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安藤馨・一橋大教授の「参政党否定」論文 参政党をバカにしているのか、朝日をバカにしているのか アイロニーを読み解こう

安藤馨・一橋大教授(法哲学)の朝日新聞での連載、3カ月に1度の「憲法季評」が、また話題になっている。


今朝の朝日新聞の「憲法季評」。
参政党は技術的に拙劣であるとし、
そのような参政党の躍進を受け、
『低能力者には選挙権を与えない』
『高能力者には複数票を与える』という
民主主義の根幹を否定する
過激な提案がなされています。
(プロトラの選挙分析チャンネル 2025/8/13 11:08)


安藤教授は、参政党に投票するようなバカの選挙権を認めてはいけない、という「過激な提案」をしているのだろうか。

そうではない。そう読むのは誤読である。


安藤教授の朝日連載は、このnoteで何度も取り上げてきた。

安藤のこの連載は、私が見るところ、朝日の読者を挑発するのが目的だ。

朝日の読者が、常識のように感じていることを、ひっくり返してみせる論理の技が読みどころなのである。

この原稿もそうだ。一見、参政党をバカにしているようで、朝日の読者もバカにしている。そのアイロニー(皮肉)をこそ読み解くべきだ。


原文を読みたければ、以下のような「プレゼント」ポストから、時限つきで読むことができる。




まず、安藤は論文前半で、むしろ参政党の「日本人ファースト」の主張を肯定している点を見逃すべきではない。

「日本人ファースト」の批判者は、日本人も外国人も同じ人権を有しているのに、参政党は「基本的人権」を知らないのか、と参政党をバカにする。


しかし、安藤は、まさに前回の朝日連載(5月15日付)で、以下のように「国民と国民以外」で、憲法上の人権に差があることを書いている。参政党の「日本人ファースト」に、あらかじめ法哲学的根拠を与えているのである。


福祉国家は、国民と国民以外の間で道徳的地位の差異が存在することを前提とし、日本国憲法25条が保障する日本国民の生存権も、政治共同体を共有する「国民」の同胞意識抜きには成立困難である。
(安藤馨 朝日2025/5/15)


その点は、今回の原稿でも繰り返されている。これは参政党への力強い擁護である。

前回の本欄でも触れた通り、政治共同体はその構成員に外部者よりも優先的に配慮するべきである、という意味においてであれば、そのような優先性は福祉国家の基盤でもあり、なんら奇異な主張というわけではないだろう(それを否定する方がむしろ政治的には「非常識」に属しよう)。

(安藤馨 朝日2025/8/13)


つまり、安藤は、参政党の「日本人ファースト」を「排外主義」と批判するのは、的を射ていない、と言いたいのだ。


では、参政党の問題は、どこにあるのか。

安藤は、「参政党の主張は、陰謀論の影響など、事実認定に難がある」と述べる。


しかし、ここでも、参政党支持が、外国人が多い自治体で高いことに触れ、


外国人労働者が多いことで知られる自治体における参政党支持率の高さは、排外主義的傾向が、外国人労働者と日常実際に接する機会があり、在留外国人を巡る現実を知っているという体験的知識によって支えられている側面があることを示していないだろうか。これらの意味において、排外主義の無知を単に嗤(わら)ったり非難したりしてみせることは二重に的外れであ(る)


と、「排外主義批判」が的外れであることを重ねて指摘し、参政党を擁護している。


それに続くのが、問題になっているくだりだ。


憲法15条3項は普通選挙を定めているが、合理的判断能力の有無に無関係に選挙権を等しく賦与する民主政には、残念ながら、有権者の不合理な事実認識によって政治的決定が左右されるという、政治的無知への脆弱(ぜいじゃく)性の問題がある。政治的選択に関連する事実的知識や判断能力に応じて、高能力者には複数票を与えるとか、低能力者には選挙権を与えないといった政治制度は智者政(エピストクラシー)と呼ばれ、政治的無知の影響を免れやすいとされる。選挙権の行使は国民一般に重大な影響を与えるのだから、医療行為のように一定の能力水準を満たした者にのみ許されるべきだと考えてはいけないのだろうか。我々は拙劣な医療にさらされない権利を有するがごとく、拙劣な政治にさらされない権利を有してはいないのだろうか。


しかし、安藤はそれに先立ち、「不合理な事実認定」は参政党だけの問題ではなく、

参政党に限られたものではなく、左派政党とその支持者にも見られる。また米国でもMAGA(米国を再び偉大に)系のトランプ支持者などに見られるように、この問題は党派を問わず現代の民主政全般の問題なのである。


としている点を、まず押さえるべきだろう。


「事実的知識や判断能力」が怪しい政党を選んでしまうのは、参政党だけの問題ではなく、「民主政全般」の問題なのだ。

そこで、安藤は、民主政に対する「智者政(エピストクラシー)」のメリットに言及するのである。


では安藤は、参政党のような政党が選ばれないように、民主政をやめて、「智者政」にすべきだ、と言っているのだろうか。

そうではない。


朝日の読者は、参政党が嫌いだ。それは安藤も知っている。

朝日の読者は、参政党は排外主義で、外国人を差別するから嫌いなのだ、と自分たちでは思いたい。

しかし、安藤は、排外主義批判は的外れだ、とまず指摘する。

そのうえで、朝日の読者に、

「結局、あなたたちが望んでいるのは、『智者政』なんでしょう? 差別反対とかは言い訳で、あなたたちは利口だから、バカを差別したいんでしょう? わかります、わかります」

と言って、皮肉ってるのである。

その皮肉がわからないと、「安藤馨」を読んだことにならない。



最後の段落では、


興味深いことに、参政党は候補者に占める女性比率も目立って高く、政治資金も党費や寄付といった支持者の自発的拠出によって多くを賄っている。そのことは政治参加の観点からは高い評価を受けてしかるべきであろう。参加の価値は合理性の価値を打ち負かすに足るか。私は果たして選挙権を有するに値するか。


と書いている。

「女性も多いし、自発性も高い参政党が嫌いなのは、バカが嫌いだからでしょう? 女もバカだと思ってるんでしょう?」

としつこく挑発している。

実にイヤミだが、痛快だ。


安藤は、民主政を肯定しているわけでも、「智者政」を肯定しているわけでもない。

「私は果たして選挙権を有するに値するか」

という一文は、

「朝日の読者であるあなたは、参政党をバカにできる『智者』の側だと本当に自信が持てますか」

という哲学的問いを突きつけているのである。


なお、安藤馨氏に、参政党を敵視する理由がまったくないわけではない。

安藤氏は、世代間格差を解消し、氷河期世代を利するのは、国民民主党だ、とどこかで発言していた。

その意味で、国民民主党を支持していると思われ、参政党をライバル視している可能性はある。



<参考>



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