見出し画像

【日本には寄付文化がないって本当ですか?④】

(前回)第3話はこちら

「3つの容れ物が壊れているなら、直せばいい」―― これは自然な疑問です。正面から答えておきたいと思います。

①そもそも、元には戻らない

家族の単身化・少子化、終身雇用の終わり、国家財政の逼迫は、 政策判断で「よし戻そう」と決めて戻せる話ではありません。 数十年単位の人口動態・グローバル競争・財政制約という、 外側から来た構造変化が原因です。制度だけ元に戻しても、 支える人口や財政そのものが元に戻るわけではありません。

②形を戻しても、中身は戻らない

前回見た通り、3つの容れ物が機能していたのは、 損得外のシンクロ・関係的な負債・埋め込まれた経済という土台があったからです。 仮に終身雇用を制度として復活させても、 そこにあった情緒的な同期まで一緒には戻りません。 外形の復元と、機能の復元は別物です。

③3つの容れ物には、それぞれ大きなコストがあった

家族の支え合いは、女性の無償ケア労働に支えられていました。 会社の支え合いは、正社員と非正規・女性を選別していました。 国家の支え合いは、画一的でパターナリスティックでした。 無批判に「復活」させれば、これらの排除もそのまま復活します。

④集中よりも、分散の方が頑丈だ

3つの巨大な容れ物に依存する設計は、実はリスクが集中していて脆いものです。 新しい4つ目のチャネルを育てることは、 「復活の代わり」ではなく、「分散によるレジリエンス強化」として位置づけられます。

だから結論は、「3つを見捨てて、非営利セクターだけに賭ける」ではありません。

「3つはもう単独では支えきれない。 だから、4つ目を"補完"として本気で育てる必要がある」、ということです。

バランスの取れた状態なら、日本の個人寄付はどのくらいまで伸びる余地があるでしょうか。

第1話で見た数字をもとに、ラフな試算をしてみます。

日本の個人寄付総額(2兆261億円)は、名目GDP比0.33%でした。 ここから逆算すると、名目GDPはおよそ614兆円(寄付白書2025の比率に基づく概算)です。

ただし、ここで一つ補正が必要です。

日本の2兆261億円には、返礼品という明確な対価を伴うふるさと納税(1兆2,728億円)が含まれています。 米英韓の寄付総額には、これに相当する制度は基本的に含まれていません。

だとすると、国際比較の目標比率を当てはめる対象としては、 ふるさと納税を除いた純粋な寄付額(7,533億円)の方が、 より公平な比較になります。

この614兆円を分母に、目標とする比率を当てはめてみます。

シナリオ別寄付総額予測

アメリカ型(超リベラル型)まで一気に目指すのは、 社会の土台があまりに違いすぎて非現実的です。

だが、国家と非営利セクターがパートナーとして協働する 「コーポラティスト型」寄りの水準――韓国・イギリス並みの0.5%台――は、 「3つの容れ物への依存を少し減らし、4つ目に一部を移す」という 現実的な射程として、決して手が届かない数字ではありません。

現状の7,533億円から、3兆円台へ。 これが、「バランスの取れた寄付文化」が持つ、 まず狙うべきポテンシャルの規模感だと言えます。

ふるさと納税は、国際比較の対象からは外しましたが、 それ自体が伸びていく余地は、別に考える必要があります。

ふるさと納税の受入額は、この10年弱で急成長してきました。

  • 2016年:2,844億円

  • 2020年:6,725億円

  • 2024年:1兆2,728億円

8年で、およそ4.5倍です。

では、これはどこまで伸びるのでしょうか。

古いデータになりますが、2015年の制度・所得水準を基に、 「控除上限額まで、対象者全員が利用した場合」の理論上の最大値を 試算した例があり、当時の水準でおよそ2兆円程度という数字が出ています。

2015年から現在まで、所得水準も納税者数も増えていることを踏まえると、 現在の水準に置き直せば、2兆円台後半〜3兆円程度まで 理論上は伸びる余地がある、という見方もできます。

