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関係性を動かす|納得できる場作りの実践記録

こんにちは。かなえです。

個人事業主として「場を整える」「関係性に動きを作る」ことを大切にしながら、プロジェクトやチームに関わっています。

この記事は、ボランティア活動の中で改めて感じた"対話を生む関わり方"について、自分の体験と気づきを振り返った記録です。

組織やチームで「場作り」に向き合っている方に、なにかヒントや共感が届けばうれしいです。


はじめに

先日、「ちょっと難しいかな」と思っていた対話の機会を、思ったよりいい感じで作ることができました。

とてもうれしかったし、今後につながる場作りのヒントになりそうだと思ったので、忘れないうちにまとめておきます。

このnoteは、基本的には「私の気づきメモ」兼「再現性を持たせるための要素出し」なのですが、対話や場作りに興味がある方にとって気づきになる部分があればうれしいです。

ここからは少し語り方を変えて、その日のことを振り返ってみます。よかったらお付き合いください。

いきなり共有された新案と、現場との間のギャップ

その対話が起こったのは、数十人規模のボランティア組織のプロジェクト。

今後に向けた大事な意思決定をしなければいけない日だった。私はサブの立場で、リーダーがチームをまとめる役割を担っていた。

その少し前に別の部門(立場的には上の人々)が制度を変える案を作り「これでやるので、メンバーを説得するように」と言われた。

その新案を共有したところ、参加メンバーから反対の声が上がった。「そうだよね」と思った。その内容は、私が知っている現場感覚とはズレがあると感じた。私なら違う形にしていたと思う。

ただ…その新案を共有したとき、私はかなり疲れていた。1年に及ぶとりまとめの日々に心が削られていて、とにかく早く楽になりたいと思っていた。

その案を見た瞬間に、現場とはズレているなと思ったけど、正直もう戦う気力が残っていなかったので、そのまま出した。任期はあと数か月。もういいかな、十分やってきたでしょ、と思ってしまった。

愚痴から始まった、小さな場の変化

とはいえ、想像していた通り、いろんな意見が出た。反対意見がメイン。

「皆、言いたいこと言うよなあ」と思ったし、「とりまとめる側の身になってくれよ」とも思った。私達を追い詰めると思ったのか、意見を言うことをためらう人もいた、と思う。

転機になったと思うのは、一部のメンバーとおしゃべりをしていたとき。ふと気が緩んで、愚痴ってしまったのだ。

この1年どれだけ苦しかったか、自分の立場がどれだけ難しかったか。今回の新案については、私自身が納得いってないけど、正直もう疲れていて、もうこのままいこうって思って共有してしまったんだよね…という後悔も含めて、思いを話したのだ。

これまでだったら言っていなかったかもしれない。でも、なんとなく言ってしまった。わりと安心できる空気感で、少しだけ開示してもいいかなって思ってしまったんだよね。で、ポロッと本音を出した瞬間に、場の空気が変わったのを感じた。

そこにいたメンバーのひとりが、こう言ってくれたのだ。

「間に立たせていることを、ずっと申し訳ないと思っていました。リーダー達だけで抱えなくてもいいんですよ。皆で話しましょう」

私はびっくりした。私達だけで抱えなくてもいいのか、と。

ずっと諦めていた”対話で決めたい”という願い

これまで見せてこなかった心のうちをさらけ出したことで、相手の心に、なにかが届いたのかもしれない。

そのメンバーは「皆で話す場を設けたらどうですか?」と言ってくれた。

私はずっと、あらゆることを対話で決めていけたらなあと思っていたけど、数十人という規模は、対話をはじめるには大きすぎて、ちょっと諦めていたのだ。

皆ができるだけ納得できる方法を、考えて考えて、納得してもらえるように書いて、話して、というのを、この1年ずっとやってきた。精一杯やってはきたけど、うまくやってこれたのかはわからない。反省点はたくさんある。

でも、これまでずっと言えていなかった本音を話しながら、私はだんだん、なにかを取り戻していっているような気がした。失っていたポリシーというか、大切にしたかった"あり方"を思い出してきたのだ。

