見出し画像

亀山人家妖②~喜三二が手柄岡持で平沢常富でもある化け物話

 秋田久保田藩の江戸留守居役るすいやくである平沢常富ひらさわつねとみ(1735~1813)は、朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじなどの名前で戯作げさくをつくっていた。狂歌きょうかをつくるときは手柄岡持てがらのおかもちの名前をつかっている。
 黄表紙きびょうし亀山人きさんじん家妖いえのばけもの」は、朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじ作、北尾重政しげまさ(1739~1820)画、天明七年1787年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう(1750~1797)刊。
 三巻三冊の現代語訳を三回にわけて紹介する二回目。

 


中巻

 ここに手柄岡持てがらのおかもちというものあり。狂歌をつくっており、同じ狂歌の仲間に、渋染しぶぞめのびくあみと、真栗まくりのさおふと(竿太)泥川どろかわのつれんどなど集まり、人の行かないところにこそ何かあるだろうと、おいてけぼりりに行ってみようと言いける。
 
びくあみ「おいてけぼりは、『置いてけ置いてけ』と声がするというが、そんなことを恐がるのは、きついたわけなことさ」
手柄岡持「お化けが出たらればよかろう」
つれんど「はて、もし『置いてけ』と言われたら置いてくるだけのことさ。たかが知れたものだ」
 

 手柄岡持てがらのおかもちは、朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじが狂歌をつくるときのペンネーム。江戸にはたくさんの狂歌グループがあった。

 


 四人の者は、おいてけぼりで釣りをすると、おびただしく釣り上げ、喜んでいると、向こうのやぶから、
「置いてけ置いてけ、その手柄岡持てがらのおかもちを置いてけ」
と言うので、みなみな恐れをなす。
 手柄岡持てがらのおかもちは、食べ物を入れる「岡持」のことだろうと、釣り上げたフナを置いて逃げようとすると、連れの三人は、
「手柄岡持を置いてけと言うのだから、おまえのことだろう」
と、手柄岡持を、あたりの大木におびむすびつけ、竿ざおと魚を持って、三人とも逃げて帰る。
 
手柄岡持「おれのこととはちがう違う。おれもいっしょに逃げたい。悪い名をつけたものだ。
きさまたちは、あんまり虫がよすぎる。
これさ、うしろまで手がとどかねえ」
びくあみ「あい、おいてまいります」
さおふと「つれんど、早く来たまえ。ほっといて逃げた逃げた」
つれんど「おれは、先に逃げるぞ」

 


 かくてむこうのやぶ、ざわざわとして、出てきたのは、化け物ばけものか池のぬしかと見れば、吉原で有名な松葉屋まつばやならぬ升葉屋ますばや留山とめやま島浦しまうら二人があらわれて笑う。
留山「ぬしがあんまりまじめにりをしておいでなんすから、ちょっとおどかしたのでおすよ。島浦さん、早くといておあげなんし」
島浦「おや、おびがかなりきつくしばっていいすよ」
やり手お松「今日は、おいらんの外出のおともの帰りでござります」
若い者まさ介「これは、すきなり様、どうでござります」
手柄岡持「あんまりぬしぬしと言うまい。池のぬしが出てきたらえらいこっちゃ」
 

 朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじこと本名平沢常富ひらさわつねとみは、多くの名前を持ち、使い分けていた。喜三二きさんじ手柄岡持てがらのおかもち)は俳句もつくっており、俳句をつくるときのペンネームが月成つきなりといった。その名前をくずして「すきなり」という名前を登場させたのだろう。作中では、手柄岡持てがらのおかもちは、吉原では「すきなり」という名で呼ばれていたことになる。まあ、後半では、これが「すけなり」に変わったりする。

 


 それより岡持おかもちは、留山とめやまと連れだって升葉屋ますばやへやって来て、むしょうに洒落しゃれる。
手柄岡持「友だちのバカやろうどもが、おれをおいてきぼりにしおったが、おかげで女郎屋へ来て、おれがしあわせになった」
 留山とめやまはおいてけ堀にて、岡持らをおおきにきもをつぶさせ、ちと気のどくなので、これをうめあわせようと、むしょうにお世辞せじを言って気分よくさせる。
 升人ますんど、おいてけ堀のことを聞きて、おかしがり、話を聞きに来る。
升花ますはな「すきなりさん、どうなんした」
 

 江戸の高級女郎屋松葉屋まつばやをまねた升葉屋ますばやだが、本物の松葉屋には、「升」ではなく、瀬川をはじめ、「松」を使った松人まつんど松花まつはな、川岸、松が枝、松風、染川そめかわなどの女郎の名が「吉原細見さいけん」に見える。

 


十一

 岡持おかもちは、留山とめやまのお世辞せじにうつつをぬかし、
心あれば顔中がんちゅう西施せいしを出す」(古代中国の美女西施せいしを愛しすぎ、呉王夫差ふさは国を滅ぼしてしまった。これより美女や遊女を傾国けいこく傾城けいせいというようになった、とか)
という古語のごとく、留山とめやまの姿が、吉原はおろか、昔から今にいたるまで、とう(中国)にも大和やまと(日本)にもこんな女はいないだろうと思え、ほかの女郎は、けしからぬ姿に見える。
島浦しまうらは、口大きく見える。
浜岸はまぎしは、目鼻口顔があまって見える。
瀬沢せざわは、小さく見える。
升花ますはなは、顔まんまるに見える。
ますは、あごがないように見える。
留川とめがわは、あごが長く見える。
升人ますんどは、大きく見える。

 


十二

 岡持おかもちは、いよいよ心まよい、おのれの男ぶりのよさから、留山とめやまにほれられていると思い、鏡に向かって見れば、大通だいつうの美男と見えるので、いよいようぬぼれる。
 
手柄岡持「鏡を見たら、留山とめやまのお世辞せじでないことがわかった。さてさて、おれの家の鏡では、とんだ悪く見えるけどなあ」
 
 升風ますかぜは、顔がふくれ、眉毛まゆげはうすく見える。

 


最終回につづく、

 


 手柄岡持てがらのおかもちこと朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじは、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろうが発行している、吉原のガイドブック「吉原細見さいけん」の序文じょぶんを書いている。そこに記される松葉屋まつばやの実際の女郎たちを升葉屋ますばやの女郎として本文に登場させている。
 ただし、本当のことを書いたら困ってしまうので、実際とは違うように描き、読者や女郎本人が笑って見られるようにしていたのだろう。たとえば、小柄な女郎を大女に描いたりしたのではないだろうか。ちなみに、ここに出てくる瀬川は五代目で、ドラマ「べらぼう」に出てきた花の井のことらしい。

 妖怪ようかいの話が、いつの間にか吉原の女郎の話になって、さて、最終回はどうなるか。
 

いいなと思ったら応援しよう!