ただし、これは公的統計に基づく確定値ではなく、粗い推計です。 桁感の参考程度に受け止めてください。

ここまでは「供給側」――寄付はどこまで伸びるか――の話でした。

でも、本当に大事なのは「需要側」―― 社会課題を解決するには、そもそもどれだけの資金が必要なのか、です。

正直に言うと、日本国内に限定した精緻な推計は見当たりません。 そこで、世界規模の試算から、大まかな目安を出してみます。

国連貿易開発会議(UNCTAD)は、SDGs達成のための資金ギャップを 年間4兆ドル(主に開発途上国向け)と試算しています。 国連開発計画(UNDP)は、より広い射程で 年間5〜7兆ドルという試算を示しています。

日本の経済規模は、世界のGDPのおよそ4%です。 これをそのまま当てはめると――

年間20兆円〜30兆円規模

という、非常にラフな目安が浮かび上がります。

これはあくまで世界全体の試算を、経済規模の比率で機械的に按分しただけの、 粗い近似値です。開発途上国向けの資金ギャップをそのまま先進国に当てはめてよいのか、 という理論的な疑問も残ります。ですが、桁感をつかむには十分でしょう。

もう一つ、注意しておきたいことがあります。

「寄付市場2兆円」のすべてが、社会課題解決に向かっているわけではありません。

寄付の受け皿には、宗教法人、大学、文化・芸術団体、母校や地域の同窓会・後援会など、 必ずしも「社会課題解決」を目的としない団体も数多く含まれます。 非営利セクターは本来、困っている誰かを助けるためだけでなく、 文化を継承したり、信仰を支えたり、人々の趣味や誇りを支えたりする役割も担っています。

つまり、社会課題解決に実際に充てられている寄付額は、 2兆円という数字よりもさらに小さい可能性が高いのです。

ここまでは個人寄付(純粋な寄付+ふるさと納税)だけの話でした。 法人寄付も合わせるとどうなるでしょうか。

日本の法人寄付は、2023年度で1兆3,702億円

すべてを合わせて、もう一度計算してみましょう。

純粋な個人寄付を最大限(アメリカ並み12.28兆円)まで伸ばし、 ふるさと納税が理論上限(約3兆円)まで伸び、 法人寄付が現状のまま横ばいだったとしても―― 合計はおよそ16.6兆円。

社会が必要としている規模は、20兆円〜30兆円。

すべてのチャネルを最大限まで伸ばしても、届きません。

インパクト投資とは、財務的なリターンを求めながら、 同時に社会的・環境的なインパクトも生み出すことを意図した投資のことです。

寄付が「贈与」(見返りを求めない一方向の資源移転)だとすれば、 インパクト投資は「交換」(リターンを伴う資源移転)を、 社会課題解決という目的に接続し直したもの、と言えます。

GSG Impact JAPAN National Partnerの調査によると、 日本国内のインパクト投資残高は、

  • 2023年度:11兆5,414億円

  • 2024年度:17兆3,016億円(前年比150%)

  • 2025年度:18兆6,531億円(前年比108%)

と、急速に拡大しています。 個人寄付(2兆円台)の8倍以上、法人寄付を合わせた寄付市場全体(約3.4兆円)と比べても 5倍以上の規模にあり、 主に大手銀行・生命保険会社が牽引しています。

つまり、この漫画で見てきた「4つの容れ物」のうち、 「会社(市場)」の内部でも、社会課題解決に向けた資金の流れが 静かに、しかし急速に育ち始めている、ということです。

寄付が「非営利セクター」という新しい容れ物を育てる動きだとすれば、 インパクト投資は「会社(市場)」という既存の容れ物の中身を書き換える動きです。

社会が必要とする20兆円〜30兆円という規模に近づくには、 寄付という一つのチャネルだけでなく、 インパクト投資という、性質の異なるもう一つのチャネルも、 同時に太くしていく必要がある、ということになります。

ライライが警戒しているのは、ESG投資が辿った道です。

ESG投資も、2015年以降、市場規模が右肩上がりに拡大してきました。 でも同時に、こんな批判が世界中で広がりました。

「名称やラベルにESGを掲げているだけで、 中身が伴っていないファンドが多いのではないか」

これは「グリーンウォッシュ」と呼ばれています。 実際に日本でも金融庁が2023年、ESG投資信託の定義を明確化し、 実態の伴わない「ESG」「SDGs」「インパクト」といった名称の使用を 規制する指針を出すに至りました。