場の空気が変わった瞬間のこと

そのメンバーの言葉を聞いてから、私のなかで「やっぱり対話で決めたい」という気持ちがむくむくと湧いてきた。ずっと諦めていた"私にとっての大切なこと"を、ちゃんと大切にしたくなってきたのだ。

そこで、リーダーに話してみた。リーダーは同意してくれたので上の人にも相談してもらったのだけど、結論としてはやはり「対話で決めるのは難しいと思う。収束させるのが難しいかもしれない。納得できそうな素案を作って持っていく方がベター」と言われた。

それも、わかる。数十人とセンシティブなテーマで対話するのは、さすがに博打が過ぎる。上の人の言葉に自分なりに納得して、素案を準備し、話し合いの場を設けることになった。

素案に対するメンバーの合意が取れたら、それを新案を作った別部門に提示して「我々はこうしたい」という説得を試みる流れにしていた。

その話し合いに参加してくれたのは半分くらいだったと思う。

こういうときにメインで話すのはリーダーの役割。私はサブなので、事前にリーダーに「こういうことを伝えたらいいと思う」と言っておく感じの関わりだった。これまでは。

リーダーは、先に提出した案に対してさまざまな意見が出たこと、それを踏まえて考え直したことを伝えた。丁寧に話していたし、納得感はある程度あったような気もした。

でもなんとなく、私のなかのなにかが、これだけでいいんだっけ?と言ってきた気がして。ついつい、手を挙げてしまった。そして「大切な前提を伝えたてもいいですか」と言ってみた。リーダーは若干、困惑しつつ「どうぞ」と言ってくれた。

たぶん、本能的に、なんとか場を納得させることよりも、皆でちゃんと納得できることを大切にしたいと思ったんだと思う。だから、こんなふうに言ってみた。

皆で納得してから、この案を持っていきます。だから、今日は、納得したい場なんです。皆が「これならやれるね」っていうのを、作りたいんです。

みたいなことを言った。(一生懸命すぎて、正直あんまり覚えてない)

たぶん、その言葉をきっかけに、場の雰囲気が変わった。気のせいかもしれないんだけど、そんな気がした。

うまくいえないけど「そうか、この場は納得するための場なのか」「皆で納得して決めたいんだ」みたいな感覚を持ってもらえた気がした。皆の目が変わったというか…見えないなにかが変わった。と思った。

それまでは”説明を聞く場”として参加していた人が、ここは”一緒に考える場”なんだなってわかってくれた感覚だったのかもしれない。

本音を開示する覚悟

そこから先、もう少し話を進めていきながら、だんだんと場に納得感が作られていっているような気がした。いい感じだな、と思った。

そこに遅れて参加してきたメンバーが加わり、自分の意見を言ってくれた。丁寧に言ってくれてたけど、端的に言うと「もっと早く、もっと丁寧に進められなかったのか」という意見だったように思う。

実は、今回の別部門による新案作成は、私も完全に寝耳に水の話だった。
いきなり方針が決まり、自分自身が納得できていないのに、説得しなければいけない状況だった。正直とても困惑して、腹が立っていた。

でも、納得してなくても、納得できるように話さないといけない瞬間って、あるよね。社会人として生きていたら。嫌でも。苦しくても。

でも、そのメンバーの「進め方に納得いってません」的な言葉を聞いたときに、なんとなく、私はもう一段深いことを、ちゃんと話さないといけない気がした。

本当は言った方がいいんだけど、言いたいんだけど、言ったことでどんな影響が出てくるかわからないし、そもそも言ったら怒られるかもしれないし言わないことにしておこうかな、と思っていた類のことを、ちゃんと開示したくなったのだ。

リーダーに聞いた。「もう少し、いろんなこと、話してもいいですか?」

リーダーはちょっと固まった。「ええと、なにを話したいかわからないから、なんともいえない」

私「そうですよね。でも…ちょっと話させてください」

私は一瞬、黙った。場がシーンとしたのを感じた。皆、このあとに話す言葉を待っている、と思った。緊張した。

一瞬じゃなかったかもしれない。数秒、もしかしたら10秒くらい経ってたかもしれない。その時間でなにを考えていたのかも覚えていないけど、たぶんそのとき瞬時に、どこまで話すべきか、私はどこまで話したいのかを考えていた気がする。

