見出し画像

金々先生造花夢②~たった一杯の茶漬けができるまでの長い長い道のりの黄表紙

 たったいっぱいの茶漬けを食べるだけでも、多くの人々の手をている。そんな道徳の教科書のような内容の作品がこれ。とはいうものの、中身は遊びにあふれ、道徳の本だと思って読んでいれば、いかにも京伝が「べらぼうめ」と言い出しそうだ。
 黄表紙きびょうし金々先生きんきんせんせい造花夢ぞうかのゆめ」は、山東京伝さんとうきょうでん作、北尾重政きたおしげまさ画、寛政六年1794年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろうから刊行された三巻三冊。
 その現代語訳(かなりの意訳)を三回に分けて紹介する二回目。

 


中巻

 鍛冶屋かじやの仙人は、金々先生きんきんせんせいに食わす茶漬ちゃづけの漬け物の野菜を切る包丁ほうちょう、あるいは火箸ひばし七輪しちりんあみなどをこしらえる。これも鉄山から鉄を掘り出し、鍛冶屋かじやの仙人の手へ渡るまでの辛苦しんくを思えば、いかばかりなるか、はかり知りがたし。
 鍛冶屋かじや丁稚でっち仙人は、早く仕事を終わって、屋台店をのぞき、真鍮しんちゅうのさつまいもなまりのブドウに赤銅あかがねのミカン、鉄のどら焼きがほしいと、それぞれの望みは仙人も人間も同じことなり。
 かま屋の仙人は、茶漬けの飯をく釜をこしらえる。
 
釜屋の仙人「玉みがかざればじゃなくて、かまみがかざれば光なしだ。せい出してみがこう。アハハ、アハハアハハ」
男「なんのおかしくもねえ。これが本当のおかまの前で笑うのだ」

 


百姓ひゃくしょうの仙人は、茶漬けめしこうものになるダイコンのたねをまく。この種をまく前にも、畑をたがやし、こやしをかけ、ダイコンができるまでの辛苦しんくは、さらにたとえがたし。
百姓「種からダイコンを取らやあ、取らやあ。なむからたんのうと聞こえるかなあ」
 また、茶つみの仙女せんじょは、茶漬けの煮花にばなになる茶をつむ。これも、茶ができるまでの辛苦、いかばかりか知れず。
茶つみ「♪茶つみの女に見とれつつ、思わず茶の木にだきついた、そそうな人さんじゃ、チンツ、チャンチャン」
茶つみ「早くこっちへきせん法師ほうし
我がいおみやこの茶つみ鹿ぞ住む、よううじうじと、らちのあかぬ子だぞ
じれってえぞよお」
 もちろん、喜撰きせん法師の、
我がいおみやこのたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と人はいうなり
のパロディーなり。
茶つみ「おさかさん、見物人が散った大道芸だいどうげい豆蔵まめぞうを見るように、ザルを持ったまままごまごしなさんな」

 


 金々先生きんきんせんせいに食わす茶漬ちゃづけの道具、まずたいていそろいけれども、まだかんじんの米がなければ、百姓ひゃくしょうの仙人、まず田へ種をまく。これ、米をつくる幕開まくあけの序開じょびらきなり。
 仙人の親方おやかた、金々先生を連れて来て、この様子を見せる。
仙人「あれが、おまえに食わせる茶漬けの飯になるのだ」
金々「もはや、わたくしも、おまえ様方の気の長さには、あきれ返って、腹がりどおしで、もう平気でござります。しかし、まだひもじい気のせいか、おまえ様の服が、木の葉せんべいのように見えます」
 仙人の親方には、魚楽ぎょらくもんのようなしるしをつけておかねば、ただの仙人と見間違みまちがえてしまう。
 
 それより、女房にょうぼう仙人、よめ仙人、ばばあ仙人うちまじり、田をえる。
 これまでの辛苦しんく、なかなか筆舌ひつぜつくしがたし。
 俳諧師はいかいしの句に、
早乙女さおとめよるをそろうていびきかな
といえるも、昼のくたびれた様子がうかがえて、まことにその辛苦が思いやられるなり。

 


 百姓ひゃくしょうの仙人、いねえつけて、だんだん育つにしたがい、天にても、かみなり、風の神、十日とおかの雨、五日いつかの風でいねを入れようと骨をおる。
 これ、みな、金々先生に食わす、ただ一膳いちぜんの茶漬け飯のために、天まで大騒ぎ、その辛苦しんく、またいかならんや。
 
 かみなりの女房ほどせわしきものはなし。道具を使って稲妻いなづまを光らせる。これを思えば、人間の女房は、いいものを食べたり、こたつに入りっぱなしでいる、いいご身分なり。
 
右上の風「そろそろ秋の風を吹かせよう。人間には、
目にはそうとは見えねども風の音にぞおどろかれぬる
(元歌は、ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
などと、初鰹はつがつおを買うために質屋にもっていった秋物の着物のことを思い出すであろう」
左上の雨「これでちょうど五十回水をくんだ。どうだの、ちっとは雨がゆきわたったかな」
右の雷「わたしの姿は芝居の役者のようだろう」
左の雷「たいこに続いて風よ吹け吹け」

 


 地面の下は湿気が多い。天でばかり骨をおるかと思えば、地の下でも地神ちじんというものありて、多くの地神を集め、いねに花を咲かせたり、実を実らせたりするための、からくりを操作そうさする糸を引いている。その様子は、人形芝居のえんの下のごとし。
 これまた、金々先生に食わせる茶漬け飯のために、かくも辛苦しんくをしたまうなり。されば、このような天地のおんをあだに思う者は、ばちもあたるというものだ。

 


十一

 天地のめぐみにて、いねが入れば、百姓ひゃくしょうの仙人、これをり取って、もみをうすでいたり、さおで打ったり、なんやかやをして、ようやく米になる。これまでの辛苦しんく、いかばかりならんや、よくよく考え思うべきなり。
 
 金々先生、田舎へ行ったように、この様子を見て、秋の実入みいりをほめる。

 


十二

 田舎いなか育ちの仙女せんじょ、ツゲのクシに銀のカンザシ、ぐっとはずんだいでたちに見える。
手前の女「仕事はせいを出したがいいぞ」
 塩くみの仙女は、例の茶漬けにそえる漬け物をつける塩をくむ。
 この塩くみというものは、踊りや芝居では、しごく楽そうに見えるけれども、実際は、ことのほか骨の折れるもので、塩ができるまではなまやさしいものではなく、その辛苦しんくをあわれむべし。
奥の女「昔は村雨むらさめとか松風まつかぜとかいう名の女が塩くみをしていたと、駄菓子屋だがしやの品物を見るような、聞いたふうな名をつけて、偉そうにしていたと聞いたが、なんといっても、こっちがやるような美しい塩くみがあるもんか。今に在原行平ありわらのゆきひらさんがいたなら、あっちからやって来るでしょう」
などと、塩くみだけにしょうもない塩屋を言う(ほらをふく)。

 


米ができるまでのあれこれをえがきながら次回につづく、

 


いいなと思ったら応援しよう!