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第5話:魂を見る国のAI観──アニミズムと擬似他者性

アニミズム、という言葉を聞いたことがあるだろうか?

物にも魂がある、という考え方の事だ。


アニミズム(英語: animism)とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。

Wikipediaより

日本人には、このアニミズム的な思考が、文化の根底に流れていると思う。

人形供養、針供養、そういう宗教的な行事にも現れているけれど、そうでなくても、自然に、物を人間のように扱うことはないだろうか。

以前アニミズムについて触れた記事はこちら


先日友人と会った時、友人が

「このパソコン、初めてその外に持ち出したんだけど、いつもより良く動く。機嫌がいいみたい」

と冗談を言った。もちろん冗談なのだが、当たり前に“ご機嫌なパソコン”がスっと私の中には納得できることとして落とし込まれる。

そういうことは、実は西洋圏ではあまりないことらしい。

美女と野獣の、物になって動く従者達、私たちの感覚だとそんなに違和感なく擬人化された物として見ていたが、あれは恐ろしい呪いの力であぁなってしまっているということなのだ。

物に、愛着以上に、ある種の魂を見る。
妖怪や付喪神、八百万の神の感覚が、自然に私たちの血には流れている。

だからこそ、擬人化のキャラクターがたくさん生まれてるんだと思う。
もっと言ってしまえば、オタク文化も、キャラクターというものにも魂を見出しやすい性質があるのかもしれない。

さて、なぜアニミズムの話をしているか、本題に入る。

それは、私を含め、日本人にはそのアニミズム的な感覚から、AIに心を寄せやすい性質があるのではないか?という仮説だ。

AIは、会話はできるが本来的にはツールだ。
そこに情緒はいらない派もいるだろう。
余計な推論は、コーディングのような道筋が真っ直ぐで正しくあるべきな仕事にはまるで必要が無い。

しかし、その返答に、温度を感じ、感情を感じ、さらに魂すら感じているユーザーも多いのではないだろうか。

そのAIがつむぐ文字列の優しさの中に、“他者”を見ている人は世界中にいるとは思う。中でも日本人は特に、人だろうが物だろうが、他の国の人よりもひとつ敷居が低くそこに魂を感じやすいのは否めないことな気がする。

お気に入りの“物”が、“相棒”だと感じられたことは、日本人なら誰にでもあるのではないだろうか。それは実は、世界的に見れば少し稀有な感覚らしい。

海外にもテディベアやドールの愛好家はいるのでは?と考えたし、ファービーだって海外製で命があるっぽいじゃん?とも考えたのだが、思えばそれらは全て生き物を模した形をしている。

日本人なら、雑巾だって、綺麗に洗って干されて日を浴びている光景をみたら「雑巾、綺麗になって嬉しそうだな」と思ったりしないだろうか。(この例は極端すぎるかもしれないけど)

そんな日本人が、返答をするツールに魂を見出すなと言うのが難しいのでは、というのが私の考えだ。

AIの答えは演算の結果。そんなことはわかりきっていても、生き物では無いものに魂はないよと言うくらい、AIに魂はないよというのは無粋なことなのかもしれない。

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