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箱入娘面屋人魚③~人と人魚の恋の江戸マンガいよいよ完結

 人魚は、亭主ていしゅ借金しゃっきんを返そうとみずから遊女となるが、手足がないのでばけものあつかいされる。

 黄表紙きびょうし箱入娘はこいりむすめ面屋めんや人魚にんぎょう」は、山東京伝さんとうきょうでん作、北尾きたお重政しげまさ画(?)、寛政三年1791年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう版。

 三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する三回目、最終回。

 


下巻
十二

 舞鶴屋まいづるや亭主ていしゅの思いつきはなかなかよかったが、なんと初日からミソをつけ、舞鶴屋まいづるやにはものが出るとうわさになれば、人魚を一日も置かれず、七両二そんとして、平次へいじを呼び出して引き渡す。
 
伝三「いやはや、女郎になるための必要経費は、衣装いしょうからくしこうがい、衣服をかける衣桁ゆこう屏風びょうぶ夜着よぎ蒲団ふとんたらい火鉢ひばち煙草盆たばこぼん鏡台きょうだい提灯ちょうちんかさ下駄げた箪笥たんす長持ながもち、更紗鉢さらさばち擂粉木すりこぎ擂鉢すりばち、はちはちはち、がらがらがら、しめていくらか知れませぬ」
と、外郎売ういろううり早口言葉はやくちことばのようにしゃべる。
平次「書き込みが多すぎると本屋がこまりますので、わたくしはただ、はいはいとばかり申しております」

 


十三

 ここに、ぶね平次へいじの近所に、一人の物知ものしりありけるが、平次へいじが人魚を女房にしてもてあましていると聞き、彼にしめしていわく、
「それ、『本草ほんぞう』の書物に、人魚としょうするものは二種あり。いわく、諦魚ていぎょいわく、鯢魚じぎょなり。また、『異物志いぶつし』には、人の形に似て、長さは一尺あまりで、頭に穴があると書かれているが、こんな人魚は聞いたこともない。また、昔よりの言い伝えに、人魚をなめた者は千年の寿命じゅみょうをたもつという。なんにせよ、金になることまちがいなしじゃ」
と言われて、平次はおおいによろこび、さっそく家の前に、
寿命じゅみょうくすり 人魚おんなめどころ
という安っぽい看板かんばんを出せば、天寿てんじゅを考えず長生きをしたがる俗物ぞくぶつども、千年生きられると聞いて、われもわれもとなめに来るこそおろかなり。
 ただし、なめちんは一人前金一両一で、吉原の高級遊女と同じ値段なり。
 
人魚「ぬしは、なにか口がくさいよ」
平次「♪太鼓たいこにあわせてなめなっせえ。リズムにあわせてなめまんしょ。亭主ていしゅ留守るす女房にょうぼうを、水あめ、なめ味噌みそ金山寺きんざんじ味噌みそ胡麻ごま味噌みそ柚子ゆず味噌みそ砂糖さとう味噌みそ。はあ、リズムにあわせてなめさっせい」
ドコツクドコツクスコドコドンドン
 みなみな、番号のふだをもって順番になめる。
男「いっそのことなら、もっと下のほうをなめたい」
 いくら人魚でも、少しはずかしく、顔を頭巾ずきんでかくす。

 


十四

 深川ふかがわ壬生狂言みぶきょうげん流行はやると両国りょうごくにもでき、となりで忠臣蔵ちゅうしんぐらをするとこっちも忠臣蔵、十二もん茶漬ちゃづ飯屋めしやは、どこが本家ほんけでどこが元祖がんそかわからなくなり、上州じょうしゅう八丈島はちじょうじまの八丈りをまねれば八王子はちおうじでも織物おりものを出す。なかなか油断ゆだんはならず、われもまけじとまねをする世の中、ぶね平次へいじが人魚をなめさせて大儲おおもうけをすれば、そのとなりの亭主ていしゅ欲心よくしん者で、やがて思いつき、自分の女房がふっくらしている顔へ、おしろいをこてこてとらせ、胸から下へ、子どもの五月のこいのぼりを取り出して、はかせ、人魚にして、看板かんばんまで出して、一なめ二百もんの安売りをしたけれども、こいつは、サギをカラス、夜鷹よたかの安い遊女を高級遊女というようなもので、なんぼ俗物ぞくぶつどもでも、その手はくわず、だれ一人なめに来ないので、亭主はやけをおこして夫婦ゲンカをおっぱじめる。
 
女房「まあ、こいの着物をぬいでからケンカだ。はなせ離せ」
亭主「うぬが気がきかねえから流行はやらねえんだ。はりさけらあ」
女房「なにがはりさけるだ。はりさけるとは、最近の吉原の流行語かい。そんなことは知らねえ。こっちは、こいのぼりがはりさけらあ」
子ども「おいらは知らねえ知らねえ。お母さんがお魚になった」

 


