作者胎内十月図②~山東京伝の作品が生まれるまでを描いた江戸のマンガ絵本
十月十日で赤ん坊が生まれることになぞらえ、作者の腹の中でアイデアがどう育つのかを、黄表紙が作られるまでを戯画化して描いた作品。
黄表紙「作者胎内十月図」は、山東京伝(1761~1816)作画、文化元年1804年、鶴屋喜右衛門刊。
上中下三巻の現代語訳を三回に分けて紹介する二回目。
中巻
六

四月め
四月目は、作者の腹に、ようやく目鼻がついて、「くすり」と書いた目薬の看板の形ができる。このように、作品の「目鼻がつく」というのも、たいへんな案じなので、この月は普賢菩薩ならぬ工面菩薩の担当にて守りたまう。
工面菩薩は、巻物のかわりに質屋への預かり帳を読んでいたまう。これ、工面算段をする工面菩薩の証拠なり。
京伝「アイデアもつき、いい種がねえのさ。作者の種のねえのは、金がねえのよりはましだ。
今年は、だいぶ敵討ちの草紙が出たが、敵討ちもあんまりネタがねえのさ。種をひっくり返したらネタになるぜ」
作者が、作品の種を孕んだと聞いて、版元の鶴屋の番頭が、喜びに来たる。
七

五月め
おなかの赤ちゃんも、はや五月、梅の実ができる五月闇というころとなれど、作者の腹にはまだ当てがないので、闇夜に鉄砲を撃つ形ができる。
作者というものは、まんざら文字が読めなかったらできぬものなので、この月は、文殊菩薩ならぬ文字菩薩が担当して守りたまう。
もともと草双紙というものは、ひとつも本当のことはなく、みんな鉄砲、つまり、ウソばっかりなれば、文字菩薩、いろいろなウソをあつめて、さずけたまう。
「鉄砲」は、当時は大きな威力から、おおげさな話のことをいい、そこからウソの話も「鉄砲」というようになった。
京伝「鉄砲撃ちのようだけれど、これは、いま評判の歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で、勘平が舅の与一兵衛を誤って撃った場面のようだ」
文字菩薩「戯作者にさずける文字は、深い内容はいらぬ、子ども向けの内容ですむことだ。
なるほど、左ページを見ると、どいつもこいつも達者にウソをつくやつらだ」
○傾城の嘘泣き
○女郎屋の遣手の空笑い
○医者の手柄話
○巡礼の僧のばけもの話
傾城「わたくしの命は、おまえさんにあげた命でざんすから、殺すも生かすも、おまえさんの勝手になんし。ああ、悲しゅうざんす。おおいおおい」
遣手「おまえさまは、いつ見てもお若い。おほほほほほほ」
医者「この前、狐つきの患者を風邪薬の白狐湯で治したので、世間の医者が驚きました」
巡礼「諸国をまわっていると、そんなに不思議なこともありませんが、そうそう、立山の温泉地でコンニャクの幽霊にあいました。ぷるぷるとふるえて恐い幽霊さ」
この絵にあるのは、みんなウソばかり。ウソをつくことを鉄砲といい、万八というが、そのなかでもとびきりのウソ。これらをみな、作者にさずけたまう。それだから、作者のいうこと、一つもあてにならず。
八

六月め
六月は、少し趣向がうかんだようだけれど、どこといって手に取るようなところもないので、手で取れない、水に映った月の形ができる。
作者が、このように苦しんでいることも知らず、良かった悪かったと言って批判しながら見る人は、それも大きな徳なので、弥勒菩薩ならぬ見徳菩薩が担当するなり。
○草双紙といえども、まんざら種がなければ手品もできず、そこで見徳菩薩は、いろいろな種を買いつけて授ける。まず、女郎の手紙は、やきもちの種、数珠の玉は来世の種、そろばんの玉は飯の種、楽は苦の種、苦は楽の種、恋は女のしゃくの種、蝶は菜種の味知らず、この山の中で猪、猿を撃って商う種子島、バーン。朝顔の種、瓢箪の種、茄子の種に糸瓜の種、隠元豆の種にいたるまで、あるとあらゆる種を買い込みたれども、作品の種となりそうな種はひとつもなし。
見徳菩薩は、ことのほか長くいるゆえ、昼寝と貸本で日を暮らし、貸本の借り賃がかさんで苦しみたまう。
「種ならたったの黄表紙三冊物だ。ああ、種がほしいなあ」
手紙を読む女房「この手紙を、うちは読んだら堪忍奈良団扇、わが顔渋団扇、熱くなって胸が更紗団扇にゃならねえよ」
数珠の老人「そのようにやきもちを焼くと、貧乏神の破れ団扇だ、困ったものだ、ああ、なんまいだ」
そろばんの男「悋気、癇癪のおかみさんは、憎いが一心、二二が四」
九