私は、ここまでの経緯を話した。

私達がとりまとめポジションについた時点でもう、もともと、いつか仕組みを変えないといけないとは思っていたこと。今回出てきたような新案ではないにしても、なにか策が必要だったこと。

でも、じゃあ、いつ、どう変えるのか?については、すぐではないと思っていた。急に変えることで、現場に不安を生みたくなかったから。半年以上は様子を見る期間を設けようとしていた。

ただ、運営しているなかでいろんな予期せぬ事態があった。ちなみに現状はこんな感じで、私はこう思っている。でも別部門はこう思っていて、今回、こういう変更があった。それにはこういう背景がある。とりあえず経緯としてはこんな感じ。

…これを話してよかったのかはわかりません。話し過ぎたかもしれません。でも私は、本当はこういうことを伝えたほうがいいと思っていたので、私の判断でお話しさせてもらいました。ダメだったのなら、お叱りは受けます。

というような内容。

私はとしては、”ここまでは言える、言った方がいいギリギリのライン”で伝えた。つもり。

そこまで言って(というか一生懸命すぎて、なにをどう話したかをもう覚えてないんだけど)いきなり場をリーダーに戻した。「以上です、戻します。どうぞ」と戻したときの、リーダーの困惑っぷりといったら。

リーダーは、この1年、私よりもずっと冷静に、いつも場を俯瞰してバランスを取ってくれていた。

私がプリプリ怒っているのを「どうどう」となだめつつ、どんなに納得いかないことがあっても感情を飲み込んで、全体を前に進めようとしていたのは、間違いなくリーダーの方だったと思う。

私は、その場での"役回り"として、言うべきだと思ったことを言っただけで、リーダーの判断や話し方を否定する意図はまったくなかった。

たぶん、おいおい、ぶちまけすぎだぞ、と思っただろうなと思う。

でも、リーダーは言えなくても、私は言える。私が勝手に言ったってことでいいじゃん。言った方がいい、と思った。なんとなくだけど。

ちなみに、このリーダーは、私の夫です。

夫婦でこういうプロジェクトを担当するのは珍しいかもしれませんが、役割としては「夫が冷静に全体を整える」「私が場に動きを出す」というバランスでやってきました。

だからこそ今回も、私は自分の役割として"言うべきこと"を言い、夫は全体を受け止める。その連携が、うまく働いた場面だったんじゃないかなと、自分では思っています。

皆が“自分ごと”として動き始めた

しばらくシーンとしたあと、ポツリと意見が出た。

最初に出たのは「あのー、そもそもなんですけど…」って、そもそもの前提を確認するような意見。皆が「たしかに、それ気になってた」って顔をした。

他の人も口を開く。「ちなみに、これについてはどうするんですか?」

リーダー「そこは、まだ決まってないんですけど、こんな感じで考えてます」

…あれ?なんか、意見が出てくるようになったんだけど。まさか言ってくれると思わなかったような、小さな疑問まで。

私は「うん、なんか、いいぞ」と思った。納得するために、皆が主体的に関わろうとしてくれている雰囲気を、なんとなく感じた。

その空気を感じながら、いろいろ考えた。この場をいちばん納得する形で終えるには、あとなにを用意すればいいのか。いちばん必要なのは、なんなのか。

話すべき人を”場に立たせる”

