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小説・悪役令嬢転生MBA ―追放から始まる国家再建、その損益分岐点について― 6

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第6章:空っぽの女王と禁忌の投資 ―難民リスクとROIの果てにある絶望―


 幸福の賞味期限は、驚くほど短かった。

 黄金色に輝いていたリヒトハーフェン領の秋は、凍てつくような灰色へと塗り替えられた。隣国を襲った未曾有の飢饉は、対岸の火事では済まされなかったのだ。リヒトハーフェン領が「魔法コンテナ」によって豊かになったという噂は、飢えた人々にとって暗闇の中に灯る唯一の、そして強烈な松明となってしまった。

 国境の関所に、最初の一団が現れたとき、私はまだそれを一時的な「負の外部性」として処理できると考えていた。だが、その数は一日ごとに倍増し、ついには一万人を超える「飢えた波」となって、我が領の入り口を埋め尽くした。

「お嬢様、直ちに国境を封鎖すべきです! これ以上の開放は、我が領の食糧備蓄を数週間で底突かせます。これは情の問題ではありません。リヒトハーフェン領という『システム』を維持するための、冷徹な判断が必要です!」

 執務室に響くセバスチャンの声は、もはや悲鳴に近かった。彼の進言は、経営者としては「正解」だ。突発的な大量の難民流入は、キャッシュフローを破壊し、治安を悪化させ、既存のステークホルダー――すなわち領民の生活を崩壊させる。リスクヘッジの観点からは、門を閉ざすことこそがトップの務めである。

 だが、私は窓から国境へと続く一本道を双眼鏡で覗いた。そこには、泥を啜り、子供を抱えたまま動かなくなった母親たちの、空虚な瞳の群れがあった。

(……前世の私は、役に立たないと判断された瞬間に、誰からも手を差し伸べられずに、あの冷たいオフィスで死んだ)

 胸の奥が、焼けるように疼く。数字の亡霊であった前世。現場を知らず、効率だけを追い求めて孤立した私。いま、ここで目の前の数万人を見捨てれば、私はあの時私を殺した「冷酷な世界」そのものになってしまうのではないか。

 その時、執務室の扉が静かに、だが重々しく開いた。

「……見苦しいな、エリザベート。貴様の『合理性』という名の化けの皮が、剥がれ落ちようとしているぞ」

 現れたのは、第一王子アルフレートだった。彼は近衛を引き連れ、まるで審判を下す神のような冷徹な目で私を見据えていた。

「殿下……。王都からの食糧支援の要請、お聞き届けいただけたのでしょうか?」

「断る。王都の備蓄は、王国の安定というポートフォリオのためにある。辺境に集まった『負債』のために浪費するわけにはいかない」

 アルフレートは一歩、私に歩み寄った。

「貴様はかつて、私の『秩序』を古いと断じた。だが、見ろ。貴様が持ち込んだ『破壊的イノベーション』が、この混乱を招いたのだ。貴様が効率よく稼がなければ、これほどの民は集まらなかった。貴様の合理性は、民に『救えるはずだ』という非合理な幻想を与えた。……責任を取れ。貴様の手で、門を閉ざし、王国の安寧を守るのだ」

 王子の正義は、一分の隙もなかった。彼はこの国のバランスを守るために、冷酷になれる男なのだ。その点は、私と同じだった。

「……殿下、それは私に、彼らを見殺しにしろとおっしゃるのですか?」

「それが『統治』だ。感情を捨てろ。貴様はかつて、私のことを非効率だと笑ったではないか。今こそ、貴様の言う『損切り』を見せてみろ」

 王子が去った後、執務室には深い沈黙が降りた。

 私は一人、机に突っ伏した。

 計算尺が床に落ちて、乾いた音を立てる。

「……嫌。……嫌ですわ……」

 震える声が、自分の唇から漏れた。

 それは、エリザベート・フォン・リヒトハーフェンとしての、そして前世の孤独な女としての、魂の叫びだった。

「私だって……本当は、ただ笑っていたいだけですのに。……セバスチャンの淹れたお茶を飲んで、イザベラと無駄話をして、バルカスの小言を聞いて……。……どうして、全部私が決めなきゃいけないの? ……誰か、代わってよ……」

 それは、完璧な経営者が見せてはいけない、無様で非合理な「迷い」だった。

 効率を考えれば、門を閉じればいい。

 プライドを考えれば、王子の言う通りにすればいい。

 だが、私の「非合理な心」が、それを許さなかった。

(……ああ、そう。私は結局、頭でっかちなだけの、ただの女の子なのね。……でも)