市場規模の拡大と、実際の社会課題解決は、自動的にはイコールになりません。

インパクト投資にも、まったく同じ危険があります。

  • 「インパクト」を謳うだけで、実際の測定・検証が伴わない投資

  • リターンを優先し、社会的インパクトが後付けの言い訳になっている投資

  • 「良さそうに見える」ラベルだけが一人歩きする状態

18兆円という数字の大きさに安心してはいけません。 その中身が、本当に社会課題の解決に向かっているかどうかは、 規模とは別に、常に問い直され続ける必要があるのです。

救いなのは、この課題がすでに手つかずではないということです。

国際的には、2016年に始まったImpact Management Project(IMP)の議論が、 GIINの測定ツール「IRIS+」や、Impact Frontiers、IFRSといった 複数の枠組みに引き継がれ、標準化が進められています。

日本国内でも、金融庁が2024年に 「インパクト投資に関する基本的指針」を公表し、 「投資家自身の貢献(追加性)」や「効果の特定・測定・管理」を インパクト投資の要件として明示しました。

つまり「測定の物差しをこれから作る」段階ではなく、 「すでにある物差しを、市場の急拡大に負けずにどれだけ定着させられるか」、 という段階にあります。

ESG投資がウォッシュ批判を浴びたのは、 市場の拡大スピードに、測定・検証の定着が追いつかなかったからでした。 同じ轍を踏まないためには、規模の拡大以上のスピードで、 すでにある物差しを実務に根付かせていく必要がある、ということです。

これまで見てきたように、日本の寄付の少なさは、 「与え合う心がない」からではなく、 家・会社・国家という容れ物にエネルギーが吸収されていたからでした。

その容れ物が壊れつつある今、必要なのは2つの層です。

①システム信頼のインフラ―― 法人格、会計の透明性、第三者認証など、 見知らぬ相手にも安心して託せる制度的な足場

②一般的信頼を育てる経験―― リスクを取って、まだ知らない誰かに賭けてみる、 その経験の反復

社会心理学者・山岸俊男は、①だけでは②は育たないとしています。 インフラは必要条件であって、十分条件ではありません。

では、②一般的信頼を育てる経験に必要な「場」とは、どんな場なのでしょうか?

社会学者・宮台真司の言う「島宇宙」は、 同じ価値観の者同士だけで完結する、心地よい小集団を指します。

これは「安心」の再生産にはなっても、 見知らぬ他者に開かれた「一般的信頼」の訓練にはなりません。

だから設計の分岐点は、 「島宇宙的であること」自体ではなく、

その場が、閉じた島か、それとも越境可能な"膜"として機能しているか、です。

膜として機能する場は、顔ぶれは安定していても、 その日その場で何が起きるかは、あらかじめ台本化されていません。

たとえば、「今日は誰が来るか分からない」こども食堂。 「行けば誰かがいる」商店街の朝市や、高齢者のお茶会。 「今年は誰が参加するか分からない」地域の防災訓練

こうした場はどれも、 安心を保ったまま、損得外の予測不可能性だけを持ち込む、という 両立の設計になっています。

一見、左側――完璧に用意してくれる方が、良いサービスに思えます。

でも、実際にその人をその場に結びつけるのは、右側です。

理由は単純です。 左側では、その人は最後まで「お客さん」のままです。 その人がいてもいなくても、場はまったく同じように成立します。

右側では、「ちょっと手伝ってもらえますか」と頼まれた瞬間、 その人はほんの少しだけ、この場の一員に変わります。 何かを頼まれる、頼まれたことに応える―― このやりとりには、損得の計算がほとんど入り込む余地がありません。

この「頼んで、頼まれる」というやりとりは、 損得抜きの関わりが生まれる、分かりやすい一つのパターンです。

でも、パターンはこれだけではありません。

たとえば、高齢者のお茶会で、参加者同士が自分の弱さや困りごとを 打ち明け合う場面――「実は最近、こんなことで悩んでいて」と誰かがふと話し始め、 それに別の誰かが応える、というようなやりとりも、同じ働きをします。 この場合、きっかけを作るのは運営する側ではなく、参加者自身です。

