海が売られて日本から漁師が消える
子どものころ、砂浜の海へ行くと、大きな身のハマグリがうそのようにとれた。バケツ一杯どころかもっともっととれた。ところが環境の悪化だろうか、いつの間にかハマグリがいなくなった。スーパーへ行けば中国産のハマグリ、しかもアサリよりも小さなものが売られている。
岩場の岸壁や防波堤へ行けば小さな巻貝がいる。これまたいくらでもとれるので、湯がいて食べたり、針で身を出して貝メシにして食べた。これもいつの間にかとれなくなった。いなくなったわけではない。漁業協同組合以外はとれなくなったのだ。禁漁にするのは漁業従事者を守るためではあるが、資源がなくならないように守ることにもなる。漁業はいつまでも続くものではなく、有限な資源なのだ。
イセエビは、伊勢という名がついているのに伊勢で取れなくなり、どんどん北上しているらしい。温暖化のせいだ。他の魚も、今までとは違う場所でとれるようになった。
環境劣化、温暖化、魚介類の取りすぎ。漁業従事者の減少。いろいろな理由があるだろうが、魚や貝が取れなくなっている。食糧危機となり、海外から食糧が輸入できなくなっても日本の周りには魚がいる、なんてことはもう言えなくなった。
大丈夫、大丈夫。日本には養殖の技術がある。近大マグロに、各地のなんとかサーモン。鮭ではなくサケ科のマスなどを養殖し、サーモンとして販売する。ウナギだって幼魚のシラスウナギをとらなくても卵から育てる完全養殖に成功している。養殖をすれば魚は確保できる。海産物は確保できるという。
日本のことだけではなく、世界を見てみよう。
世界でも多くの国で漁業に企業が参入している。ノルウェーは養殖ビジネスで成功したといわれる。他の国も企業が漁業に参入し独占している。企業が漁業権などを独占するので地元の漁師は魚がとれなくなる。中国漁船が尖閣や日本近海にやってくるのも、ひとつには企業に漁業権を独占され、近海で漁ができないことも原因にあるそうだ。
漁師は生活しなければならないので、なんとか魚をとろうとする。企業は儲けたいから、儲けがなくなればすぐに撤退する。残った海や養殖場がどうなろうと知ったこっちゃない。
東日本大震災で被害を受けた漁業を、2013年、宮城県が水産特区を実施した。集約、大規模化、株式会社で水産業を変えようというのだ。漁師の高齢化や漁船の老朽化があるので、小さな漁港はまとめ、漁業権は企業に渡し、漁師はここの社員となれという。企業の参入を反対するので、漁業権を持つ漁協、漁業協同組合をなくせという。現地の漁師は反対し、日本水産やマルハニチロ(ウミオス)は今でも漁協に入っているという。日本の企業ではない、つまり海外の企業を入れるための特区だという。
だが、特区に参入したのは桃浦かき生産者合同会社1社だった。助成金のなくなった3年目から赤字が出、産地偽証のかきの販売もあった。しかしニュースはほとんど出ないので、まわりの人は問題があるとは思わない。
このことを書いた本は10年近く前のものだから、現在はどうなっているのかとネットを見たけど、なかなかこれだという記事が出てこない。世間ではそんなに関心のないできごとだったのだろうか。それとも私の検索の語彙がよくないのだろうか。
出てきたのは、企業化の中で若い漁師ががんばっているというようなニュースだった。
小麦や肉の輸入がストップしても日本の周りには海がある。海産物は自給自足ができるのが日本のはずだった。けれど企業に売られたら自由に漁ができなくなり、日本から漁業が消えていく。寿司などの和食を食べたくて来日するインバウンド客も、日本近海の魚は食べられなくなるので養殖の魚を食べに、わざわざ来日するのだろうか。養殖のマグロとサーモンとウナギだけになってしまう。日本人の生活だけでなく、観光業にも大きな影響が出る。
漁業権が金儲けの道具とされ、地元の漁師が下請けの労働者となったので、漁業権の貸し付けと売買を禁止する漁業法ができたのが、戦後1949年。それが2020年、70年ぶりに改訂された。
水産資源の適切な管理を通じて水産業の成長産業化を実現し、漁業者の所得向上と年齢バランスの取れた漁業就業構造を確立することを目指し、水産政策の改革を実施。
という。これまた、いいことしか検索にあがってこない。
目先の利益だけでなく、日本の未来を本当に考えた政策を考える政治家はいないのだろうか。戦後の漁業法を作ったのは政治だ。そんな政治家を選ぶのは我々国民なのだ。
自分は数年後にはこの世にいないから、どうでもいいや、じゃなく、みんなで日本の未来を長期的に考えたい。考えなければならない。
日本の未来をつくるのは我々自身なのだから。
堤未果さんの「日本が売られる」(幻冬舎新書2018年)を読んで、へえ、へえと思ってこの記事になった。
堤未果さんの記事に触発されて書いた記事はこちらにも、