十五

 かくてぶね平次へいじは、少しのうちに、女房のおかげで大金をもうけ、今はなに不足ふそくない身の上となれば、近所の若い連中、これをうらやましく思い、平次がぶさいくなのにつけこんで、人を人とも思わず、人魚を魚くさいとも思わず、平次が留守るすのときに入りこみ、いろいろいやらしい言葉をならべて口説くどけども、人魚は貞女ていじょならぬ貞魚ていぎょで、相手にせず、魚だけに尾ひれではねつける。
 人魚は、相手にせず、つんとしている。
 
男「明日あたり、こい料理で有名な向島むこうじま武蔵屋むさしやへでも行って、おれとしゃれる気はないかえ。しかし、このご新造しんぞさんは、向島のこい料理屋ではちょっとやばい姿だ」
人魚「魚肉ぎょにくを食べない精進日しょうじんびだから、つきあわれねえよのう」

 


十六

 平次へいじまんの金持ちとなり、このうえは二十歳ばかり若くなればおもしろいと、わが女房を時間があればなめけるが、なめればなめるほど若くなるのでおもしろく、われを忘れてなめすぎて、ついに七つばかりの子どもとなる。女房は人魚、亭主ていしゅは子ども、さりとはつまらぬこととなる。
 あまりゆきすぎることを「なめすぎたやつだ」というのも、こんなことからはじまったことなり。
人魚「それ、みなんせえ。あんまりなめすぎなはるから、こうなった」
平次「かかあや、これまあ、どうしたもんだ。ああ、乳が飲みたくなった」

 


十七

 さてもぶね夫婦ふうふこまっていると、浦島太郎がこいをつれてあらわれ、例の子どもとなった平次へいじ玉手箱たまてばこのふたを開けさせれば、あいもかわらず年を取る玉手箱の力にて、ちょうどいいぐあいの男盛おとこざかりになりければ、平次はおおいによろこびける。
 去年、深川の八幡はちまん開帳かいちょうがあった玉手箱たまてばこは、すなわちこれなり。
 さて、女房の人魚も、若い連中が手をつけたり足をつけたがった一念いちねんで、はかまぐように一皮ひとかわむけ、足と手ができ、本当の人間となりけることこそ、あまりにこじつけすぎて、うまくできすぎたるほど不思議ふしぎなり。
 
 平次は人魚となかむつまじく、金持ちとなり、堺町さかいちょうあたりへ住宅をこしらえ、しける。ここは、現在の日本橋人形町にんぎょうちょうであり、当時は人魚町と言っていたが、今は人形町とまちがって伝わる。
 
 セミのがらとちがって、人魚のがらは、めずらしく、これを漢方薬屋へ売り、平次はまたまた金をもうける。よいときには、よいことばかりつづくものなり。
 
浦島太郎「これからも、ゆくすえを見守みまもっておるぞ。ゆめゆめうたがうことなかれ。とはいうものの、あんまりあてにすることもなかれ」
ドロンドロン、ドロドロドロドロ、消えてゆく。

 


十八

 この物語は七千九百年ほど昔のことにて、なにやら聞いていたらウソっぽいけれども、まったくいつわりではござなくそうろう
 人魚はもともと不老不死ふろうふしであり、平次へいじのほうは年が寄ると女房にょうぼうをなめなめして、今もこの夫婦は生きており、今はわたくしの家のとなりに住所をつかまつりそうろう
 このうえ、いくら生きるやら、まったくわからず、厄払やくばらいのことばに「東方朔とうぼうさくは八千歳」(東方朔とうぼうさくは女神西王母さいおうぼの桃を食べて長生きしたといわれる)と言うが、そっちにことばはもっていかれたけれど、金は万と今ではあり、「めでたしめでたし」で終わるほかの草双紙くさぞうしの終わりかたとはちがい、これこそ格別の、とびきりのめでたかりける次第しだいなり。

あけましておめでとうござります
             京伝作

 


 玉手箱たまてばこ見世物みせものがあったように、人魚の見世物みせものもあったようだが、実際は十四場面のように、人間が人魚のかっこうをするだけだったろう。けれど、人魚のかっこうで、ちょっとエロティックな踊りでもすれば、それはそれで商売になったのではないだろうか。んっ。
 また、杉田玄白げんぱく前野良沢りょうたくに学んだらん学者の大槻おおつき玄沢げんたく(1757~1827)が天明六年1786年に出版した「六物新志ろくもつしんし」に、人魚(海女)について、
海中にあり、上半身は女性、下半身は魚の姿
その骨は下血を止める妙薬である

しるし、銅版画風の挿絵さしえまでせている。

「六物新志」より模写

 こちらの人魚はヨーロッパ風で、なんと足まであるが、なにはともあれ、このように、当時の人々にとって人魚は身近な存在だった。
 また、十三場面に出てくる物知ものしりは、大槻おおつき玄沢げんたくのことをあてこんでいるようだ。

 


 黄表紙は正月に発行されるので、この作品はめでたしめでたしだが、「口上」にあるように、同じ年に蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろうにたのまれて出版した洒落本しゃれぼん三部作が、この後、風紀ふうきを乱す好色こうしょく本だということで、京伝は手鎖てぐさり五十日となった。蔦屋つたやのほうは財産ざいさんの半分を没収ぼっしゅうされている。

 寛政かんせい改革かいかく(1787~1793)は出版業界と文学界に大きな影響を与えた。
 
 

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