此奴和日本①~ニッポンサイコー和風見直し戯作誕生
「こいつは日本」というのは、当時の流行語で、「サイコー」という意味。大人の絵本である黄表紙は、いろいろな知識があってこそ楽しめる。1
当時の日本人の中国趣味を茶化している「此奴和日本」は、大田南畝(1749~1823)作、北尾政美(1764~1824)画、天明四年1784蔦屋重三郎刊。
上下二巻の現代語訳(かなり意訳)を二回に分けて紹介する。
現代もインバウンドだと外国人にちやほやして日本人の生活を忘れた政策がまかり通っているが、江戸時代にも中国趣味が流行した。これを逆に、中国人が日本趣味だったらどうだろうと、描いている。
上巻
一

中国唐土の川岸に、大きな塩屋あり、名を塩商という。一人の子があり、塩秀才と名付ける。
「日本で塩売りといやあ、ケチなジジイの商売なれど、唐は海が遠いから、魚と塩は貴重なり。ゆえに、塩商は大金持ちなり」
と、さる学者の話なり。よもや草双紙の嘘八百ではあるまいな。
塩秀才「どりゃー、端午の節句のおもちゃの剣で切ってやろう」
お相手は、丁稚の塩童。
塩童「バア、強いぞ強いぞ。日本の金平(坂田金時、金太郎の子とされるお芝居の人物)、中国の関羽、張飛だ」
番頭は、塩文戴。
二

塩秀才、五歳で習い事をしたがり、「王羲之や文徴明のきっちりした書道はおもしろくない」と、塩商の思いつきで、日本国の東海先生のやわらかい日本式文字を習わせる。
せっかくだから、残りも日本式にして、硯は若狭の高島、甲斐の雨畑、墨は近江武佐のもの、筆は京都の小法師、江戸の卓峯、それらを使って、ひらがないろはの草書を書く。印は流行の小宮山彫りなり。
書籍は、輸入品の「日本書紀」「万葉集」「源氏物語」「平家物語」、江戸の絵双紙、評判記、まだ新品を取り寄せる。
塩商「みごと、みごと」
塩文戴「似顔絵は勝川春章、大津絵は土佐派のようです。中国とは違って、日本の絵は格別です」
三

とかく唐人は、夜が明けたら、「詩を作ろう」と言って、漢詩ばかり作っても、詩人は名所にも行かず家の中で詩を作り、何の役にも立たぬもの。教えてくれる先生もいないので「おもくろからず」と、「日本の大和歌を詠んでみよう」と、その頃、日本研究をしている柿本の紀僧正という歌詠みの弟子となる。
毎月、歌の会をする。
四

塩秀才は、何事も器用にできるが、すぐに飽きる性格で、「詩も歌もおもしろくない。ここは長唄を習おう」と、富本豊前太夫の弟子、豊三津童子、豊松童子、豊菊童子という三人の童子を呼び、長唄を聞く。
日本では、浄瑠璃富本節の家元、富本太夫がいるが、中国では「富本」と音読みする先生がいるようだ。
三人の少女の長唄を聞く。
五

「来る断食の日、洞庭湖の池の端、岳陽楼にて生け花の会あり。晴雨にかかわらずご来場ください」と、印刷物をまわし、「中国流ではさえぬ」と、日本で流行っている千葉の介常胤流の生け花で興行する。
舶来の古い容器に、甲斐産の煙草の葉という侘びたものを入れる。湯屋につるしてある大きな行灯に梅を一枝生ける。すり鉢に山椒の花。携帯便器には縄とウラジロを生ける。また、先生は格別で、釣り鐘に桜を生けられる。とんだ感心感心。
昔はタバコ畑に淡い黄緑の葉にピンクの花を咲かすタバコがいっぱい植わっていたけど、そんな風景は今の人は知らないだろう。
六

日本料理の茶屋できる。中国料理は四人前を大きな容器に盛り付けるが、日本料理は吸い物と野菜、どんぶり飯など、気が変わっておもしろいと、浮気な唐人にうける。膾に生姜をつけたものは、何かうまそうだが、唐人の腹にはあわなかった。
塩商「鰹の刺身は醤油で食うのがうまい」
このように、部分部分のできごとを描きながら、下巻につづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」の現代語訳は、こちら、
これらの後半部分に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