七月め
七月目は、作者の料簡、どこの岸に舟を着けようかと迷ってばかりいるゆえに、沖にただよう舟の形ができる。
草双紙の作品というものは、本当のことはひとつもなく、曲がった柄を使って引く杓子定規なので、この月は、薬師如来ならぬ杓子如来が担当して守りたまう。
また、草双紙は、地口のしゃれでなければこまるものゆえ、杓子如来は、いろいろな地口を集めて授けたまう。それも、よい地口は、感心するばかりでおもしろくないので、ずいぶんこじつけた悪い地口を集めたまう。
○初午の行灯書き
○仁田山の通人
○安い太鼓持ち
など、悪い地口をこじつける者をよんで買い出したまう。
初午の祭りに行灯の絵やしゃれ言葉を書く人、偽物の通人、シャレもうまくない太鼓持ち来たる。
杓子如来、壺ではなく、杓子だけあって飯びつを持ちたまう。作者も、腹が減っては趣向もうかばぬ、というゆえなり。
京伝「なるほど、どれも悪い地口だ。そもそも杓子如来というのが苦しい地口だ」
太鼓持ち「猫づくしのメリヤスをひとつうたいましょう。
♪猫なで声のブチまでも、毛深き眉毛で物思い、時計の針で時を知る。ああ、にゃんと棚の鍋をぶちこわし、またたびながら化け猫にはならず、屋根の上でじゃれおうた」
京伝「そう三味線を鳴らされたら、ちょっとうかんだアイデアも、みんなどっかへとんでった。ままよままよで日を暮らす」
十

八月め
八月目は、作者の腹、布袋さんの大きな腹のように、ぼてれんと大きくなり、大きな帯でかくそうとしてもかくしきれず、今にも生まれそうに見えるけれども、作の種は、まだいっこうにうかばず、相手にするべき趣向がない、独り相撲の形ができる。
草双紙は、たわいないものなれど、そのうちの少しは、悪を懲らしめ、善を勧める勧善懲悪もなければならぬゆえ、この月は、観世音菩薩ならぬ勧善恩菩薩が担当したまう。
この月に、いろいろ狂言(芝居)の筋を買い込みたまう。
癇癪の筋、碁盤の筋、鰻の筋、煙管の筋、三味線の糸筋、これでも足らぬと、鯛の筋、小鰭の筋まで鮨の種に仕入れたまう。
勧善恩菩薩は、士農工商の道具を持って、それぞれの家業をはげましたまう。
京伝「こう並べてみたら、古道具屋の店先のようだ。」
「そもそも煙管の筋というのは、堅筋、横筋、火筋、細筋、経絡筋、親父の煙管が白髪筋、女の悋気が蛇腹筋、息子のおごりは一両に少し足りない三分筋、茶屋の祝儀が一分筋、禿の股には遣手の煙管の火傷跡、女郎の吸い付け煙草を格子の間から差し出して、煙管の雨に傘さして、うのみにするのが手品の煙管、煙草吸っても煙より、脂の通らぬ古煙管、取り替え商人の台に並んだ二三本、煙管に罪はないものの、
というのは、どうでございやす」
女「これが浅草の観音様ならぬ、がらくたの観音様だ」
男「戯作者の観音様かい」
男「観音様が相手では、支払いは縁起の鐘で年末払いじゃあるめえか」
十一

九月め
もはや九月目となれど、いまだ作者の腹に、これぞというよい趣向もうかばぬゆえに、
「こうアイデアがなくては、いっそのこと、作者をやめて、ながながの浪人者といって歩くのが、まし」
と、おおいにじれったく、編み笠をかぶって扇を持った形ができる。これは、よくよくせつない形なり。ヘソにはヘソの緒がついている。
作者というものは、とかく精気が強く、気根が達者でなければならぬものなので、この月は、勢至菩薩ならぬ精気菩薩が担当する。
版元の番頭、見舞いに来る。
「板木屋は小刀を持って版画を彫る準備をして待っており、板摺りは馬楝を持って印刷する準備をして待っております。早くおもしろい作品を生み出してくださいまし」
もうすぐ作品が生まれるところで、次回につづく、
五月目に鉄砲を持った勘平が出てくるが、勘平が出る「忠臣蔵」の黄表紙には、こんなものもある、
