。そういう疑問も残ります。)



それはともかく、宇野スキャンダル報道を典型として、ここには、スキャンダリズム・センセーショナリズムと、左翼主義との合体がある。

(オウム真理教報道の背後にも、有田芳生など、左派系の唯物論者の宗教嫌いがあったと私は思っている)


もともと、スキャンダリズムは、左翼や右翼など、少数派の政治勢力が政治手段として使う武器でもあった。

予算がない映画製作者が、予算がなくても作れるゾンビ映画で一発当てようとするように、「汚い」手法で、一発逆転を狙おうとするのである。


「週刊朝日」や「サンデー毎日」は、日本最古の週刊誌で、当初は新聞の日曜版が雑誌化したようなものだった。ファミリー向けで、戦後ある時期までは、それほど政治色はなかった。

しかし、1970年代くらいから、こうした新聞社系週刊誌も政治色が強くなる。

おそらく、新聞社全体に左翼が増え、その中でも新聞本体で使えないような過激派が、出版局の週刊誌部門に吹き溜まる傾向があったのではないか。


朝日ジャーナルや週刊朝日は、渡部昇一を叩いたり、横山やすしの右翼政治団体を叩いたり、橋下徹を叩いたり、彼らから見て「右」であり「敵」である対象を攻撃して、度々「事件」を起こしてきた。

その一方で、週刊朝日は、サラ金の武富士からカネをもらってヨイショ記事を書く、というまさに総会屋ビジネスのようなこともやっていた。そういう悪行の末の廃刊だった。


事実として、新聞社系週刊誌は、多くの有名「左翼」を輩出してきた。


筑紫哲也  朝日ジャーナル編集長→TBSキャスター

鳥越俊太郎 サンデー毎日編集長→テレビ朝日キャスター→都知事選左派候補

北村肇   新聞労連委員長→サンデー毎日編集長→週刊金曜日編集長・社長

浜田敬子  AERA編集長→左派系テレビコメンテーター

ーーなど。


朝日・毎日では、井川氏がいう「総会屋ビジネス」の目的にくわえ、社内に溜まりがちな「左翼的欲望」を発散するための媒体としても、週刊誌が必要だったようだ。

かつて新聞社は、読売も産経も、週刊誌を持っていたが、いま週刊誌を残しているのは朝日(AERA)、毎日(サンデー毎日、エコノミスト)だけである。(かつての週刊サンケイは「SPA!」になった)


新聞社はどこも経営が苦しいはずなのに、朝日・毎日は(現在は出版子会社から出しているとはいえ)、経営の合理性を犠牲にしても、どうしても週刊誌を出しつづけたい。

そこに朝日・毎日の、特別な「欲望」を感じざるを得ない。



話が、新聞社系週刊誌のほうに流れてしまったが、こうしたスキャンダリズムのありようは、もちろん他の出版社系週刊誌や、テレビのワイドショーにも共通している。

斎藤元彦兵庫県知事の「スキャンダル」は、まさに「総会屋ビジネス」と「左翼的欲望」が合体した、現代のセンセーショナリズム、基準を下げた、下劣なジャーナリズムの記念碑のようだった。


マスコミ自身は、なぜ自分たちがネットでこんなに評判が悪いのか、わからないかもしれない。

こんなに「真面目なジャーナリズム」を日々やっているのに、と。

私も業界にいたから、そういう感覚もよくわかる。


でも、「真面目なジャーナリズム」の下の、下劣な欲望が、人々の側からは見えている。

そこにメディア自身が気づかなかれば、メディアの再生もないだろう。



<参考>



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