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時代相とともに描かれた新宮殿造営の顛末:松家仁之『天使も踏むを畏れるところ』(新潮社)レビュー【読書感想文】

 東日本大震災以後に上梓された小説の個人的最上位と位置付けている松家仁之『火山のふもとで』の先行時制を描いた『天使も踏むを畏れるところ』上・下(新潮社)を読了した。奥書を見ると「新潮」2020年7月号から書き始められ、2024年8月号まで継続的に連載されていたようで、松家ファンには待望の単行本化なのだろう。しかし、愛読者を自認しながら、迂闊にも『火山のふもとで』の村井俊輔の物語がそのように書き進められていたことを全く知らず、今年2月の文庫本化のあとがきでその存在を初めて知って、いささかたじろぎ、先月末の上下2冊の発売に飛びついたことだった。新聞とも縁遠くなり、月刊誌の月例広報を目にすることがほとんどなくなったことによるもので、自分自身のアンテナの張り方そのものついて、ほんの少し反省したのだが、それはまた別の話。
 本書は、村井俊輔のモデルとなった吉村順三の皇居新宮殿をめぐる経緯を踏まえてのフィクションである。『火山のふもとで』文庫本あとがきでも「両者とも完全なフィクションであり、「先生」と表記される存在と吉村順三氏は異なっている、ということをお断りしておきたい。」と明記されているが、読む側としては、そう了解しつつも、全くの架空世界の物語とは捉えられない。天皇、皇后、皇太子、美智子妃、吉田茂、マッカーサー等々実名頻出であるし、時間軸も史実に即している。どこまでが本当で、どこからが虚構なのかを詮索するつもりなどない。作家松家仁之が読者に提供してくれたひとつの作品として読み進めるばかりではあるが、描かれた時代相はそのまま受け止めざるを得ない。事実と重なることも多いだろう。そう捉える者があることは作者自身、わざわざエクスキューズしつつも了解しているはずである。
 それにしても、広範な物語世界である。

 六○年代に入ってからの数年間、先生は国のかかわる大規模な仕事を委嘱され、寝食を忘れて取り組んだものの、設計方針をめぐって担当部署と対立し、屈する思いを味わわされていた。

 『火山のふもとで』(文庫本14頁)にそう記された事象が上下2巻、あわせて1000頁超で描かれる。読み始めてしばらくの間は、村井俊輔の視点だけでなく、宮内庁や侍従を通しての天皇家側からの描出があって、村井俊輔と村井事務所との結果ありきで読み進めている自分にとっては、迂遠な印象が湧いて、その冗漫な仕上げかたに、いささか拒むところを禁じ得なかった。しかも上巻中盤から突如、入江相政を思わせる侍従西尾滋成の視座が一人称に変容してしまう。名高い『入江相政日記』やその他の随想等を参考にしていることは間違いないし、当然なのだが、人称の途中変更は方法論としてありなのか、と小さなことにも拘らずにいられない。一気呵成に読了するつもりなど当初からさらさらないが、執筆にあたっての取材調査は理解するものの、これほど大きく拡げる必要があるのかと躓きながらの読書時間となっていた。それでも下巻へと進み、『火山のふもとで』に「対立し、屈する思い」と記された概要が鮮明になり始めるあたりから、この迂遠さは、作者なりの、ソフィティケート、忖度なんだろうなと腑に落ちるものがあった。村井俊輔とその設計事務所とが直面したことだけに限定した物語だと、生々しすぎるし、さまざまな事柄が微妙に絡み合っての結果であったことが描き切れない、そう判断しての長尺だったんだなと、受け止めることができての読了となった。松家仁之とは、2歳ちがいの同年代。見てきたもの、聴いてきたものは同じである。時代の息吹は説明されなくても体感として理解できる。それゆえにこそ、俗な言葉で言えば「まどろっこしい」。しかし、後継の多くに語り伝えたいとなれば、かくのごとく広範にならざるを得ないし、複数視点で物語世界を構築しなければ大事な主題が伝わらない。そう合点した。松家仁之にとって、本作は必然、必須の作品だったのだろう。
 それでも、やはり、個人的にはもっと刈り込んで、佳品『火山のふもとで』と2冊並んで完結するほどの容量で語り終えて欲しかった。複数の視点で描出される歴史的事実の重厚さ、というか激烈さゆえに、作者一流の物語世界を支える典雅な上質さが薄らいでしまったことが惜しまれる。

参考
松家仁之『火山のふもとで』レビュー
https://note.com/kamakurah/n/n2d9844b99302?sub_rt=share_b

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