辞闘戦新根①~流行語がなんと妖怪となって暴れる江戸マンガ
恋川春町が「金々先生栄花夢」(1775年刊)を発表してから、黄表紙が世に広がった。それまでは、絵と文が一体となった絵草紙としては、昔話やお芝居の話が多かった。それが、現代の最新情報を表現する黄表紙に、あっという間にとってかわられる。
そういう新旧の争いの中に、最新の流行語を、なんと擬人化して表現したのが本作品である。
黄表紙「辞闘戦新根」は、恋川春町(1744~1789)作画、安永七年1778年、鱗形屋孫兵衛刊。
上下二冊の現代語訳(学術的ではなく、かなりの意訳)を二回に分けて紹介する。
上巻
一

ころはのどけき新春、春の夜に、寄り集まった化け物は、おなじみの大入道の見越入道や一つ目小僧にあらず、お子様、お母様ご存じの草双紙に、その名も高きこの連中、まずは、「大木の切り口太いの根」、ついで「どらやき」、「さつま芋」、「鯛の味噌吸」、「四方の赤」、「一杯飲みかけ山のかんがらす」、「放下師の小刀のみこみ印」、「ならずの森の尾長鳥」、「天井見たか」、「とんだ茶釜」の面々、おのおの新年のお祝いを述べ、おきまりの屠蘇に数の子、ごまめの炒りつけ、酢ごぼうで、たがいに酒をくみかわす。
小刀「おたがいに息災無事で再生紙の紙くさい年を重ね、こんなめでたい未曾有味噌吸なことはございません」
茶釜「小刀の地口(しゃれ)は、いつもおかしゅうて、とんとおへそが茶をわかします」
大木の切り口、思い立った計画を、手下の化け物に話すと、とんだ茶釜が諫言する。
二

大木の切り口曰く、
「そもそも、おれをはじめとして、手下のものどもは、かりそめにも草双紙に出るようになって、人々は、あまねくその名を知り、寝惚先生、大田南畝の詩集にも出て、さらに芝居でも使われ、だれも知らぬ者はなし。だから我々は、草双紙の氏神であり、中興の者なれば、画工はもとより、草双紙の本屋、板木屋、みんな、我々をあがめるべきを、ぬるいお茶一杯も飲ませることなし。だから、この新春は、化けて出て、職人どもに思い知らせん」
と、おおいに怒って申しける。
とんだ茶釜、大木へ諫言するも、忠言は聞き入れられず、大木はおおいに怒り、茶釜に切腹を言いつける。
茶釜「わたくしは、ちかごろ評判が落ちたので言うのではないけれど、大木の切り口なんて、たかが薪割りの台ではないか。それが草双紙に載るとは、このうえもないしあわせではないか。ぜひ、思いとどまり、お心を改められませ。さもなければ、わたくしの忠言を覚えているあいだに、職人から辱めをうけてしまいますぞ」
大木「うぬめ、たたきくだいてすてようと思えども、情けをもって切腹をさせよう」
小刀「さあさあ切腹切腹、おれの頭で切腹をするのは、なんと新しい趣向じゃないか」
四方の赤「飲みかけ山で酒を飲み、のどのかわく前に介錯して、一息にぶった切ってやるべえ」
天井「天井見たか、まいったまいったとは、うぬがことだ。いいざまだ」
尾長鳥「おれのだんなを茶にするとは、いや、ならずの森の尾長鳥で、できねえできねえ」
とんだ茶釜は、まさに切腹しようとするところで、かんがらすがわびをいれ、追放となる。
茶釜「あんまりたたくなたたくな、ヒビがはいる。切腹がなくなったので、このあと一服一銭で飲める茶店でもしよう」
三

とんだ茶釜は、なんとか仲間を集めて、大木の計画をさまたげ、画工、草紙屋、板木屋の難儀を救おうと思えども、その仲間はなし。
ここに、享保(1716~1736)のころまでにできた江戸の草双紙のはじめに、正本というものあり。その中に、鉢かづき、薄雪、烏帽子折、金平兜論、そのほか名高き者たくさんあり。されども、今は、「どらやき」「さつま芋」という流行語を使った本ばかりで、正本はあれども、ないのと同じ、蔵の中にとじこめられており、これを頼るしかなし。よって、茶釜は、一服一銭の思いつき、毎日、蔵の前まで来て、事情を文にして知らせる。
(画面右)
男「一時期、茶釜女という茶店の美人が出たが、こいつは本当の茶釜男だ。銭でもちゃがまされぬ、いやいや、ごまかされぬうちに逃げましょう」
(画面左)
茶釜「正本の仲間でご相談くださり、よい計画をお願いします。委細は文にて」
四

大木の切り口太いの根は、とんだ茶釜を追い出し、今はじゃまする者もいなければ、憎い相手にみせつけようと、まず最初に画工のところに飛び込む。
大木「なんと、こういう場面はどうだ。生け花龍卜流の投げ入れを絵にしたようだ。画工がかきつばたで、根元に筆をおく。どっとほめておくれ」
画工「万歳楽万歳楽、たいへんだ、やれ、目がまわる。ここで落とされたら、柱にぶつかって、ぶっかきつばたじゃ」
さつま芋「わたくしは、琉球軒さつま芋ともうします。少しは生け花もぞんじておりまする。さて、この画かきつばたは、なんともいえん、おえんという踊り子はうそをつかないというやつだ」
五

さて二番目には、鯛の味噌吸に四方の赤の化け物、
「こいつは鯉の滝登りというところだ」
鯛の味噌吸に投げ込まれた上から、四方の赤が滝のように流れ、ほんに難儀な板木屋だ。
鯛の味噌吸「味噌吸ではないが、こう投げたところは、歌舞伎の相撲の場面をやってるようだろう」
板木屋をぼーんと投げたりける。
四方の赤「なんと冷えてよかろうが。鯉の板木のぼりはどうだ」
味噌吸「これは舞台の最後のようだ。やんややんや、やんや」
彫師「へびの夢を見ると金持ちになるというけど、おらは鯛の足を見たから、彫り物がうまくなるかしら」
六

三番目、飲みかけ山のかんがらす、どらやき、鹿島おどりのこじつけ。
かんがらす「いよっ、かんがら先生とほめておくれ。うたい本の味噌吸によみ本の赤一枚、よみかけ山のはんがらす、ちょぼやれちょぼやれ、チョンチョン」
草紙屋「やれやれ悲しや、助けてくださりませ」
流行語の化け物が暴れ、次回につづく、
当時の流行語たちが、出版業界になぐりこみをかけるという、なんともかんともの物語。
当時の出版物は木版画だったので、作者以外に、板木を彫る彫師、それを印刷する摺師がいた。
本屋は、この黄表紙を出版した鱗形屋のマークをつけ、画工は作者、恋川春町の本名、倉橋寿平の「寿(壽)」の篆刻模様の着物になっている。こういうところも、作者、春町のアイデアだったのだろう。
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
