鉄(くろがね)のあかつき~傷のある鉄が、いちばん美しく光るまで 5
第4章 ハッカーと鍛冶屋
工房に戻ってからも、光忠の言葉は呪いのように美咲の中にこびりついていた。
『不純物に頼るのはやめた方がいい』。
鍛錬場では、今日も新弟子の拓海が、機械のように正確なリズムで槌を振るっている。
彼が打った小刀を見せてもらったが、その地鉄(じがね)は鏡のように均質で、一点の曇りもなかった。
光忠の言う「ノイズのない鉄」に近い。
それが、正解なのか。
私がやろうとしていることは、時代遅れのノイズ作りなのか。
「……くそっ」
美咲は作業台に向かい、練習用の日刀保玉鋼を睨みつけた。
師匠が自腹を切って買ってくれた、高価な純白の鉄。
光忠や拓海のように、これを綺麗に扱わなければならない。理論的に、科学的に。
美咲はノートパソコンを工房に持ち込んだ。
放射温度計を設置し、火床(ほど)の温度変化をグラフ化する。
SE(システムエンジニア)時代のスキルを総動員し、師匠の「勘」を数値化しようと試みた。
炭素量一・二%。加熱温度七八〇度。保持時間五秒。
データ通りに打てば、失敗は減った。
だが、焼き上がった刀は、どうしようもなく「退屈」だった。
拓海の劣化コピー。光忠の足元にも及ばない模造品。
そこには「相沢美咲」がいなかった。
「違う……これじゃない」
深夜の工房。
美咲は、失敗作の山を前にして頭を抱えた。
刃文の眠い小刀。
地鉄だけが白く、何の癖も残らなかった短刀。
曲がったまま戻らない試片。
どれも“間違ってはいない”のに、どれ一つ欲しいと思えなかった。
綺麗に作ろうとすればするほど、鉄は余所余所しくなり、心を開かない。
このままでは試験に落ちる。
試験に落ちれば、里子さんとの約束通り、私は一生包丁を作り続けることになる。
野菜を切るための、規格品の道具を。
「……嫌だ」
無意識に呟いていた。
私の切りたいものは、野菜じゃない。
私の過去を、呪いを、絶望を断ち切るための「何か」だ。
ふと、視界の隅で、赤熱した鋼が揺らいだ気がした。
火床の中で、日刀保玉鋼が静かに呼吸している。
その純白の光が、美咲を嘲笑っているように見えた。
『お前には無理だ』と。
『お前は汚れている。僕に触れるな』と。
プツリ、と何かが切れた。
理性ではない。「良い子」であろうとしていた、最後の箍(たが)だ。
「……お高くとまってんじゃないわよ」
美咲は立ち上がった。
温度計を蹴り飛ばす。パソコンの画面が消える。
もう、データなんてどうでもいい。
こんな気取った優等生には、言葉で言っても無駄だ。体に教え込むしかない。
美咲は鞴(ふいご)を限界まで踏み込んだ。
ゴウッ!!
火床が爆発的に燃え上がり、鋼が悲鳴のような黄色い光を放つ。
一三〇〇度。一四〇〇度。
常識なら「沸きすぎて使い物にならない」温度領域。
だが、美咲は構わずに鋼を引きずり出した。
「鳴きなさいよ!」
柄杓(ひしゃく)ですくった水を、赤熱した鋼にぶちまける。
ドォォォォンッ!!
狭い工房が揺れた。
水減(みずへ)し。
一七〇〇倍に膨張した水蒸気の衝撃波が、美咲の体を打ち据える。
熱い。痛い。
だが、その痛みが、美咲の神経を研ぎ澄ませた。
白煙の中から現れた鋼の肌は、酸化皮膜を剥ぎ取られ、生まれたての赤子の肌のように無防備に輝いていた。
美咲は、金床の上に鋼を叩きつけた。
カン! ガン! ドガン!
リズムなどない。あるのは衝動だけだ。
叩く。ねじる。折り返す。
綺麗に並ぼうとする結晶構造を、暴力的な熱と衝撃で破壊し、無理やり混ぜ合わせる。
――お前は優等生じゃない。
――お前も私と同じ、泥まみれの鉄になれ。
汗が目に入り、視界が滲む。
いつしか美咲は、泣きながら、笑っていた。
狂気。
そうかもしれない。だが、ハンマーを通じて伝わってくる手応えは、今までで一番「生々しい」ものだった。
拒絶していた鉄が、痛みを通じて、初めて私にしがみついてくる。
「……美咲さん?」
入り口で声がした。
徹夜の作業を見回りに来た健太くんが、腰を抜かさんばかりに目を見開いている。
髪を振り乱し、煤と涙で顔を汚し、爆炎の中でハンマーを振るう女。
それはきっと、鬼の形相だったろう。
だが、その背後に、もう一つの気配があった。
師匠。
源秀は、驚いた健太を片手で制し、じっと美咲の手元を見つめていた。
その目は、呆れでも怒りでもない。
猛獣を見るような、あるいは、待ち望んでいた「何か」を見つけたような、鋭い光を宿していた。
源秀は、砥石の脇に転がる失敗作を一瞥し、それから美咲の打つ鋼だけを見た。
「……続けろ」
師匠の低い声が、轟音の合間に届いた。
「鉄が、目を覚ましとる」
その言葉に、美咲はさらに強くハンマーを振り下ろした。
そうだ。これが私のやり方だ。
光忠のような「愛」でもなく、拓海のような「理屈」でもない。
「痛み」という名の対話。
この純白の鉄を、私の色に染め上げるまで、夜は終わらない。
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