箱入娘面屋人魚①~魚と人とで人魚が生まれる江戸マンガ
人と魚が恋をして、生まれた人魚が大活躍という、ファンタジーSFも真っ青な、なんともかんともな江戸のマンガ絵本。
黄表紙「箱入娘面屋人魚」は、山東京伝作、寛政三年1791年、蔦屋重三郎版。絵師は記載されていないが北尾重政と思われる。
タイトルの面屋は日本橋人形町にあった店で、もともとお面を売っていた人形屋で、当時、箱入りの人形がよく売れて評判だったらしい。面屋人形を、これまた当時話題の人魚にかけている。
三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する。
上巻
口上

まじめなる口上
まずもって、わたくしの店のこと、おのおの様のごひいき厚く、日増しに繁盛つかまつり、ありがたき幸せに存じたてまつりそうろう。
さて、作者京伝が申しそうろうは、
「ただ今まで、かりそめにつたなき戯作をつかまつり、ご覧にいれそうらえども、かようの無益のことに日月をついやし、筆紙をついやしそうろうこと、さりとはたわけのいたりで、ことに昨春なぞは、世の中に悪しき評議をうけそうろうこと(罰金刑となったこと)、深くこれらを恥じそうらいて、今年より決して戯作は作らないぞ」
と、わたくし方へも固く断りを申しそうらえども、さようなことでは、ごひいき厚きわたくしの店が、急に衰えてしまいますゆえ、ぜひぜひ今年ばかりは、作品を作ってくれるよう頼みそうらえば、京伝も長く友好のあるわたくしゆえに、ことわりがたく存じ、まげて作品を作ってくれました。
すなわち、洒落本および絵草子(黄表紙)の新作ができましたので、ご興味のある皆様は、書名目録をご覧になって、おん求めくださいますよう、ひとえに願いたてまつりそうろう。
以上
寛政三年亥の春日
版元 蔦唐丸
一

鴨長明の「方丈記」に、
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし
とは、昔々の建暦年中(1211~1213)のセリフなれど、寛政(1789~1801)の今になっても。あんまり違いはなく、よくお書きなさった。
ただ違うのは、中洲新地は流れは絶えねども、瀬は淵となり、淵は瀬となり、からくり人形の早変わりよりも早く変わり、定めがたきは浮世のありさまなり。
おお、それよ。あんまり理屈臭く言うんじゃなかった。
さて、右のごとく、昨日まで人間の領分だった中洲も、今日はたちまち龍宮の支配下となりて、まず波を踏み固め、龍王より許可をもらい、見世物、芝居、水茶屋、楊弓場などをしつらえ、それまでの新地のにぎわいにおとらぬ繁盛なり。セイウチの玉乗り、飛び魚の綱渡り、ハマグリが蜃気楼を吹く見世物、タコの八人芸など、さまざまいろいろの趣向を出し、金もうけをしようとひしめく欲心は水の底まで同じことなり。
魚「フグばかり集めて遊郭ができるげな。おらも、ちっと一発しに行くべえ」
魚「蜃気楼というのは、ロウソクの炎を見せるだけの見世物じゃねえのか」
「方丈記」についてはこちらも、
二

かくて、中洲が再び龍宮の世界となり、繁盛するにつけ、いつしか美しい茶屋女ができ、これを下級女郎をいう地獄ではなく至極と名づけ、金魚、銀魚という女郎がいた。
ここにまた、かたじけなくも龍宮の親玉、沙竭羅龍王の二代目、ばかつら龍王の娘乙姫の愛人に浦島太郎という、皆様ご存じの色男あり。
栄耀の贅沢も続けば、かの美しい乙姫も少し鼻につくようになり、このごろは、密かにこの中洲へ忍び来て、例の地獄の中で、美しい利根川屋のお鯉のというぽっちゃりした愛嬌者といい仲になり、互いに、一緒になれないのなら死ぬ死のうという仲となる。
浦島「そう本気らしく言っていても、おまえはもとより魚だから、おれを必ずばかにするなよ」
鯉「主はそのように疑いなはるから、わっちのこの胸を開いて鯉の洗いにして見せとうございやす。鯉に乗ってる琴高仙人さんに願かけて、お菓子を一生絶ったぞえ。たとえこの身は刺身にされて鯉こくのみそ汁にされても変わらぬわたしの心、登りつめた龍門の、うちでせかるる滝の水、できることなら主のところへ飛んで行く」
なんのかのと思いのたけを述べて、龍宮の鯉の恋だけあって、底の知れない深い仲とぞなりにける。
三