そこで私は、話者を変えることにした。少し強引に。

「じゃあ、今回の新案を作られた人がいらっしゃっているので、コメントをいただいてもいいですか?」

そう。いたのだ。そこに。遅れて参加する形で、そもそもの新案を作った人が。

皆、ほんとうは、間に入っている私達ではなく、その場にいる、それを決めたその人に、話してほしいと思っているに違いなかった。

私達が説得する立場に立たされていることは、皆わかっていた。だからこそ私達には思いをぶつけにくかったり、遠慮している部分もあるんじゃないかと思ったのだ。

だから、皆が話をしてほしいと思っているだろうその人に、コメントをお願いした。私はその人に、場に立って自分の言葉で話してほしいと、強く願っていた。

その人は、自分の言葉で説明してくれた。私からすると、ん?もう少し詳しく話してほしいぞって部分もあったけど、たぶん、あれでよかった。内容というよりも、その人が話すことが大事だったんじゃないかなと思う。

皆、けっこう頷きながら聞いていて、場が収束しようとしていく空気を感じた。私は「ああ、振ってよかったな」とすごく思った。

自分が出し切れたという実感

そこから先、もう少し話をして、「じゃあ、これで提出していきます」という案ができあがった。とても重くて、大切な話が終わった。

私は、思いを開示しすぎた興奮と、思いもよらず対話っぽくなったことへの感動と、疲れと、でも後悔はないぞ、という感覚で、なんだか胸がいっぱいだった。

なにを話したのかは覚えていない。もっとうまく話せたんだろうなと思う箇所もある。でも、言うべきだと思うことは言えたし、大切にしたい"あり方"を貫くことはできた気がした。いまできることは、できたかなと思えた。

納得していない自分の気持ちをごまかすのをやめたこと、言うべきことを言わずにいる苦しさから解放されたことが、うれしかった。なんだかすごくスッキリした。

私が考える”対話が生まれる条件”

あれを対話と呼んでいいのかは、正直わからない。参加メンバーが私と同じように感じていたかどうかも、わからない。不安はある。

でも、やり切ったとは思えている。だから、もうそれでいいかな、と思っている。

意見がひとつも出ないことを覚悟していたのに、ポツポツと出たことが、本当にうれしかった。

私は、”対話する空気”は、だれかひとりの自己開示から生まれると信じている。

そしてたぶん、私の自己開示は、他の人から見るとだいぶ”広い”らしい。自覚はないけど、よくそう言われる。たしかに、さらけ出すタイプ。

さらけ出すのは、情報じゃなくて、私の気持ち。

迷っていることも、納得できていないことも場に出す。もしかしたらこれよりもっといいアイデアがあるかもしれないけど思いつかない、そんな"揺れている自分"をそのまま出す。

もちろん、言っていいこと・言うべきことは、きちんと見極める。それが私なりの誠実さ。

人は「すでに決まっている感じ」「もう揺るがさなそうな様子」を見てしまうと、意見を出せなくなると思っている。

だからこそ私はいつも、”変わっていい余白”みたいなものを見せることを大切にしている。「ここから変わってもいいんですよ、ちなみに私もこんなに迷っているので」っていうスタンスで話す。

そういう”余白”というか”すきま”みたいなもの、”あなたの意見を受けて変わる意志がありますよ”的なスタンスを見せると、人は心を開いてくれる、と感じている。

いつも会議で心がけている適度な開示スタンスが、今回の場でも作用したということなのかな、と思っている。

おわりに

今回の経験を通して、あらためて私が大切にしたいと思ったのは、こんなこと。

  • 対話は、自分がしっかりした答えを持っていなくてもできる。モヤモヤしながら話し始めても、意外と大丈夫。

  • ”変わる余白”とか”受け入れるすき間”みたいなものを持って開示すると、相手も心を開いてくれる。

  • これからも迷う自分、悩む自分をさらけ出すスタイルを大切にしたいなあ。それが、いちばん自分らしく場を作れる姿な気がする。

以上、最近あったできごとの振り返りと気づきまとめでした。

長文になりましたが、対話や場作りに関心のある方の気づきになる部分があればうれしいです。


もし、いま「考えを整えたい」「関係性に動きを作りたい」と感じている方がいたら、私がご一緒できることがあるかもしれません。

行き詰まってしまう場面でも、対話を通じて少しずつ整理したり、納得できる形に整えたり。そんなプロセスを伴走するのが私の仕事です。

詳しいプランは、こちらにまとめています。

よかったら覗いてみてください。

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