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第二話 胸に秘めた水風船(心霊鑑定士 加賀美零美 1)

 笠原奈津紀が帰った後、夫の和彦が奥の部屋から声をかけた。
 
「さっき来ていた女性は、どんな人だったの?」
「浮気がやめられない男と別れられなくて悩んでいる人」
「別れたくても別れられないってこと?」
「そう。多分、別れるのは無理だと思う」
「……何か、視(み)えた?」
「彼氏の生霊が彼女に憑(つ)いていて、私を睨んできたからこっちも睨みかえしてやったわ」
「そうなんだ……」
 
 和彦は頬杖をつきながら、この人本当に気が強いなと思った。零美と結婚して十年になる。小説家を生業(なりわい)とし、いつも傍で零美の仕事を見守ってきた。強い霊と対峙して入院するなど心配は尽きないが、彼女にとってこれが天職なのだから仕方がない。
 
「今日は、君の好きなシチューだ」
「えっ、本当? 嬉しいなあ。あなたの作るシチューは最高だもの」
「今日はもう、お客さんは終わり?」
「うん。もう今日はお終い。いただきまーす!」
 
 零美は高校を卒業した後、すぐに今の仕事を始めた。元々霊感が強く、子どもの頃から霊障に悩まされていた彼女をサポートしてきたのは、霊能者であり心霊研究家でもある加賀美志保、つまり和彦の母だ。
 
 零美は志保からいろいろと教えられるうちに、彼女の生き方に共感。自分も、悩める人々を救う手助けがしたいと思うようになっていった。
 
 和彦は零美の二歳上で、初めて家に来た時から彼女の不思議な魅力に心奪われた。大きな瞳に、長いまつ毛が可愛らしい。年齢よりも大人びた考え方をする。外見は可愛い女の子なのに、内面は男っぽい。そんな彼女のギャップが魅力的に映った。
 
 和彦には霊感など全くない。だが、祖母も母も視える人なので、そういう人も確かにいるという感覚である。零美が初めて出会った年の近い善き理解者が、和彦だったのだ。二人は共に惹かれ合い、自然の流れで愛し合うようになり、結婚することになった。
 
「本当に、あなたのシチューは最高に美味しいわ。おかわりしちゃおうかな」
「いっぱい作ったから、いっぱい食べてよ」
 
 普段は冷静な零美だが、自分だけには本当の素顔を見せてくれる。相談者が抱える重い人生に共感するということは、ストレスも多いはず。しかし、彼女はそんな素振りを見せる事はない。ただ、自分と一緒の空間にいる時だけ、一時の安らぎを感じているようだ。
 
≪人は誰でも闇を抱え、秘密を隠しているものなの。それは誰にも知られたくないことなのに、誰かに知ってほしいという心理が隠れている。それを吐き出してしまわない限り、その人は楽になれない。心の中に、悲しみや涙で膨れ上がった大きな水風船があって、それを針で突いてあげるとパーンっと割れる。そうすると、涙がドドドドーって溢れ出すの。その時は、私も一緒に泣いちゃうけど……≫
 
 いつか彼女が言った言葉が思い出される。零美もまた、心の中で大きな水風船を膨らませているのだろう。そう思うと、少し胸が痛い。そして和彦は、思いついたように零美に尋ねてみた。
 
「世間では一般的に、離婚は良くないって言われるよね。でも、本人が離婚したいって相談にきたら、零美はなんて言う?」
 
 口の中に残っていたシチューの具を胃の中に流し込み、ティッシュで口の周りを拭きとった後、麦茶を飲んで一息ついた零美は、ぽつりぽつりと話し出した。
 
「うーん、そうね……。離婚ね、難しい話だよね……。基本的に私は、その人の味方でいたいと思っている。本人がどうしても離婚したいのに、誰も賛同してくれる人がいなかったら可哀想だと思う。
 
 大抵の人の場合、相談に来る前から、こうしたいという覚悟を決めてくる。離婚したい人は、離婚するっていう覚悟を決めてきている場合が多い。そういう人に対して、離婚はいけませんよって言っても心に響かない。この人はわかってくれないってなっちゃうから。
 
 人は誰でも、あなたの考えは正しいよって肯定してほしいのよ。だいたいさ、子どもの頃は何をやっても褒められるけど、大きくなるにつれて褒めてもらえなくなって、否定される事が多いよね。
 
 家では親に否定されて、学校では先生や友だちに否定されて、職場では上司や同僚に否定される……。誰も自分のことなんてわかってくれない……。そうなると、段々と心を閉ざしてしまう。自分から不幸になる道を選択するようになる。だから私だけでも、味方になってあげたいんだよね」
 
 ここで、黙って聞いていた和彦が口を挟んだ。
 
「でもさ、離婚したらあきらかに経済的にやっていけなくなる人もいるよね。感情的にならずに、冷静に考えるように導くことも大事じゃないかな」
「そう、その通り!」
 
 零美は右手の人差し指を立てた。
 
「それがね……。そこが難しいところなのよね……。別れれば精神的な悩みからは解放されるけど、今度は経済的な悩みに直面する人もいるし……。専業主婦で夫の稼ぎに依存している場合、離婚という選択はとてつもなくハードルが高いものになる。
 
 だからこそ、安易に答えを出さないように、冷静に考えていきましょうと言うようにしている。相性が良くないから別れた方が良いですよって言うだけでは、ちょっと無責任よね」
 
 和彦は、先ほどから気になっていた事を尋ねてみた。
 
「さっきのお客さんなんだけどさ……。別れた方が良いって言ってたけど、別れるのは無理かもとも言ってたよね。あれはどういう意味?」
「あの二人はね、魂の結びつきがとても強いの。だから、別れたくても別れられないって言うか……。まさに、腐れ縁って感じじゃないかな。
 
 確かに彼は、浮気はやめられないと思う。だけど、それでも良いって彼女は思っている。それほど彼の事を愛しているの。浮気をやめられない彼もまた、彼女のことを愛している。
 
そ れで、彼の生霊が私を睨んだの。別れた方が良いって言ったから。でも多分、彼女は当分別れないと思う。今は、誰が何を言っても難しいわね」
 
 そう言った後、零美は再びシチューを食べ始めた。下を向いて瞳を潤ませている彼女に、和彦は優しい眼差しを送っていた。

第一話 別れたくても別れられない女(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第二話 胸に秘めた水風船(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第三話 登校拒否の娘をなんとかしたい(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第四話 懐かしい母の温もり(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第五話 不倫女の心の痛み(心霊鑑定士 加賀美零美 1)

第六話 彼女が別れを切り出した理由とは(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第七話 相性の悪い相談者(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第八話 血だらけの訪問者(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第九話 水は何色にも染まる(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第十話 次期院長の嫁取り問題(心霊鑑定士 加賀美零美 1)

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