他にも、地域の防災訓練で、初めて顔を合わせた住民同士が 一緒に何かの作業をしているうちに、自然と頼り合う関係が生まれることもあります。

大事なのは、"誰が最初に頼るか"という表面的な違いよりも、 その手前にある条件です。

こうした頼り合いや、弱さの打ち明けが、安全に起こりうる場を、 あらかじめ設計しておくこと。

運営する側の本当の役割は、 自分が完璧であろうとすることでも、 毎回自分から頼みごとをすることでもなく、 こうした偶発的な関わりが、安心して起こりうる"土壌"を用意しておくことだと言えます。

こうした「ちょっとした頼りごと」や「弱さの打ち明け」の積み重ねは、 前々回見た頼母子講のような、伝統的な支え合いの仕組みが もともと持っていた性質にも近いものです。

「じねんの醸し」という言葉があります。

意志して「与えよう」とする手前で、 場との共振の中で「気づけば与えてしまっていた」という、 中動態的な経験の蓄積です。

一般的信頼という能力も、本質的には同じ回路でしか育たないのかもしれません。 外側から実装するものではなく、経験の反復の中で、主体の側にいつのまにか宿るもの。

だとすれば、日本に寄付文化を醸成していく方法論は、 性質の異なる2つの層で、同時に進める必要があります。

①制度の層――お金を託す「器」を整える

法人格や会計の透明性という、システム信頼のインフラを整えること。 これは、たとえばこども食堂や高齢者サロン、防災の自主組織を支える NPO法人そのものを指します。 見知らぬ人からのお金を、安心して託せる仕組みにする話です。

②現場の層――人が出会う「場」を整える

こども食堂や、商店街の朝市、地域の防災訓練のような、 実際に人が集まる現場を、閉じた島にせず、越境可能な膜として設計すること。 これは法人の話ではなく、その現場に来た人同士が、実際にどう出会い、 どう関わるかという話です。

ここでは、頼りごとや弱さの打ち明けが安心して起こりうる土壌を 用意しておくことで、損得抜きの関わりが生まれる種火をともします。

実際には、こども食堂をはじめとする地域の居場所の多くは、 法人格を持ったNPOだけでなく、圧倒的にボランタリーな個人や 任意団体によって支えられています。 そして、この草の根性そのものに、大きな意味があります。 誰かに認可されなくても、思い立った人が始められる―― その気軽さと自由度が、②の現場が次々と生まれる土壌になっているからです。

だからこそ、①と②は 「①がしっかりしているから②が育つ」という、一方向の依存関係として 描くべきではありません。

①制度の層は、こうした草の根の活動が、法人化してより大きな寄付を 受け入れる段階に進もうとしたときに、それを支える基盤の話です。 ガバナンスやコンプライアンス、会計の透明性を高めること、 そしてそれを後押しする税制を整えることが含まれます。

②現場の層は、法人であるかどうかに関わらず、 その場に人が集い、一般的信頼が育っていくという、 それ自体で独立した価値を持つ話です。

つまりこの2層は、 「①が整えば②が生まれる」という順番の話ではなく、 制度側の変容と、現場(個人)側の変容という、 両方が別々に必要な、2つの独立した課題なのです。

この2層を同時に回していく、息の長い醸成のプロセスだと言えます。

ここまで見てきた「島宇宙と膜」「頼り合いが生まれる土壌」は、 主に②の現場の層での信頼構築の話です。

インパクト投資という、もう一つの急拡大するチャネルには、 おそらく異なる種類の信頼構築が必要になってきます。 先ほど触れたESGウォッシュの教訓を踏まえると、 物差し自体はすでに国内外で整いつつあるからこそ、 規模の拡大に負けずにそれを定着させられるかが問われるテーマです。

さて、あなたの周りには、 どんな小さな火が、すでに灯っているでしょうか。

日本に寄付文化がないのではありません。 それは、掘り起こすものではなく、これから醸すものです。

(おしまい)


いいなと思ったら応援しよう!