 私は、震える手で顔を覆っていた涙を拭った。

 この「迷い」という名のコストこそが、私が人間であることの証拠なら、それを最大のリターンに変えてみせる。

 私は立ち上がり、領主館の地下深くへと降りた。そこには、歴代のリヒトハーフェン辺境伯が、万策尽きた最期の時のために封印してきた、禁忌の祭壇があった。代償を支払うことで、枯れ果てた大地に一夜にして数万人を養うだけの「豊穣」をもたらす秘術。

 祭壇の銘板には、残酷な取引条件が刻まれていた。

【対価:術者の情緒、およびそれに付随する主観的記憶のすべて】

「……情緒の償却、ですわね」

 私は自嘲気味に笑った。

 前世で、数字の亡霊となって死んだあの日。私は「何のために働いているのか」すら忘れていた。

 今世でも、また同じ道を行くというのか。大勢を救うために、自分という「個」を消し去るという、最悪の投資対効果(ROI)を。

(いいえ。これは『最高効率の投資』よ。私のたった一つの心が、数万人の命という名の資産に化けるのなら、これほど割に合う取引はないわ)

 祭壇の光が、私の意識を白く塗り潰していく。

 バルカスと泥にまみれて作ったコンテナの冷たさ。

 イザベラがバルコニーで語り合った、黄金色の夕暮れの暖かさ。

 セバスチャンが「お嬢様」と呼ぶ、その声に込められた微かな慈しみ。

 そして、先ほど感じた、あの焼け付くような「悲しみ」。

 それらが、一つの「変数」として抽出され、私の魂という名の貸借対照表から、一括償却(アモータイゼーション)されていく。

 意識が遠のく中、私の唇は、最後に一度だけ、誰かの名前を呼ぼうとした。

 だが、その名前を呼ぶための「理由(感情)」が、もうどこにも残っていなかった。

 翌朝。

 リヒトハーフェン領の全域が、奇跡のような緑と、黄金色の麦穂に埋め尽くされた。凍てついていた大地は、一夜にして数万人を養うための「食糧倉庫」へと変貌を遂げた。

 飢えから救われた数万の難民と領民は、狂喜乱舞し、地面を叩いて神と「女神エリザベート」を称えた。

 だが、その熱狂の中心である執務室。

 椅子に深く腰掛けた私は、窓の外の奇跡を、ただの「統計的成功」として眺めていた。

「お、お嬢様……! 成功です! 奇跡です! 隣国からの難民も全員救われ、我が領の食糧自給率は一気に三〇〇パーセントを超えました!」

 涙を流しながら報告するセバスチャンに対し、私は表情一つ変えず、ただ完璧な所作でペンを動かした。

「ええ。計算通りですわ、セバスチャン。……ただ、感情的な演出は不要です。そのエネルギーを、難民の居住区整備計画(リロケーション・プラン)の作成に回しなさい。現在の人口動態を鑑みれば、一秒の遅れが、来期の公共衛生コストの〇・五%増大を招きます」

「……お嬢様?」

 セバスチャンの声が震える。その困惑も、その悲しみも、今の私には理解できない「エラーログ」に過ぎなかった。

 私は、空っぽの女王。

 自分という名の個人資産を、公的な利益のためにすべて支払い終えた、完璧な統治機械。

「……エリザベート! 私よ! 返事をして、エリザベート!」

 扉を蹴破るようにして入ってきたイザベラが、私の肩を掴んで激しく揺さぶる。その瞳には、かつてないほどの激しい動揺と、深い絶望が宿っていた。

 

 私は、彼女の顔を静かに見つめた。

 脳内のデータベースが即座に応答を返す。

【対象:イザベラ・フォン・アークライト。属性:最優先アライアンス・パートナー。現在の状況:感情的興奮状態による非合理的振る舞い】

「ええ、アークライト様。次期の貿易協定の修正案でしたら、すでに用意してありますわ。……ただ、そのように取り乱されるのは、あなたの市場評価を下げますので、お控えになってはいかがかしら?」

 私の声には、一滴の温度も混じっていなかった。

 イザベラが、絶望に顔を歪め、その場に崩れ落ちる。

 その涙の成分も、その叫びの波長も、今の私には「分析すべきデータ」でしかない。

 窓の外に広がる、奇跡の豊穣。

 それは、私の心が死んだ代わりに手に入れた、世界で最も正確で、そして最も残酷な「貸借対照表」だった。


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#悪役令嬢 #異世界転生 #経営 #MBA #内政  

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金森努@マーケティング・研修講師/コンサルタント ありがとうございます! これからも頑張ります。