江戸の町のあれやこれや~誹風柳多留より
百万都市といわれた江戸の町にはいろいろな人が住み、いろいろな生活をしていた。その一端を川柳で紹介する。
江戸時代の川柳を古川柳という。七七の問題(前句という)があり、それに対する五七五を一般人がつくり投稿する。優秀作には賞金が出るというものだった。
その優秀作を集めた「誹風柳多留」の作品を紹介する。句の前の数字は、「誹風柳多留」の巻数と作品番号。
取り次ぎに出る顔のないすす払い
1-48取次に出る顔の無いすすはらひ めいわくな事めいわくな事
年末の大掃除にすす払いというものがある。電気やガスのない時代は、木を焚いて火をおこす。そうすると、すすがたくさん出るので一年分のすす払いが必要になる。十二月十三日がすす払いの日で、掃除をすると顔中すすだらけになる。そんなときに来客があると、出るに出られず困ってしまうという句。
前句は「めいわくなこと」なので、迷惑なものはなにかと考えて作ったのだろう。
すす払いには、こんな作品もある。
すす掃きの顔を洗えば知った人
1-607すすはきの顔を洗へば知た人 是は是はと是は是はと
すすだらけの顔を洗えば知った顔だったという。まさに前句にある「これはこれは」というところだろう。
まな板をたばこの時にけずらせる
3-13まな板をたばこの時にけづらせる やりばなしなりやりばなしなり
木のまな板は、使えば使うほど真ん中がへこんでくる。たまたま大工さんが来ているので削ってほしいが仕事中。たばこの休憩のときに、それとなく頼めば削ってくれた、という句。
たばこには、こんな句もある。
わがものでたばこは人にしいられる
2-32わがものでたばこは人にしいられる たしか也けりたしか也けり
どこかへたずねると、昔はお茶を出して、「一服してください」と、たばこをすすめられる。お茶はともかく、たばこは自分の持ってきたもの。自分のものを他人にすすめられるとは、こりゃまたどういうこっちゃ、という句。
前句にいうように、たしかにそのとおり。
コロンブスと後に続く人がヨーロッパに伝え、あっという間に世界中に広がったものに、梅毒とたばこがある。江戸の町でも梅毒患者は多く、たばこもだれもが吸う日常品だった。
数十年前の田舎でも、人が来ると、お茶を出し、灰皿を出すのがあたりまえだった。「一服する」「たばこをする」とは「休憩する」の意味に使われていた。
江戸の町では男も女もたばこを吸っていた。ああ、それなのに現在の喫煙場所のなさはどうだろう。法律で認められているのに、たばこを吸うと極悪人のように思われる。
母の手をにぎってこたつしまわれる
1-380母の手をにぎつて巨燵しまわれる とんだ事かなとんだ事かな
昔の暖房といえば火鉢とこたつ。火鉢の炭でたばこの火をつけることもできる。こたつの中では、見えないだけに男女でいちゃいちゃできる。あの娘の手だと思ってにぎったら母親の手だった。怒った母親にこたつをしまわれたら暖房もできない。まさに「とんだこと」だなあ。
嫁の顔めがねの外でじろりと見
2-471嫁の顔目がねの外でじろりと見 こらへたりけりこらへたりけり
前句にいう、こらえているのは嫁。姑の仕打ちにこらえている。
メガネをかけながら針仕事をしている姑が、じろりと嫁を見た、という句。見られるだけで、ぞっとするのだろう。
メガネは、フランシスコ・ザビエルが1549年、日本に伝えたといわれる。ヨーロッパではヒモで耳にひっかけていたメガネだが、日本では、鼻にひっかける形で作られた。意外に古くからメガネが使われ、日本でも作られていた。
今に生きる我々と同じような生活を、百年以上前の人たちもしていた。
江戸の川柳を知ることは、今の我々の生活を考えることにもつながる。
タイトル画像は黄表紙「高慢斉行脚日記」より。その作品はこちら、
「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、
