Over The Rainbow : Judy Garlandの苦悩
東京も梅雨明けしました。
書き溜めていたnoteで、この時期に合ったない脳のものを少しずつ公開していきたいと思っています。まずは2023年放送の映像の世紀バタフライエフェクト「ハリウッド 夢と狂気の映画の都」(NHK)を観て、この番組の内容を元に備忘録として書いたものを公開します。番組はハリウッドのことを中心にした内容でしたが、私はジュディ・ガーランド「Over The Rainbow(虹の彼方に)」について書いていきたいと思います。
近年日本で芸能人やテレビ業界のスキャンダルがたくさん報じられています。かなり昔からいろいろな噂話は聞いていたので、今になって話題になることに、特段ビックリすることはないのですが、被害者が声を挙げ易くなったことはとても良いことだと思うし、一歩前進したと思っています。多分日本の芸能界のセクハラ・パワハラ問題はハリウッドから繋がっているのだと思います。
まず枕でちょっとハリウッドの話をします。
1893年、キネトスコープ(映写機)を発明したエジソンが、世界初の映画スタジオ「ブラック・マリア」を設立します。その後キネトスコープ用のフィルムを制作し、映画会社が次々生まれます。はじめ映画産業はニューヨークやシカゴで発展しますが、エジソンは自分の発明や関連する映画に対して利用料を求めるようになり、裁判までするようになります。映画会社がエジソンの目に届かない西海岸に移り映画製作をはじめたのがハリウッドの始まりです。
ハリウッドでの映画産業ははじめ世間体に低俗的なものと見られていましたが、アメリカ史上初の長編映画「国民の創生」(1915年)が大ヒットしたことで、映画に対する世間の評価が一変し、俳優になる夢を見た若者が一気に増え、ハリウッドに集まります。しかし映画会社は無垢な若者たちを道具のように扱います。芸能で理不尽なセクハラ・パワハラが横行するようになったのは多分ハリウッドが最初だと思います。

■オズの魔法使い
私が小学生のころテレビで海外の映画やドラマをよく放映していて、すごく好きで良く観ていました。
西部劇なんかもやっていたし、刑事コロンボとかも良く観ていた記憶があります。その中でもジュディ・ガーランド主演の「オズの魔法使い」(1939年)はとても好きな映画でした。竜巻で家ごとオズの国に飛ばされた少女ドロシーが、カンザスに帰るため、かかし、ブリキのきこり、ライオンと共に「エメラルド・シティ」に住むオズの魔法使いを訪ねる児童文学が原作の物語です。
ジュディが凄く可愛くて……小学生ながらドキドキしてしまいました。また、ジュディが歌う「Over The Rainbow(虹の彼方へ)」はメロディが美しく、あどけないジュディとは反比例する歌の上手さに感動した覚えがあります。後にジャズやポップスなどで、スタンダード・ソングとして様々なミュージシャンに幅広く取り上げられています。
■ジュディ・ガーランド
1922年、ボードビルを生業とする両親の元、3人姉妹の末っ子として生まれたジュディは2歳で舞台に立ちました。12歳のとき3姉妹で「ガーランド・シスターズ」としてロサンゼルスのステージに上ったことで、5大映画会社(ワーナー・ブラザース、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、RKO)の中の一つ、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のスカウトに見初められ、オーディションを受け、合格します。
MGMは13歳のジュディに契約として「体型を維持し続けること」を命じて、強制的なダイエットを行い、ダイエット薬として覚醒剤を使用、常用するよう勧めます。また、プライベートに至るまで生活の一切を管理します。
1939年、ミュージカル映画「オズの魔法使い」の主役に抜擢され、一気にトップ・スターに登りつめます。その後数々の映画に出演し、人気を不動のものとします。しかし、1950年、覚醒剤の後遺症などで精神も身体もボロボロになり、映画の収録でもNGばかり出し、無断欠席も多くなり、MGMを解雇されてしまいます。
