的中地本問屋①~江戸の本屋の絵物語~「べらぼう」見るなら黄表紙を知ろう
平安時代には筆で書き写して増やしていた「本」が、江戸時代には、木版で大量に印刷されるようになった。これは、文字の読める人がそれだけ江戸時代にいたことにもなる。
江戸時代前期には、上方で多くの本が出版されたが、後期になると、江戸の町でも多くの本が出版された。江戸の出版社(版元)を地本問屋と言った。
「的中地本問屋」は「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九(1765~1831)作画、享和二年1802年、栄邑堂村田屋治郎兵衛刊行の黄表紙。
上下二巻二冊の現代語訳(かなりの意訳)を二回に分けて紹介する。
上巻
序
商売は草の種本。書けども書けどもつきぬ、浜の真砂の洒落次第、ふざけ次第の出放題。金のなる木を彫って、小刀細工の銭もうけ、作者は臨時の金もうけ、趣向は本屋の金の蔵、山吹色の黄表紙は、小判と同じ味がする、ちょっと正月祝って筆をとる。
享和二年 十返舎一九
一

ご存じの江戸絵本、草双紙の版元、栄邑堂の主村田屋治郎兵衛は、年々の草双紙、みな変わった趣向もないので、今年は一発ヒットさせようと、いろいろと工夫をして、まず、草双紙の作者、例のなまけ者十返舎一九を呼び寄せ、酒を出し、その酒の中に作品がよくできる妙薬を入れて飲ませける。
その薬というのは、畑の肥料にする干鰯(イワシ)、農作業をする馬の馬糞、畑作業の鋤や鍬を粉末にして、百姓の脂汗で練り合わせ、丸薬として、一九に飲ませけるに、不思議や不思議、妙薬の効果にて、今年の作品は、とほうもなくよくできる。
女中「ただいまのお薬でござります」
栄邑堂「おめえ、去年、潮来で女郎を買って、金がなくて代金の代わりに狂歌を詠んだという話を聞いたぞ」
一九、馬のフンを入れたものを飲ませられるとは知らず。
一九「銚子でバカをしたことは、今年出版の『旅眼石』という本に、みんな書きやした」←自分の本の宣伝
二

一九の作品は、よくできていたので、挿絵を描かせて、彫師のいる版木屋へ持って行き、村田屋は、とにかく早く仕上げてたくさん印刷して、たくさん売るつもりなので、版木屋にさぼられてはなるまいと、かねてたくわえていた宝永四年(1707年)に富士山が噴火したときにできた琵琶湖の水を酒の中に入れて版木屋に飲ませれば、これも妙薬で、たちまち効果てきめん、一夜のうちに彫り終われば、版元村田屋は大喜びし、
「薬もきけばきくものだ。この次は、板刷りの摺師に飲ませる妙薬を考えましょう」
彫師「あなたがくださった酒は、失礼ながら水がまじっておりましたから、さっぱり酔えませぬ」
村田屋「正月発行の黄表紙は、夏のあいだに仕込んでいなければ、思うように商売ができませぬ。これができたら、次は、喜多川歌麿門人、菊麿の大判錦絵を数枚彫ってもらいてえなあ」
三

とにかく早く仕上げたいと思い、摺師には、曽我五郎の鎧をひきちぎった朝比奈の腕、屋島の戦いで兜をひきちぎった悪七兵衛景清の腕、これを黒焼きにして、これまた酒に入れて飲ませければ、板刷りの摺師の腕が、とほうもなく力強くなり、一日に一人で何万枚という紙を刷りける。ひとえに朝比奈の腕の力と、景清の腕の力にあやかったものとみえたり。
景清&朝比奈「とっくりの中から、おいらがこうして出てこなくっちゃ、画面がしまらない。そこでおれたちが出てきたんだけど、せめてイスでもあれば、もっとポーズがとれるんだけどなあ」
摺師「こう早くできたら、晩には遊郭へひやかしに行くべえ。えて吉が待ってるさ」
摺師「おらあ、柳屋に傘を置きっぱなしにしているから、取りに行かなくっちゃなるめえ」
摺師「それよりそば屋へ行って、すっぽん煮で一杯やるほうがいいさ」
四

A4判(297㎜×210㎜)ほどの用紙に印刷したものを、画面左のように二つ折りにし、画面右のように順番にそろえることを丁合をとるという。これも早くできるようにと、かねてから工夫しておいたことなれば、八個の鉦を同時に打つ八丁鉦を黒焼きにして、丁合をとる者に飲ませければ、妙薬の効果てきめん、八個の鉦を打つように、その手の早さは、ちゃんちゃんちゃんと、すぐに丁合をとってしまう。
丁合とり「がんがん三つ口丁合とらしょ♪」
村田屋「ちょうあいさんな(唐来参和)というダジャレの方がいいぞ」
左の丁稚「早く仕事が終わらないかなあ。黒飴を買って食べたいなあ」
五

草双紙の丁合をとってしまうと(順番をそろえると)、それから背を切り、下を切り、上を切って大きさをそろえる。これがまた切りにくくて時間のかかるものなので、これを切る者には、豆腐を薄く切る包丁を煎じて飲ませれば、たちまち手が早く動き、台になる裁板も定規もいらず、豆腐を切るように、とんとんとん、とととととんと切っていく。
トントン、トトトトトトン
次回につづく、
前述のように、江戸の出版物は木版印刷だった。木版には作者の原稿の文字をきれいに書く人が必要だし版木に彫る人、紙に印刷する人など、多くの人の手を経る。
本だけでなく有名な多色刷りの浮世絵なども木版画なので、画家一人の作品ではなく、髪の毛一本一本まで彫る彫師、美しい色に刷り上げる摺師などの共同作業である。
江戸の絵本である黄表紙もこうして版画として大量に作られた。
安永(1772~1781)から天明(1781~1789)、寛政(1789~1801)にかけて全盛を迎えた黄表紙も、寛政の改革から社会風刺的な内容が描きにくくなって、だんだん廃れていく。そんな時代に発表された(1802年)本作は、風刺どころかストーリーらしいストーリーもない。しかしながら、当時の出版事情を知ることができる貴重な作品である。
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
