悪役令嬢転生MBA~趣味は事業再生、特技は市場分析ですの~31
31・第七章:MBAは、荒野を駆ける
『ガラスの翼』が、リーザの提案に、最終的な「応」を返したのは、三日後のことだった。 アリアが、リーザの滞在する安宿まで、一人でやって来た。彼女が、情報収集の拠点としていた、あの、清潔だが、目立たない宿だ。そのアリアの顔には、覚悟を決めた者の、清々しいほどの光が宿っていた。
「――あんたの、その、ふざけた儲け話。乗ってやることにしたよ」
「まあ、嬉しい。良いご決断ですわ」
「ただし、条件がある。いきなり、『沈黙の森』に、心中しに行くのは、ごめんだ。まずは、あんたの実力…いや、あんたが、あたしたちの『頭脳』として、本当に、機能するのかどうか。試させてもらう」
「と、申しますと?」
「手始めに、簡単なクエストを、一つ、一緒にやってもらう。あんたが、本当に、ただの金持ちの、お遊びじゃないってことを、あたしたちの目で、確かめさせてもらう。それで、あたしたちが、あんたを『パートナー』として認められなければ、この話は、なしだ。…いいかい?」
それは、極めて、冒険者らしい、合理的で、実利的な提案だった。 エリザベートは、それを、喜んで受け入れた。
そして、その、さらに三日後。 彼らは、王都の北門に、集まっていた。 ギルドが提示した、C級の依頼。『グレイウルフ五頭の討伐と、その毛皮の剥ぎ取り』。駆け出しのパーティーが腕試しに受けるような、ありふれた依頼だ。
だが、その、ありふれた依頼の風景の中に、一つ、あり得ないものが、混じっていた。 リーザ(エリザベート)が、マジックバッグから、こともなげに取り出した、極上の、温かい朝食だ。 ふかふかのパン。とろりとしたチーズの乗った、熱いスープ。そして、リヒトハーフェン領特産の、燻製肉。それらが、野営用の、粗末な木のテーブルの上に、ずらりと並べられていた。
「…なんなんだい、こりゃあ…」
斥候の少女――キキというらしい――が、目を丸くして、湯気の立つスープを見つめている。
「いつもなら、遠征の朝は、干し肉と水で湿らせた黒パンが関の山なのに…」
「これが、私の言う『快適な旅』の、ほんの、入り口ですわ。さあ、冷めないうちに、どうぞ」
彼女たちは、最初こそ戸惑っていたが、一口、その温かい食事を口にするや、その顔は、驚きと感動でみるみるうちに輝いていった。 腹が満されれば、心も、満たされる。士気(モラル)は、些細なことで、驚くほど向上する。前世で、エリザベートが、うんざりするほど叩き込まれた、組織論の、基本中の基本だった。
食事を終え、出発の準備をしながらアリアがリーザに、一枚の羊皮紙の地図を渡した。
「さて、と。討伐対象の、グレイウルフの縄張りはこの辺りだ。ここから、半日も歩けば、着くはず…」
「いいえ、アリアさん。そちらのルートは使いませんわ」
リーザは、アリアの言葉をにこやかに、しかし、きっぱりと、遮った。 彼女はマジックバッグから、もう一枚、さらに詳細な地図を取り出すと、テーブルの上に広げた。
「あなた方のルートは、確かに最短距離です。ですが、途中、ぬかるみの多い湿地帯を通るため、体力の消耗が激しい。こちらの、少し、遠回りになる尾根沿いのルートを使えば、足場も良く、何より、高所から狼たちの位置を、先に発見できる可能性が高い。時間にして三十分ほどのロスですが、戦闘におけるイニシアチブを確保できるメリットの方が、遥かに大きいと私は判断します」
それは、冒険者の「勘」ではなかった。 (――『地形リスク評価の基礎』、講師:元S級斥候(レンジャー)、“鷹の目”のガスコイン氏。講義料、金貨五十枚。…安くはない、投資だったわね) エリザベートの脳裏に、数週間前、この王都で秘密裏に行った「個人授業」の光景が鮮明に蘇る。冒険者ギルドに接触する、と決めたあの日から。彼女は、莫大な私財を投じ、既に引退した伝説級の冒険者たちを、三人探し出し、彼らの「知識」を、金で、買ったのだ。その膨大な情報を、彼女は、この数週間、寝る間も惜しんで、自らの脳に、叩き込んでいた。
アリアは、眉をひそめ、二枚の地図を、食い入るように見比べ、やがて、唸るような声を漏らした。
「…ちっ。確かに、あんたの言う通りだ…」
その日の、昼下がり。 リーザの「学んだ」知識の通り、彼らは、尾根の上から谷間で、獲物を待ち伏せしているグレイウルフの群れを、一方的に発見した。風下を取っているため、狼たちは、まだ、こちらに気づいていない。絶好の、奇襲の機会だった。
アリアが、無言で手信号を送る。 それに、仲間たちが音もなく、頷きを返した。 最初に動いたのは、後衛の二人。賢者のルーナが、その細い指先に、青白い、氷の魔力を収束させていく。隣では、斥候のキキが、既に、背中の短い弓に、毒を塗った矢を番えていた。