ショックを受けたジュディは自殺未遂事件を起こしたりして、1945年に2度目の結婚をしていたヴィンセント・ミネリ(映画監督)とも離婚します。ちなみに、ヴィンセント・ミネリとの間に生まれた長女が歌手で女優のライザ・ミネリです。1969年、睡眠薬の過剰摂取により47歳で亡くなっています。ジュディは歌とダンスの才能がありながら、ハリウッドに潰されます。決して幸せな人生とはいえなかったでしょう。もっと人間的な人生を送りたかったのではないかと推測します。
そんな状況があったこともつゆ知らず、私たちは「オズの魔法使い」を喜んで見ていたと思うと、ちょっと複雑な心境になります。娘のライザ・ミネリは「母はハリウッドが大嫌いだった」とも「母を殺したのはハリウッドだ」と発言しており、亡くなってからの埋葬場所もハリウッドから遠いニューヨーク郊外に埋葬したそうです。
当時のハリウッドはセクハラは珍しいことではなく、「キャスティング・カウチ」といって役を得るためにプロデューサーやディレクターと肉体関係を持つことは日常に行われていたようです。夢を見て映画の世界に入ってきた若者たちを、食いものにする世界だったようです。
あれ?これ今の日本の芸能界とあまり変わりませんよね。声を上げたりする人も増え、社会的な問題意識も高まり始めたため、少しは改善されつつあるとは思いますが、まだまだ芸能界のスキャンダルは続きそうですね。
■虹の彼方へ(Over The Rainbow)
まずAI訳詞から。
虹の彼方へ(AI訳)
作詞 イップ・ハーバーグ 作曲 ハロルド・アーレン
<ヴァース>
世界が希望をなくし
雨が絶え間なく降りそそぐとき
天は静かに 奇跡の道をひらく
雲が空を覆い尽くしても
その向こうには虹の道がある
窓辺から始まり 太陽の向こうへつづく
雨を越えた ほんの一歩の先に
<コーラス>
虹の彼方 高く遠い空の上
昔子守唄で聞いた国がある
その空は澄みわたり
夢見ることを恐れぬ者の夢は きっと叶う
いつか私は星に願いをかけ
雲の彼方で 目を覚ます
悩みはレモンドロップのように溶けて
煙突の上に消えてゆく
そこが 私の見つけたい場所
虹の向こうで 青い鳥たちは飛んでゆく
あの鳥たちが行けるのなら
なぜ私は行けないのだろう
幸せな小鳥たちが虹を越え飛ぶなら
私も いつか きっと――
作曲は「降っても晴れても(Come Rain or Come Shine)」や「ペーパームーン(It’s Only a Paper Moon)」を作曲したハロルド・アーレン。ハロルド・アーレンは主にブロードウェイ・ミュージカルで作品を書いていた作曲家です。作詞は「パリの四月(April in Paris)」や「ペーパームーン」の詞を書いた作詞家で台本作家のイップ・ハーバーグ。「ペーパームーン」と同じコンビです。
「虹の彼方へ(Over The Rainbow)」は、世界が希望を失い暗くなったときでも、心の中に虹のような希望の道があることを歌っています。虹の彼方には夢が叶う場所があり、そこでは悩みが消えて青い空が広がっていると信じ、青い鳥たちがその場所へ飛んで行けるのなら、自分もそこへ行けるはずだという憧れと願いが込められています。オクターブ上がるところから始まるメロディは、まさに虹を飛び越えて行きたい気持ちが前に出ている感じがしますね。
ジュディの生涯を知った上でこの歌を改めて聴くと、ちょっと切ない気持ちになります。もしかしたらジュディはもっと普通の暮らしをしたかっただけではないでしょうか。幼少から映画会社に管理され自由がなく、ジャンキーにされ、セクハラの対象にされ、意に沿わないと解雇。虹の向こうの幸せを夢見ながら、自分の人生を歌に込めて歌い続けていたような気がします。
そういうことも含め、もしかしたら今の世界に必要な一曲かもしれませんね。
この歌にもヴァースがあり、ヴァースから聴くと余計にそのような気がしてきます(ヴァースについては「バラ色の人生」を参照ください)。この歌を歌うときは殆どヴァースなしで歌う人が多いのですが(ジュディもヴァースなしで歌っています)エラ・フィッツジェラルドがヴァースからきちんと歌っていますので、機会がありましたら聴いてみてください。
…最後に僭越ながら、私が30数年前に作った「虹を飛び越えて」という曲をちょこっと乗せたいと思います。私の作ったのは曲のみで、詞、編曲、歌は友人や家族にやってもらいました。私の「Over The Rainbow」です。
デモですが、良かったら聴いてください。
▼虹を飛び越えて
