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プロトタイプと選手対策と「上得意様」

「日本楽器製造(株)」が「ヤマハ株式会社」に社名を改めたのは1987年。ヤマハがアーチェリーから完全撤退したのが2002年です。

ヤマハの世界戦略が動き出したのは1969年です。ヤマハは1970年に世界チャンピオンのハーディー・ワードを招待し、「YG」を使用してのテストとデモンストレーションを日本各地で行います。この前年のバレーフォージ世界選手権でハーディー・ワードが使ったのは、Hoyt「4pm」で、もちろんどれもがまだ木製ワンピースボウの時代です。

World Champion
Hardy Word

そしてヤマハは1972年に「4pm」に対抗して、トリプルロッドを前提としたビルトインダンパーを装備した「Ysl」を発表します。それに対し、Hoytは「5pm」を発売し、1974年には5pmと形状は同じで、木材部分に樹脂を注入した「6pm」を出しますが、この「Hoyt 6pm」と「ヤマハ Ysl」がワンピースボウ最後のモデルとなります。

Hoytは1972年ミュンへオリンピックで、初のテイクダウンボウをデビューするべく「TD1」の準備を進め、ジョン・ウィリアムスとドリーン・ウィルバーはそれを使ってゴールドメダルを獲得します。普通ならこれだけの宣伝と実績で世の中は一気に「TD1」に席巻されたでしょうが、Hoytおじさんは大きな失敗をします。オリンピックに照準を当てて急ぎすぎた「TD1」は、性能とは別にグリップからの折損が相次いだのです。
そのため、Hoytのテイクダウンボウが実際に販売されたのは、3年後の「TD2」からでした。「TD1」は市販されることなく、栄光の「プロトタイプ」(試作モデル)で終わったのです。

ところで、ヤマハ「YX」というモデルを知っていますか? このモデル名は、ヤマハがプロトタイプの弓に付けていた名前です。
例えばこの弓は、形状は「Ysl」ですが「YX」の刻印が押してあります。市販の「Tsl」は茶色のウォールナットの弓ですが、これは軽量化のためにカエデの白い木材とローズウッドが使われています。

このように「YX」は市販されていない弓と言うことですが、ヤマハはテイクダウンボウになってからは、この名称を「Citation」に変更しました。
このハンドルは「Ytsl」がベースですが、グリップやダンパーを変更した世界選手権で使用したハンドルです。

このような「プロトタイプ」を使用してメーカーが行うのが、テストシューターによる「実射テスト」と「選手対策」です。耐久テストは機械で行いますが、この2つはアーチャーによって行われます。しかしトップアーチャーとは限りません。
実射テストの目的は、その弓が良いか悪いか、使い易いか難いか、当たるか当たらないかといった「評価」です。それには、それが分かる幅広い層のアーチャーが必要です。
そして選手対策には、実射テストも含まれますが、「プロモーションや宣伝」が目的です。そのため、トップアーチャーだけでなく、各地域のオピニオンリーダーやジュニアなどに使ってもらうことも重要です。

このような「プロトタイプ」によるテストやプロモーションは、ヤマハに限ったことではなく、どのメーカーにおいても行われていました。しかし分かると思うのですが、新しい弓、新しいモデルを作ろうとすれば、実射テストや選手対策に少なくとも「1シーズン」は掛かります。問題があれば、Hoytのテイクダウンのように数年を要するのです
ところが今のメーカーのモデルチェンジは、毎年のように行われているのが現実です。しかし、そこにはテストやプロモーションの跡が伺えません。宣伝文句に踊らされて、高い金を払ったユーザー自身がテストシューターなのです。
そんなテストも行わない弓に問題が発生しても、翌年には改良版としか思えない弓が、「新製品」「ニューモデル」として新発売されている現実を知るべきです。
そして、評価の定まらない高価な弓を、宣伝文句とカタログだけで初心者から上級者まで買ってくれる、日本のアーチャーは「上得意」のお客様なのです。

世界初の「カーボンリム」発売前、
1977年ダレル・ペイスが使用していた白塗りのプロトタイプ。

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亀井 孝のアーチェリーノート 貧しいアーチャーです。点数はお金で買えませんが、もしこの記事があなたのアーチェリーに幸運をもたらすと思われたら、チップをお送りください。 きっとあなたのアーチェリー人生は、素敵なものとなるでしょう。