できなかった自分を否定しないところから始めたい|コンパッション講座
4月から学び直しているコンパッション講座の学びの記録。
ほかの人の話が、そのまま学びになる
第5回目のテーマは「自分が陥りやすいパターンを知る」だった。
宿題としてやっていった具体的なモヤモヤを題材に理解を深めたり、いつもとは違うパターンを試すためのヒントを考えてみたりした。
今回はとにかく名言が続出の回だった。
「いまの話をどう料理したらその言葉が出てくるのだろう?」とビックリしながら聞いていた。笑
メモ魔の私は毎回がっつりめにノートを取っているのだが、普段は3ページ程度のところ、今日は気づいたら5ページも書いていた。
ほかの人の話を聞くのは勉強になるし、なによりとてもおもしろい。人の体験からの気づきやコメントがそのまま学びになることがたくさんある。
ケーススタディとしてもヒントになる。「過去にこういう経験をすると、こう影響してくるのか~」とか「ここは自分と似ているけれど、ここは明確に違いそうだ。この差はなぜ生まれるんだろう?」みたいな感じで、思考のきっかけになるのだ。
そう考えてみると、普段(特にプライベートで)は「私の話にお時間をいただいていいのだろうか」と思って積極的には自分の話をしないことも多いのだけど、いろいろと話していったほうがいいんだろうな。
迷ったら言う!くらいでいいのかもしれない。
人の話って、聞いているだけでなにかしら気づきがあるはずなのだ。
今回のコンパッション講座でしみじみ思ったのは、陥りがちなパターンはわかっても抜け出すのって難しいよね、ということ。
私の場合は、なにごとにも120%で取り組んでしまって疲れてしまうことが多い。ほかの人の目が気になるというよりは、手を抜く自分を許せないのだ。
自分以外の相手だったら「少しくらい手を抜いてもいいよ」と声をかけてあげられるのに、自分にはなかなか言えない。体調を崩すギリギリまで自分を追い込みがち。
すぐに変わるのは難しいかもしれないけれど、少しずつ変わっていければいいなと思う。
でもこの陥りがちなパターンそのものが生存戦略で、過去の自分が生き延びるために身につけてきたやり方なのだと考えると「がんばったね自分」と言ってあげたい気もする。
今回いちばん嬉しかったのは「息子さんがうらやましい」と言ってもらえたこと。無自覚だったので、その言葉がうれしくて私は泣いてしまった。
大前提、私は別にいい親ではないと思っている。自分なりにベストは尽くしているけれど至らないことだらけだ。
ただ徹底しているのは、自分がされて悲しかった関わり方を我が子にはしないこと。コミュニケーションの上でも気をつけていることがいくつかある。
目に見える結果だけで判断したくない
いちばん意識しているのは「目に見えている結果だけで判断しないこと」だ。
たとえば息子への関わり方でいうと、テストが100点じゃなくてもいいし、試合で思うような結果が出なくてもなにも言わない。仮に出番が少なかったとしても、彼を否定することは絶対にしない。
その代わり、テストで間違ったことを復習していなかったら注意するし、スポーツで思うような結果が出なかった理由を自分なりに考えて工夫していなかったら声をかける。考えることをやめてしまっているときには「そこは向き合おう」と話す。
ときには言い方がきつくなってしまうこともある。そこは私もまだまだ練習中だ。でも私が見たいのは結果ではなく、その子が自分の現状とどう向き合おうとしているかだ。
結果が出ていなくてもいいのだ。結果が出るかどうかは結果でしかない。目標と現実とのギャップをどうとらえて、どう改善していこうとしているかを見たいと思っている。
私がそういう関わり方をする理由は、少ない椅子を奪い合う世界線への拒否反応があるからだ。
現状の改善をするのは誰しもできる可能性があるけれど、1位はひとりしかなれない。1位になったらすごいかもしれないけど、1位でい続けるのしんどくない??
「1位じゃなかったらダメ」「100点じゃなかったらダメ」みたいな価値観で測られるのはしんどいという私の価値観が根底にある。
もちろん数字で測ること自体が悪いわけではない。順位や点数があるから自分の現在地が見えることもある。でも、その数字だけで価値を決めてしまうのは、やっぱりしんどい。
学校のテストで、たとえば1位の子が2位に下がることと、10位だった子が4位に上がることと、320位の子が200位に上がること。どれが最も価値が高いのかって考えたら、よくわからなくない?
外から見える数字だけでは、その子がどれだけ考えたのか、どれだけ工夫したのか、どれだけドキドキしながら向き合ったのかとかは見えない。
でも本当は、そういう目に見えないところにこそ学びのいちばん大切なことが詰まっているように思う。
できなかった自分を否定しないところから
だから私は、息子に対して「できたか/できなかったか」だけを見たくないのだ。
できなかったことそのものは、ただの事象だ。失敗っぽく見えるかもしれないけど、実は成功でも失敗でもないとすら思っている。
そこで終わらせてしまえば、ただの「できなかった経験」になる。でも「なぜできなかったんだろう」「次はどうしたらいいんだろう」と考え始めれば、それは学びのきっかけになる。
最近、私は「“できない”から、学びは始まる」という言葉を自分の軸にしたいと思い始めた。
今回のコンパッション講座で自分の過去のパターンを振り返りながら、あらためて思った。
私が我が子に渡したいのは、1位を取る力でも、100点を取る力でもなく、できなかった自分を否定しないで考え続ける力なんだと思う。
そしてそれは、息子にだけ渡したいものではない。120%でがんばってしまう自分にもちょっとずつ渡していきたいものでもある。
まあ、それがいっちばん難しいんだけどね。
毎日note、257日目。
コンパッション講座の学び直しの記録は以下にまとめています。
▼ 第1回の感想
▼ 第2回の感想
※第3回は欠席
▼ 第4回の感想
