40年かかった出会い。「北の国から」と私と
関西へ行く大切な予定がキャンセルになった月末。
本当に残念だったけれど、思いがけず違う大切な時間を過ごさせていただいています。
ひとつは、ずっと会いたいと願っていた方との出会いでした。
富良野で暮らしていた両親のもとに生まれた私。
生まれた日は、ちょうどドラマ「北の国から」が初放映された日。
初放映された日とロケ地と。
そのご縁の中で生まれて、ドラマに影響を受けた青年たちが町を作っていくなかで育った私。
私が育っていく環境には「北の国から」がそばにあり、気づかぬうちにたくさんの影響を受けていました。
物心つき始めたころから、この作品を書いた倉本聰先生にお会いしてみたいと思うようになりました。
近くに暮らしているのだから、講演会とかなにか機会があるだろう。
そんな風に思っていたのですが…
会う機会がないまま、気づけば私は40代半ば。
先生は91歳となっていました。
一度、トークイベントを申し込んでいたのだけれど、どうしても外せない仕事が入ったりして。
もう、お会いできる機会はないのかもしれない…。
そんな風に思っていたところに、ふと空いた時間。
そのタイミングでFacebookで流れてきた、倉本先生のトークイベント。
この日なら行ける!とすぐに申し込みました。
毎月開催されているイベントですが、超満員。
今回は先生の活動の原点でもある演劇の私塾「富良野塾」についてがテーマ。
そして、その後のスケジュールが発表されていなかったこともあって、「今回が最後かも」と予感した方が全国から集まってきたようです。
このタイミングを逃していたら、もしかしたら次がなかったかも。
そう思って、ここに来られたことに感謝しました。
イベントでは、閉塾してしまった富良野塾の、最後の期を追ったドキュメントを上映。
その後に、倉本先生に卒塾生の方々が質問するというスタイルでした。
車いすで出てきた先生は、呼吸も少し大変そうでした。
でも、その先生から出てくる言葉は力強く、嘘がなく。
そしてユーモアとやさしさがあって。
イメージ通りの方でした。
先生が塾をされていたころは、今の私の年齢と同じころ。
ドラマを大成功されてお金に余裕があったのだと思っていました。
でも、現実は全く逆。
すべて無料で開いた私塾。
その生徒たちが生きていく環境を作るために、動いて知恵を絞って…活動されていたこと。
それを先生のいのちを通して発せられた言葉として、聞くことができたことは私の人生の宝になると感じました。
いろいろぶつかりながら模索してきた私の人生。
人がやらないような地味なこと、自然と共に、嘘をつかずに、本質を見て生きてきた日々。
先生のひとことひとことをきいて、勝手にですがその日々に「〇(マル)」を貰えたような気がしました。
そして、先生ですらぶつかりながら模索していた日々。
私も、勇気をもって、あっちこっちぶつかって、模索しながら生きていこうと思いました。
最後かも?とみなさんが思っていたトークイベント。
「次もお願いできますか?」という問いかけに、
「やろう。」と先生。「体調が自信ないんだけど…」とおっしゃっていたけど、次も予定はされているようです。
もともと、大切な予定があったこの日。
それがなくなり、ぽっかり空いて。
私はそんな日を「天からいただいた休日」とよんで大切にしています。
そんな日に、40年以上会いたいと願い続けた倉本先生のトークイベントへ行って、生でお話を聴けたこと。
今の私にとって最高のプレゼントになりました。
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