さても浦島と鯉との恋、二階のトイレよりも、深井戸よりも深くなり、紺に紺を染めこんだ瑠璃紺の恋路となり、駆け落ちしようかというまでになり、ついに鯉は身ごもって、浦島もいろいろ心を痛めて、密かに子どもを産ませれば、人間と魚との間の子なれば、頭は人間、体は魚となり、これはいわゆる人魚なるべし。
そして、このことが龍王に知られたら、二人の身が大変だと、不憫ながらも人知れず、とあるところへ捨てけるぞ悲しけれ。
浦島「ああ、おれも龍宮に住んでいなければ、おまえを無事に育てあげ、茸屋町か両国の見世物小屋へ出せば、きっと人気となるだろう。惜しいものを捨てるぞ。成人しても、見世物小屋の人間に見つからぬようにしろ」
夜回りの魚たち「早くちょうちんを持ってござれ。赤子の声がします」
四

ここにまた、神田の八丁堀あたりに、釣り船の平次という者あり。常に沖釣りを仕事とし暮らしけるが、あるとき、品川沖にて、髪を乱した女のばけものが船の中に飛び込んで、なにやらむしゃむしゃ食べているので胆をつぶしてしまったが、これはこれ、例の浦島と鯉の間にできた人魚その人なり。この沖にて成長し、はや十七八となり、人間なら色気づくころ。顔は、娘役の瀬川菊之丞路考に山下万菊、岩井半四郎杜若に中山富三郎ぐにゃ富をおしろいでとりまぜたごとくに美しければ、なんぼ体が魚でも、釣り船の平次は、うかれてしまい、まんざらでもないと思う。
人魚「わたしはな、人魚というてたいしたものじゃないさ。どうぞ主のかみさんにしてくんな。抱いて寝てくんな。そんな気はないかえ」
人魚は歌の文句のようにいちゃつく。
平次「そりゃあ抱いても寝るが出ていったりしねえだろうな。この年になって女房ができるとは、主の口先の釣り針に引っかかったようで、まるであべこべだ」
五

世の中の俗物どもは、針ほどのことを棒のように言い、棒ほどのことを柱ほどにも言うのが人情。釣り船の平次が、人魚を連れて帰りしこと、だれ言うともなく、
「釣り船の平次は、品川沖で疫病神に魚を与え、その恩にむくゆるために、『釣船平次宿』と書いた札をはれば、疫病神は入ってこないと教えて別れたそうな」
人々はこぞってうわさし、札を書いてもらおうと、おおぜいが平次の家へやってくれば、平次はおおいにこまる。
平次は、頭をふりふり、
「いやいや、そんなことはありません」
と言えども、みなみな承知せず、
「平次様、くだせえくだせえ、お札をくだせえ」
当時、厄除けの札に「釣舟清次宿」というのが流行っていた。
釣り船の清次が品川沖で出会った男にキスを与えると、「おれは疫病神だ。お礼に、『釣舟清次宿』と書いた札をはれば、その家には疫病神は入らない」という。近所の女房が、この札をはると、たちまち病気が全快したと評判になった。
この話もとりこんで釣り船の平次を創作している。
さてさて、平次が人魚を女房にして、次回につづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
上記の中にもあるが、口上に述べた、京伝が罰金刑をうけた作品はこちら、
