藍色の共鳴――返らない手紙に、僕は返事を書いた 5
第五章:違和感
秋が深まり、街路樹の葉が乾いた音を立てて舞い散る季節になっていた。 研人の巡礼は続き、偽りの手紙は七通を数えた。彼の生活は、もはやこの秘密の儀式を中心に回っていた。 彼は、毎日、業務の最後に、夫の実家がある区域の還付郵便が集まる箱を密かに、そして必死に確認していた。その箱の中に、見慣れたクリーム色の封筒を見つけた時の、密やかな歓喜。彼の感情は、この確認作業によって、日々激しく揺さぶられていた。
その日も、研人はいつものように、最後の業務としてその箱の前に立った。数枚めくったところで、彼の指が、探し求めていた和紙のような質感に触れた。あった。彼は、安堵の息を悟られぬよう、何気ない仕草でその一通を抜き出した。
指先が、封筒の角に触れる。彼は、彼女の心の内に触れようと、意識を集中させた。
―――しかし、再現された感覚は、これまでとは明らかに異質だった。 いつものような切ない思慕の情だけでなく、もっと硬質で、鋭い何かが混じっていた。それは、問いかけ。疑念。なぜだろう、以前よりもずっと鮮明に、彼女の心の輪郭が感じ取れる。まるで、彼と彼女の間にだけ通された、見えない糸の震えが、より強くなったかのように。
流れ込んできたのは、もはや一方的な独白ではなかった。彼の脳裏に、灯が机に向かい、ペンを握りしめながら、必死に言葉を探している姿が、鮮明な光景として浮かび上がる。彼女の意図が、痛いほど伝わってくる。 『ねえ、覚えている? 私たちが初めて二人で旅行した鎌倉で、雨宿りに入った喫茶店のこと。お店の主人が飼っていた、犬の名前』
それは、テストだった。 二人にしか知り得ない、記憶の断片を確かめるための、巧妙に仕掛けられた罠。 研人の背筋を、氷水のような汗が伝った。頭を鈍器で殴られたような衝撃に、一瞬、呼吸が止まる。彼の築き上げた虚構の世界が、足元から崩れていく音が聞こえた。
なぜだ。どこで間違えた? 彼は、パニックに陥りそうな思考を必死で抑えつけ、記憶を遡った。そうだ、前の手紙だ。彼は、灯を安心させたい一心で、ネットで調べ上げた夫の事業トラブルの顛末を、「もう心配いらない」という形で、詳しく書きすぎたのだ。 良かれと思って加えたリアリティが、最大の違和感を生み出してしまったのだ。
研人は、手の中の封筒が、まるで時限爆弾のように思えた。 どうする? この問いに、彼は答えられない。沈黙すれば、それは偽物だと認めることになる。答えれば、必ずどこかで綻びが生まれる。 彼の嘘は、彼女の中に確かに希望を灯した。しかし、その光は、同時に彼女の心の中に眠っていた「疑念」という影をも、色濃く浮かび上がらせてしまったのだ。 彼は、この手紙にどう「返信」するべきか、答えを見つけられないまま、ただ時間だけが過ぎていくのを、なすすべもなく見つめていた。彼の巡礼の道は、初めて霧に覆われていた。
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