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ちょっとスペイン横断してくるわ。徒歩で(3)

今は夫になったアルゴが、唐突にスペインを徒歩で歩いたというお話の続き。その1その2

 スペイン巡礼を明日には歩くよ!と言い出したアルゴをなんとか説得し、とりあえず形だけは整えて送り出したのは、それから4日後のことだった。明日行くわ!よりはマシな状況だったけれど、映画にて見た過酷な巡礼路。そもそもインドア派の私とアルゴである。山登り、道歩き、200キロ、そんな世界、まったくもって未知の世界である。せめても、と私はスペイン巡礼路、経験、準備、などという言葉で検索をかけ、救急バッグだとかネット送金の手配だとか、できる限りのサポートをすることにした。

 腹立たしい…というか、それは正しいことなのかもしれないけれども。当時、ぎりぎりの生活費で生きていた私にとっては、は?馬鹿なの?!と言いたいことがもう一つあった。

 アルゴは出発直前に、Go Fund Meというサイトで寄付を募っていた。このサイトは、寄付を募るサイトで、例えば、重篤の病気の子供がいるのだけど手術費がありません、助けてください、とか。そんな深刻で真剣な寄付のお願いから、いや~なんか、遊びたいからお金くれる?的なアホのような寄付を募ったりできるサイトなのだ。私はてっきり、貧乏な学生が何もないまま、スペインの巡業路を歩きます。サポートしてください、的なメッセージで寄付を募っているのだと思っていた。だがしかし、奴は、「母を腎臓機能不全で亡くしました。母の遺骨を散骨するためにスペインを徒歩で歩くことにしました。興味がある人は、ぜひ寄付してください。巡礼の過程をここで報告していきます。すべての寄付金は腎臓病をサポートする国の機関に寄付します。彼女のように苦しむ人を一人でも救うために」

 散骨とは?!?!知らんかったし!散骨計画(真顔)そう、アルゴを送り出した後で、私はこの寄付サイトの存在と、義母の骨壺が家から喪失していることに気づいたのです。後日、巡礼路を歩いている最中に、電話にて「いやさ、ママ、体のこともあったし、貧乏だったから、生きてるときにどこにも行けなかったでしょ。だから、せめて何かしてあげたくて、だから散骨しようって決めたんだよね」と報告されたのだけど。言えよ!!!言ってくれよ!!そんな素敵計画なら、ほんの少しだけ、見送りの時にやさしくできただろうし。帰宅して、はぁぁぁぁ?!骨壺泥棒?!なんてパニックに陥ることもなかったのに....大体において、アルゴは肝心なこと、本当の気持ちを口に出さないのだ。

 で、話は寄付サイトに戻る。アメリカでは、善意のチャリティー、このような寄付が美徳とされている。それはわかる。私だってできれば、苦しむ人を助けたい。だがしかし、だ。当時の私たちの生活は、私がほぼ賄っている状態だった。ぎりぎりの状態での生活だった。チャリティーとか、慈善事業なんてのは、生活に余裕がある層が行う、行えるものなのである。いわゆる、それは富裕層特権でもある。アルゴは大学に行っていた。多くの米人は働きながら自費で生活費、学費を稼ぐ、とういのが当然なのだ。だが、彼の場合は違った。生活費はほぼ全額、私の給料から出ていた。Bread Winner(家庭の主な収入を支える存在)は私だったのだ。いやさぁ、いや、正しいよ!素敵だよ、チャリティー!だがな、君が歩く間、私はこのアパートメントだとか、日々の生活を維持しなくてはならず。光熱費とか、君がスペインでも使う携帯の費用だとかな。さらには、金銭的に頼れる親族もおらず、おそらく、1週間でなけなしの貯金が底をつくであろう君に!送金する羽目になるのだよ!私が!と大声で言いたかった。とても言いたかったけど、言わなかった。基本、私は大層なめんどくさがり屋で、何事に対しても、はぁ、そうですかと割と受動的に受け止める性格のため、その時もまぁ、いいよ、あんたがそうしたいなら。てかまぁ、ほんと、それで救われる命もあるわけだしね、なんとかなるやろ、とカッコつけるアルゴを支えるポジションでいた。私もカッコつけだったのである。実際、なんとかなったので今は笑いごとだけど、明日、スペインいくわ。徒歩で歩くから、なんてことをノリノリで言われた直後にガチの口論をするエナジーすらなかった。特にそれまでの3か月を振り返った時に、義母の看病からのどっろどろの家族ドラマを経験した…日本にいたら想像すらできなかったドラマに遭遇していた当時の私は、本当に日々、なんとか生きる、アルゴに生きる意味を見出させることだけで精一杯だったのだ(ちなみに、想像通りかもですけれども。義母の死後、アルゴは数回の自殺未遂を図っていた次第です)

  ちなみに、アルゴがスペインを歩いている最中、寄付金は日本円にして50万円ほど集まり、そのすべてを国の腎臓病サポートの団体に寄付しました。そして、アルゴが歩いている間、私は換算すると10万円ほどの仕送りをすることになったのです。ちなみに当時の私の月給は月25万円(換算、そしてボーナス制度無し)ほどであり、貯蓄もほぼ無し。アルゴがスペインを歩いた期間は、1か月半。何がホステルだ、何が野宿だ。あほかよ!だまされたよ!くそが!と聖人、善人になり切れなかった私は、日々、悪態をつきつつも、インターネットの繋がるところにいる時に送られてくる画像や、Skypeでの会話を心待ちにしていた日々でした。

 このお話のヘッダーに出ている写真は、当時、アルゴがスペインから送ってくれたスマフォからの画像です。

(その4:最終話に続く)

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