アリアの指が、振り下ろされる。 ヒュンッ、と、風を切る音と、静かな詠唱が、完全に、重なった。 キキの放った矢が、最後尾にいた、一頭の狼の首筋に、寸分違わず突き刺さる。狼は、悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。 それと、ほぼ、同時。 ルーナの指先から放たれた、数本の氷の矢(アイスアロー)が、残りの四頭の、足元を、正確に射抜いた。狼たちの足が、地面に凍りつく。
奇襲は完璧に成功した。 混乱し、身動きの取れなくなった狼たちに、前衛の二人が、満を持して、襲いかかった。 盾役(タンク)のフレイヤが、獣のような雄叫びを上げながら、坂を駆け下り、その巨大な体で、狼たちの突進を、正面から、受け止める。その、大盾と、見事な体捌きが、狼の牙を全て弾き返した。 そして、その隙を、リーダーのアリアが見逃すはずもなかった。
「――燃え尽きな!」
その剣に炎の魔力を纏わせ、一閃。炎を纏った斬撃が残りの狼たちを薙ぎ払った。 完璧な、連携(チームワーク)だった。
戦闘は、あっという間に終わった。 彼女たちは、傷一つ負うことなく、五頭のグレイウルフを完璧に仕留めてみせたのだ。
「はあ、はあ…。やったね、みんな!」
キキが、額の汗を拭いながら、歓声を上げる。
「ああ。こんなに楽に狩りが終わったのは、久しぶりだよ」
アリアも、満足げに、頷いた。
だが、リーザは、その輪には加わらなかった。 彼女は、屈み込むと、討伐したグレイウルフの死体を、冷静な目で観察していた。そして、その口元に付着している、奇妙な、黒い植物の汁に気づいた。
(――『魔物生態学と、副産物(バイプロダクト)の価値について』、講師:元宮廷錬金術師、マスター・ペテルギウス。講義料、金貨七十枚。…あの爺さん、やけに、高かったわね) 彼女の記憶の書庫から、 最適な情報が、瞬時に、引き出される。 ――グレイウルフの、特に、王都北部平原に生息する個体群は、希少な錬金術素材、『月光茸』を、主食の一つとする。その胞子は、狼の唾液と混ざり合うことで、黒く変色する性質を持つ。口元に、その痕跡を見つけた場合、半径五百メートル以内に、その繁殖地である洞窟が存在する可能性、実に、九割以上――。
「…アリアさん。この近くに、洞窟は、ありませんでしたか?」
「洞窟? ああ、そういや、さっき、通り過ぎた崖の途中に、小さなのがあったような…」
「案内してくださる? おそらく、そこに、この子たちの『お宝』が、隠されているはずですわ」
半信半疑のまま、アリアたちに案内されて洞窟の中に入ったリーザ。 その奥で、彼女が見つけ出したもの。 それは、グレイウルフの食料の残骸に混じって、自生していた、一叢の『月光茸(げっこうたけ)』だった。
「…嘘だろ。こいつ、ギルドで、金貨三枚で買い取ってもらえる高級品じゃないか…!」
キキが、素っ頓狂な声を上げる。 グレイウ-ルフ五頭の討伐依頼の報酬は、銀貨十五枚。金貨三枚というのは、その何倍もの価値があった。
「――これも立派な、今回のクエストの『成果』ですわ。残さず、頂いていきましょう」
リーザは、こともなげに言うと、月光茸を手際よく、マジックバッグへと収納していく。 その姿を、アリアと、『ガラスの翼』のメンバーたちは、もはや、呆然と見つめることしかできなかった。
この、リーザと名乗る娘は、一体、何者なのだろうか。 彼女は、剣も、魔法も使わない。 だが、彼女の、圧倒的な「準備」に裏打ちされた「知識」は、どんな、屈強な戦士よりも、どんな、高名な賢者よりも、自分たちのパーティーに、圧倒的な「利益」と「勝利」を、もたらしている。
王都への、帰り道。 アリアは、並んで歩く、リーザの横顔を盗み見た。 夕陽を浴びて、その金の髪が、キラキラと輝いている。
「…あんた、本当に、ただの商人かい?」
「ええ。言ったでしょう? 最高の『商品』に、最高の『投資』をしているだけ、ですわ」
リーザは、悪戯っぽく、笑った。
アリアは、ふっと、息を吐くと、前を向いた。 その顔には、もう、迷いの色は、なかった。
「――分かったよ。あんたの実力は、あたしがこの目で、確かに見届けた。戻ったら、すぐに、本契約の準備をしよう。…よろしく頼むよ、あたしたちの『頭脳』」
それは、この、誇り高き、B級パーティーのリーダーが、初めて、エリザベートを、真の「パートナー」として認めた瞬間だった。 彼女たちの、本当の冒険は、今、まさに、始まろうとしていた。
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