芥川賞二作の世界観に共振できないのは受容力の老化か:鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』、安堂ホセ『DTOPIA』レビュー[読書感想文]
今期芥川賞の候補作が報じられた昨年末から、いくつかの下馬評を斜め読みして鈴木結生氏の『ゲーテはすべてを言った』への関心、期待大なるものがあった。タイトル、題材が、そもそもからして自分好み。若くして読書量深淵、博覧強記と前評判聞いて、心浮き立つものがあった。楽しみ!掲載誌や年明けすぐの新刊店頭陳列本に、何度も手を伸ばしかけた。しかし近時の受賞作に対する苦い経験(笑)から1月の発表、2月の文藝春秋発売までじっと堪えて待っていた。安堂ホセ氏との二人受賞。その結果についても、実にただただ個人的な経験値によるものながら、さまざま思いが交錯していた。結果発表後、鈴木氏を絶賛するweb記事等、散見されたが内容立ち入らず、じっとガマン、ガマン。できるだけ白紙の状態で読もうと、待ち続けていた。大袈裟、だったかな。
そして、いよいよ2月10日。帰宅途次、横浜有隣堂ルミネ店で月刊文春二月号を購入し、カバーをかけてもらってリュック(通勤鞄として利用している)に詰め込みもせず、そのまま東海道線に乗って頁を開いた。あえて受賞の言葉は無視。きっと良い読書時間になるだろう。おそらく、その期待が大き過ぎたのだろう。どうしてか「端書き」と始まる本文に、心逸らない。「義父・博把統一」、? いきなり読者を試す、これはなにか特別な名前なのか。ドイツ文学者という設定は予め了解済み。しかしなぜか、読むための車輪が滑らかに動き出してくれない。iPhoneなのかandroidなのか明示されていないが、スマホが「済補」。若い人の感覚に文句を言うつもりはないが(と文句か、これは)、この文字遣い、当て字は何 ? ペダンティック、という類の趣味的用字と受け止めればいいのか。ことほどさように、あれこれ、躓く。恩師の名前も、芸亭學、娘は徳歌、命名に意味あるのかと勘繰らないではいられない。これが分かりますか、と問われているのだろうか。並んでいる小道具、作家や音楽家の名前は、自分の趣味に合致、なのに、何故だろう。小林秀雄の全集読み、グールドのバッハ、ゴールドベルクについてもあえて81年盤ですよ。大江健三郎、丸谷才一、などなど書き写したらキリがない、どの名前も、大事にしてきたもの、ほぼ同じ。カプレーゼや仔牛のカツレツ、ニョッキ、と食べるものの趣味も範囲内。アカデミックな道具立てで一貫させるかと思いきや、大晦日に紅白観てるし、ゲームに興じている風もある。裾野広すぎ、でもそう書くあたりもよく分かる。そして本筋は、ゲーテの標題となった言葉の出典探し。学会での盗用騒ぎまで組み込まれて、三田で暮らして、テレビにも呼ばれて、みんなでドイツ旅行して、大学院まで進んで、そういう家族がいるんだろうな、ということ、理解できないわけではない。でも、これはなに。深く広い教養を、こうした世界観で小説にして、読む側に何をもたらそうとしているの。読む側は、何に抒情を感じて、感動すればいいの。小説に抒情、感動が不可欠とまでは言わない。教義的、衒学的なるものに感心して、凄いね、立派だね、と思うしかないじゃないの。興味深くはあるけど、この提示された世界観に共振できない。共鳴できなかった。面白くない。選考委員のコメントも読んだ。それでも受け止めきれない。数えで古希を迎えようとしている者(これは今年の年賀状に、芥川賞受賞者で同い年の保坂和志氏が書いてきた表現です)には、もう無理なのかな。受容力のなさを認めるしかないのかな、と期待が大きかった分、落胆度が深い。もう一度読み直せば、違う印象になるのかな、と自分自身の思いを上手く整理できないでいる。
ならば、ともう一つの安堂ホセくん。こちらは『ジャクソンひとり』が全くお手上げだったので、危惧あるものの、受賞作ならと選考委員の後押しも踏まえ、読み始めてみた。文体スッキリ、速度感ありで、これは行けるかな、と思う間もなくすぐ、タイトルの設定、恋愛リアリティショーで、挫折。なんなんだろう、この風景。それでも、めげずに先を進めたものの、全員を相手に試す、という展開についていけない。読むのを投げ出すのも癪だから(つまらない老人の意地です・笑)、読み通しました、結末まで。われながら頑張った(頑張って読むものではないこと重々承知)。ブラックミックス、トランスジェンダー、核問題まで、ただ恋愛ゲームが決着するだけでなく、現代にあっての諸問題について触れている。そのあたりも評価されているらしいのだけれど、そうしたことは、ここで小説としている座組でなければ表現できないものなのか。読み通すのが辛くて、しんどくて、主題そのものをきちんと受け止めきれない。『ジャクソンひとり』よりは、いくらかよかった、、、ような気がする。でも、それだけ。相性の問題なのかもしれない。動機、必然性はきっとあるのだろう。しかし世界観を理解することまではできなかった。
若い才能の登場は大歓迎である。日本の文学シーンを、どんどん刷新してもらいたい。そうした新しいものに触れ合いたい、共振したい。応援したいし、眩しくみつめたい。大江健三郎に教えられて「新しい人」の登場を信じているし、「新しい人」がきっと成し遂げてくれると期待している。それでも、面白くないものは、面白くないといわせてほしい。分からないものは分からない、と言わせてほしい。
受容力は減退しつつあることは自認している。それでも、若い才能の作品に深く感動することだって、決してないわけではないのだから。
参考
「ジャクソンひとり」が分からない
https://note.com/kamakurah/n/n225bc8c2714c?sub_rt=share_b
「新しい人」ー未来のためにできること
https://note.com/kamakurah/n/n08186c3f30ef?sub_rt=share_b
