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夭怪着到幉②~黄表紙で描く江戸の妖怪図鑑

 いろいろな妖怪ようかい妖怪ようかい図鑑ずかんのように次々と紹介しょうかいしていく第二だん
 
 黄表紙きびょうし夭怪ばけもの着到幉ちゃくとうちょう」は、北尾政美まさよし作画、天明八年1788年、鶴屋つるや喜右衛門きえもん版。
 上下二巻二冊の現代語訳を二回に分けて紹介する最終回。

 


下巻

 これは正真正銘しょうしんしょうめい海坊主うみぼうず。海中から浮かび出て、船乗りをとってしまう恐ろしきものなり。

 


 毎月黒日くろび(●)には、ものたちが寄合よりあいをすることあり。
 きつねおどりの名人。得意とくい信田妻しのだづまを踊る。
 馬殿うまどのは、太鼓たいこを打ちます。

 


 姫路城ひめじじょうに住むという刑部姫おさかべひめという妖怪ようかいは、怖いものの親玉で、ひとたびその姿を見ると、即座そくざに命をとらるるなり。
 三面姥さんめんうばというのがおり、一つ目小僧こぞううばにつきまとう。
 女の人魂ひとだまにくいと思う男ののどに食らいつく。
 くら虫というのは、草が深い場所におり、ときどき出会うことがある。

 


 悪息あくいきというのは、くさい息をはき、その息にあたれば、たちまち死す。
 たこ入道にゅうどうは、海辺かいへんに出てきて、人をとららえる。
 さるの年月をたのが狒々ひひなり。人の考えがテレパシーでみんなわかるので、つかまえることができない。
 たぬき金玉きんたま八畳はちじょうに広げ、人の頭からかぶせる。その後は馬鹿ばかになるという。

 


十一

 車廻くるまめぐは、自分の口から出る火炎かえんで、自分の車を回す。
 蛞蝓なめくじものは、人にいつく。
 蝙蝠こうもりけたのは、人の目をねらう。
 風尼かぜあまは、大風おおかぜの吹くときにあらわれ、人にとりつく。
 骸骨がいこつは、墓場はかばにいて、おどっている。
 赤鬼あかおには、あかぼうらう。

 


十二

 かかるところへ力自慢ちからじまんの鎌倉時代の武将ぶしょう朝比奈あさひなの三郎さぶろう、飛び出して、もろもろの悪鬼あっき退治たいじしたので、もの根絶ねだやしとなる。
 今の世には、少しもこわいことはない。お子様こさまがた、気持ちをしっかりもって、安心してトイレに行ってくださりませ。

めでたしめでたし

  政美まさよし

 


 北尾きたお政美まさよし(1764~1824)は、本名、赤羽あかばね三二郎さんじろう畳屋たたみやの息子で、十三歳頃に北尾きたお重政しげまさ(1739~1820)に学び、北尾きたお政演まさのぶこと山東さんとう京伝きょうでん(1761~1816)、くぼ俊満しゅんまん(1757~1820)とともに北尾門下三羽烏さんばがらすと呼ばれた。
 本作(1788刊)は、政美まさよし二十三歳の頃にえがかれている。当時の妖怪ようかい画家として有名な鳥山とりやま石燕せきえん(1712~1788)の影響もある妖怪たちであろう。現代の妖怪画が、水木しげるの妖怪図鑑ずかんのタッチの影響を受けているようなもの。なお、水木は、鳥山とりやま石燕せきえんら江戸の妖怪画の影響を受けており、妖怪画の流れは現代の妖怪ウオッチなどにも受けがれている。
 政美まさよしの後年は、津山藩のおかか絵師えしとなり、鍬形くわがた恵斎けいさいと名のっている。
 

鳥山石燕「画図がず百鬼夜行ひゃっきやこう」模写


水木しげる「妖怪図鑑」模写


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