亀山人家妖③~手柄岡持、平沢常富の江戸の吉原細見妖怪話の黄表紙マンガ絵本
日本では、古来、人間を超えた存在を「神」として恐れていた。「神」にかかる枕詞「ちはやぶる」は、本来、恐ろしい神を意味していた。
ところが、神の恐ろしさが薄れるにしたがい、神が化け物、妖怪になっていく。カッパや天狗、鬼を神と思うことはなくなったが、これらも本来は「神」だった。
そして江戸時代になると、化け物の浮世絵なども多く描かれるようになり、滑稽な表情も描かれ、化け物がキャラクター化していった。
そんな時代の黄表紙「亀山人家妖」は、朋誠堂喜三二作、北尾重政(1739~1820)画、天明七年1787年、蔦屋重三郎(1750~1797)刊。
三巻三冊の現代語訳を三回にわけて紹介する三回目、最終回。
下巻
十三

升人も、すこぶる男あつかいがうまいので、岡持がうぬぼれていることを見て、これはよいなぐさみなりと、おおいにお世辞を言えば、岡持は、これにも少々心を動かされ、だんだん体が小さくなるように見え、ついには小さすぎるようになる。
岡持「おれも色男の部類にしてくれるか」
升人「すけなりさん、あいさ、本当でおっすよ」
十四

岡持がうぬぼれているのを、瀬沢をはじめ、みなみなおかしがりて、言いあわせ、みなみな惚れたことにして狂言をすれば、岡持、いよいようぬぼれて、とんだ高慢を言う。
「すけなりさん♡」
「こっちを向いておくれなんし」
岡持「なぜ、おめえがたは、そのように困らせる」
「ちょっと耳をお貸しなんし」
「すけさん、ちょっとまあ、見なんし。ちっともわたしらにゃ、ものも言いなんせんね」
初人、留山、障子の外から見ておかしがる。
初人「おめえがたは、なにかおもしろそうだね」
留山「ほんに色男の気取りだねえ」
十五

岡持、あまたの女郎にだまされければ、はじめはあやしき姿に見えた女郎たち、たちまち様子が変わる。
浜岸、鼻小さくなる。
島浦、口小さくなる。
升が枝、あご長くなる。
升花、顔長くなる。
留川、あご短くなる。
升風、顔細く、目はぱっちりとなる。
瀬沢、背高くなる。
升人、背低くなる。
十六

岡持は、色男気取りで、調子のいいことをならべたてるので、みなみな、おおいににくがる。
按摩「もはや、とうに寝入りなされました」
「按摩さん、寝てしまいなすったら、ほっといて、こっちに来て酒でも飲みなんし。ぬしも、ちょっと悪口を言いなんし」
「寝入ったら、思い切り悪く言ってやろう」
「あれで本当に色男だと思っていいすか」
「本当に惚れられた気でおっすよ」
「全員から惚れられるなんて、あまりにも虫がいいじゃおっせんか」
「あんなおやじに、本当に惚れる人がありんしょうかねえ」
「もっとだれぞ来て、悪口を言えばようすに」
十七

岡持は、寝入ったふりをして屏風の外で、さんざんにそしられるのを聞いて、我ながら、我が身に愛想がつき、今まで色男だと思っていたのに、一度に玉手箱で年が寄った心地して、もとは釣りからおこったことなれば、漁師の浦島太郎に縁のある亀から、亀山人が三人寄れば文殊の知恵ではなく、紋所が変わったことになればなるものじゃなあ。
ここまで言われれば傾城の顔が、さしずめ鬼の顔に見えるところなれども、なんぼ悪口を言われても、まだひいきな心から、やっぱりいい女と見えるのも、手前勝手なるべし。
今まで悪く言っていた新造たち、おおいにへこむ。
「今のを全部聞かしったそうだよ。どうしようかね」
「しょうことがおっせん」
十八

このところにて、家の化け物をお目にかけます。と、魂を吹き出しにして持って、曰く、
すなわち、化け物と申すものは、みな心よりおこることにて、心正しきときは化け物にもあわず、みなこの心の迷いでござる。
さらば、飛ばぬうちに飲み込んでしまいましょう。
本作品には作者自身が登場するが、作者が登場する作品には山東京伝のものが多い。
喜三二は、本人の似顔絵となっているが、京伝の方は、本人はすっとしたいい男だが、作品に登場するのは、自身のヒット作「江戸生艶気樺焼」の主人公艶二郎と同じダンゴ鼻に描かれる。
鳥橋斎栄里の「江戸花京橋名取」の京伝像の模写はこちら、

喜三二は、本作品発表の翌年天明八年1788年に出版した「文武二道万石通」が幕政を批判しているといわれ、主君から注意され、以後は黄表紙を発表していない。
黄表紙にもいろいろな歴史がある。
