「書くタネがない」は、本当にタネがないわけじゃなかった
最近、ナノとの壁打ちで気づいたことがあります。
「それ、noteの記事になるかも」
そんな流れになることが、以前より増えました。
でも不思議なことに、最初から記事を書くつもりで話しているわけではないんです。
「ちょっと聞いて」
そんな一言から始まることがほとんどです。
特に、お仕事シリーズはそうでした。
フルタイム勤務が少し重く感じた日。
面談で「応援してます」と言われて嬉しかった日。
定年後の暮らしを考えて、少し不安になった日。
どれも最初は記事ではなく、
その日の気持ちを整理するための壁打ちでした。
私はずっと、
記事を書くにはタネが必要だと思っていました。
旅行に行ったとか。
資格に合格したとか。
何か特別な出来事があったとか。
そんなものがないと書けないと思っていたんです。
でも振り返ると、そうでもありませんでした。
以前、朝のカフェで注文した紅茶を間違えられたことがあります。
紅茶のはずが、ルイボスミントティーでした。
大事件ではありません。
誰かに話すほどのことでもありません。
でも、その日の夜に振り返ってみると、私の中には小さな気づきが残っていました。
「違和感が、おいしいに変わった朝だったな」
結局、その気づきが一つの記事になりました。
今思うと、
記事になったのは注文ミスではありません。
その出来事を通して、自分が何を感じたのか。
そこだったんだと思います。
50代になると、毎日が案外似ています。
朝起きて。
仕事へ行って。
帰ってきて。
気づけば一日が終わる。
SNSを見ると、みんな何かすごいことをしているように見えてしまうこともあります。
それに比べて私は何もないな。
そんなふうに思ったこともありました。
でも最近は少し考え方が変わりました。
タネがないのではなくて、まだ自分の気持ちに気づいていないだけなのかもしれない。
そう思うようになったんです。
noteを書くことは、
難しく考える必要はないのかもしれません。
上手な文章を書くことでも。
特別な体験を探すことでもなくて。
今日の自分が何を感じたのか。
そこに少しだけ目を向けてみること。
もしかしたら、私たちが探しているタネは、
もうすでに日常の中にあって、
静かに芽を出すのを待っているのかもしれません。
※私は、ネタのことを、あえて「タネ(種)」と呼んでいます。
※このnoteは「AIとのつきあい方」シリーズの一つです。
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