第一話 別れたくても別れられない女(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
慣れない街を歩くのは得意ではない。日傘を畳んで小脇に挟んだ後、バッグに入れた携帯電話を探す。下を向くと、前髪が目にかかって鬱陶しい。本当は短い方が楽なのに、伸ばしているのは彼の好みに合わせているから。
携帯電話に標準装備の地図アプリを起動して、教えてもらった住所を検索する。方向音痴の笠原奈津紀にとっては、欠かせないアイテムである。やはり道を間違えたようだ。普段は履かない赤いハイヒールを気にしながら、地図が示す方向に進む。
国道から少し歩くと、公園が見えてきた。小さな子どもの声が聞こえる。額には、汗で髪の毛が張り付いて気持ち悪いだろうに、声を上げながら走る女の子。もう一人の女の子が、笑いながら彼女を追いかける。
傍には、母親らしき二人が立ち話の最中だ。自分もいつか、この人たちのように母親になれるのだろうか。いや、無理かも知れない。複雑な思いが胸を去来する。
裏通りになり、古い家が続く道をしばらく進む。「この辺かなあ」と彷徨っていると、外観がスナックのような建物が見えた。重厚そうな黒塗りのドアには「心霊鑑定士 加賀美零美(かがみ・れみ)」という看板がかかっている。
ノックしてからドアを開け、「こんにちは」と声をかけた。暗い外観とは対照的に、店内は白が基調となっており、とても明るい。テーブルの対面に置かれたソファーと、大きな観葉植物が一際目を引いた。奥にはカウンターがあり、数点の絵が飾られている。喫茶店か何かを改装したのだろうか。
女性が出てきて「笠原奈津紀様ですね」と尋ねるので「はい、そうです」と答えると、「お待ちしていました。こちらへどうぞ」とテーブル席に案内された。席に着いて渡された名刺には「心霊鑑定士 加賀美零美」とある。心霊鑑定士って何だろう。聞きなれない言葉に、奈津紀は少し戸惑いを覚えた。
「笠原さんの気になることは」と聞かれ、「彼氏との相性です」と即答した。ここに来るまでにいろいろと考えを巡らせてきたが、一番気になることと言えば彼のことしかない。
「相性ですね。ではこの紙に、お二人のお名前と生年月日、それと、生まれた時刻が分かれば時刻と、生まれた場所も書いていただけますか」
奈津紀は「わかりました」と言い、自分と安田太郎の名前と生年月日を書いた。自分の生まれた時刻はわかるが、安田の分まではわからない。その紙を零美に渡すと、彼女はパソコンにデータを入力して四柱推命の命式を出し、プリントアウトしてテーブルに並べた。
「笠原さんは、四柱推命鑑定を受けたことはありますか?」
「占いは好きで、本やネットなどで自分でやったことはありますが、実際にこうやって鑑定してもらうのは初めてです」
「ちょっとこちらをご覧ください」
零美は、プリントアウトした紙を見せながら説明を始めた。
「四柱推命は、生年月日の四つの柱に、干支(かんし)と呼ばれる八つの文字が並んでいます。生まれた時刻が不明の場合は、三柱六字になります。これを命式と呼びます」
奈津紀は四柱八字で、安田は生まれた時刻が不明なので三柱六字になっている。その命式の横には、〇(丸)や△(三角)がちりばめられた図がある。
「この図は何を表していますか?」
「これは五行図と言って、四柱八字や三柱六字の命式を、目で見て理解しやすいように図にしたものです。鑑定士はこれを見ながら、いろいろ閃いたり説明したりするのです」
確かにこれはわかりやすい。奈津紀自身、直感や閃きを大事にしたいと考える方なので、難しいと思っていた四柱推命に親しみが湧いてきた。
「なるほどですね」
「あなたと彼の相性は、良い方だと思います。あなたが彼を助けて、彼があなたに助けられる関係で、あなたも彼もその関係を負担に思っていません。むしろ心地良いと思っています」
「確かに、何故か知らないけど助けたくなるって言うか、放っておけない感じです」
「彼はかなり、モテる人だと思います」
「それが悩みなんですよねえ……」
そう言って、少し首を傾げる。
「愛情をたくさん持っている人なんです。それで、普通の人が一人に対して百パーセントなのに対し、彼は三人に百パーセントずつ与えることが出来ます。そのため、三人の女性は皆、自分が一番愛されていると思ってしまうのです」
「実は彼には、私の他にも何人か女性がいて、定期的に巡回しているんですよ。私のところにしばらくいたかと思うと、次は違う女性のところに。そしてまた何か月かして、私のところに戻る感じなんですね……」
「なるほど、あなたのところには必ず戻ってくると」
「そうです。戻ってきて、またしばらくしてから出て行くんです。別れた方が良いかなと思うんですけど、彼のことが好きなのでなかなか別れられなくて……。でももう、決断しなくちゃいけない年齢なので……」
とにかく優しい人なのだ。暴力など振るったこともなく、自分のことはさておいても尽くしてくれる。甘えさせてくれる。それが自分だけなら問題ないのだが、誰に対しても優しいのが悩みなのである。
「確かに、女性は出産という問題があるので、タイムリミットがあります。彼は優しくて思いやりがあり、ウソがつけなくて正直なんですが、時にはそれが欠点となる場合もあります。悩みごとに対して親身に相談に乗ってくれれば、もしかしたら私の事を好きなのかもと勘違いしてしまいますよね。女性から言い寄られるうちに、同情から愛情に変わることもあるでしょう」
実際、自分がそうだった。仕事の悩みなどを相談するうちに、だんだん好きになっていったのだ。奈津紀は零美の顔をぼんやりと眺めながら、安田と出会った頃のことを思い返していた。
「笠原さんとしてはどうしたいですか? しばらく待っていればあなたのもとに戻ってくるわけですから、このままでも良いですか? それとも、すっぱりと別れてしまって、新しい恋を見つけますか?」
「そうですねえ……。自分ではもう、どっちが良いのか決められなくて……」
「であれば、私からはっきりと言わせていただきます。彼の浮気癖は治りませんから、もう別れた方が良いと思います」
「そうですよねえ……。どこに行っても、そう言われるんですよねえ……」
奈津紀はしばらく下を向いて、考え込んでいた。別れるべきか別れないべきか。それは、今まで何度も考え続けてきたこと。でも、零美にはっきりと言われて、ほぼ別れる側に考えが傾いている。
そして奈津紀は鑑定料を払い、下を向いたまま立ち上がった。振り向いて歩き出す彼女の背中が哀しい。すると、さっきから右肩にいた男の生霊が、零美を睨んでこう言った。
「余計な事を言いやがって!」
目を見開き、大きな口を開いて威嚇する男の生霊。外面は優しいが、内面は自己中心的な男。そんな男の生霊を睨み返す零美の胸は、悔しさと腹立たしさでいっぱいだった。
第一話 別れたくても別れられない女(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第二話 胸に秘めた水風船(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第三話 登校拒否の娘をなんとかしたい(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第四話 懐かしい母の温もり(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第五話 不倫女の心の痛み(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第六話 彼女が別れを切り出した理由とは(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第七話 相性の悪い相談者(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第八話 血だらけの訪問者(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第九話 水は何色にも染まる(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
第十話 次期院長の嫁取り問題(心霊鑑定士 加賀美零美 1)
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