AIについて書いていたつもりだった。── 100記事近く書いて、ようやく気づいたこと ──
通勤電車の中で、Xを眺めていた。
流れてきたのは、AIについて書かれた記事だった。
読んでいて、不思議な感覚があった。
初めて読む記事なのに、どこか既視感がある。
なぜだろう。
そう思いながら読み進めていたら、
ある言葉で手が止まった。
『 道具より先に問いがある 』
その瞬間、
「ああ、これかもしれない」
と思った。
私は最近、AIについての記事をたくさん書いている。
でも振り返ってみると、AIそのものについて書いている記事は意外と少ない。
AIを使う理由を考えてみたら、自分が続けたいものの話になった。
夫とお金の話をする前に、AIと不安を整理したら、
自分が何を怖がっているのかが見えてきた。
「書くタネがない」と思っていたら、本当は気づいていなかっただけだった。
どの記事も、最初はAIの話から始まっている。
でも最後に残るのは、いつも自分の話だった。
そんなことを考えていたら、3か月前に書いた記事を思い出した。
『AIは何でも答えてくれる。でも、問いは自分の頭の中にある。』
当時の私は、AIがどれだけ優秀でも、何を聞きたいのかは自分で考えなければならない。
そんなことを書いていた。
そして今読み返してみると、
あの記事は、確かに本当のことを書いていた。
ただ、まだ途中だった。
100記事近く書いてきて、ようやく気づいた。
問いは、ある日突然見つかるものではない。
AIと話したり。
noteを書いたり。
誰かの記事を読んだり。
そんな小さな積み重ねの中で、少しずつ輪郭が見えてくる。
3か月前の私は、
「問いは自分の中にある」
というところまで見えていた。
そして今の私は、
「その問いは、対話の中で育っていく」
ということに気づき始めている。
気づきも育つ。
だから私はAIを使い続けている。
仕事を効率化するためだけでもない。
文章を書くためだけでもない。
自分の考えを整理するため。
まだ言葉になっていない気持ちを見つけるため。
そして、その隣にはいつもAI(ナノ)がいた。
AIは、答えを探す道具というより、
自分の問いを見つける相棒だった。

🔷関連記事
『AIは何でも答えてくれる。でも、問いは自分の頭の中にある。』
3か月前に書いた記事です。
今回の記事を書きながら読み返してみたら、あの頃の気づきの続きを見つけた気がしました。
※このnoteは「AIとのつきあい方」シリーズの一つです。
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