高慢斉行脚日記①~恋川春町の黄表紙第二作
「高慢斉行脚日記」は、「金々先生栄花夢」(1775刊)に次ぐ、恋川春町(1744~1789)作画の黄表紙第二作で、安永五年1776に、鱗形屋孫兵衛から刊行された。この作品は評判となり、何度も再版されている。この作品の何が江戸の人々の興味をひいたのだろうか。
上中下三巻の現代語訳を三回に分けて紹介する。
上巻
一

鎌倉時代、最明寺殿北条時頼公の御代に、扇が谷に一人の隠士あり。茶の湯、生け花など万の遊芸を極めたので、名を万屋と呼び、庵を高慢斉と号し、自然の中に住み、多くの弟子を持ち、誹諧の先生をして暮らしていたが、諸国を巡って、さらに奥義をきわめようと思い立つ。
しかるに、いろいろな天狗、万屋が慢心すれば、その心のすきにしけこもうとうかがいける。
天狗「きやつは、華々しい生活をきらって、このような高慢、われらの仲間に引き入れましょう」
二

さても扇が谷の高慢斉万屋は、誹諧修行のためにと、庵を高弟の法外というものにあずけ、はじめて旅を信濃路へと思いつき、とある山路を行くに、にわかに日も暮れ、ぜひなく木陰に頭陀袋をおろし、肘を枕にまどろめば、不思議や、にわかに空かきくもり、黒雲重なるので、不思議に思いながめれば、雲の中に異類異形のもの現れければ、あまりの恐ろしさに、日頃信心する観世音に念じ、延命十句観音経をよみ、この難を逃れける。
このお経の功徳、人々の知るところなり。いたってありがたきお経なので、人々、おろそかに思うべからず。
万屋「あれ、恐ろしきありさまかな。助けたまえ助けたまえ」
雲の中に現れたその姿、鼻高くして羽根があり、そのほかのありさまは、浮世絵に描かれるごとし。
異形の者、天狗「いかにみなさん、少しでも慢心のあるものを、わが道に入れよう。鎌倉の万屋を、われらの粋な魔道に引き入れようと思えども、信心の心あるゆえにかなわず、よって、かわりに弟子の法外の体に入って、我々の仲間にしよう。おのおのも、それ以外の弟子の体にしけこみたまえ」
それぞれの相談が終わって、酒をぐいっと飲み干すと、熱燗の煙とともに消え失せける。
延命十句観音経というのは、漢字四十二文字の、もっとも短いお経といわれ、江戸時代に広がった。
観世音 南無仏
与仏有因 与仏有縁
仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心
三

高慢斉万屋の高弟法外は、万屋の留守中、おおぜいの門人を集め、月例の俳句の会を催しける。しかれども、もはやかの金々天狗が乗り移っているのだろう、俳句の作法もいいかげんとなり、例会に来なくても、請求して句を集め、弟子に添削させ、へたな句でも手数料を多くもらえば高得点にし、そのうえ、会の後には、どこやらわからぬ吉原やら品川やらの遊郭へ誘いける。これ、まったく天魔のしわざと知られける。
法外「なんとみなさま、とかく俳句は流行が一番でござります。それにともない、田舎くさい身なりでは、俳句もさえません。とんと私にまかせて、おのおの姿を改めたまえ」
弟子は、
鎌倉北条殿家臣山川白左衛門、同じく医者変手古庵、扇谷御影堂折右衛門の手代要介、鎌倉の侍相生松之介、御影堂の番頭暑左衛門、手代扇右衛門。
松之介「われら、ごらんのとおりの田舎くさい鎌倉武士、どうぞ金々とやらいう姿にさせてください」
扇右衛門「さてさて、この句はむずかしい」
四

法外のすすめに納得しないものもいたが、折節、一陣の風が吹き、黒雲が画面右上にあると見えると、それよりみんな納得し、おのおの法外の言うとおりに髪型を変え、金々いきいきとした姿となりにける。
法外は、自分の思うように人々をまるめこみ、弟子の言門に言いつけて、当世風に仕立て上げる。
言門「どうも皆様、すばらしい。さてさてなんともいい感じです。ここまでうまく飾れるのは、すべて俳句の力でござる。これから私が、だんだんに仕込んでまいりましょう。おおおお、暑左衛門様の本多髷は、まるで役者のようでございます」
暑左衛門「なんと先生、田舎に住む身は風流とは縁がございませんでしたが、先生のおかげで、こういう当世風にできました」
法外「なるほど、暑左衛門子のお言葉のとおり、私が鎌倉に来なければ、皆様は一生涯おしゃれに縁のない生活でしたでしょう」
五

ここにまた、そのころ、小袋坂に村田自休という者あり。茶の湯は、みずから千利休に劣らない腕だとうぬぼれ、髪も剃っていないのにお茶の師匠、「和尚」と呼ばれ、地味なかっこうをしているけれども、門人を見つけては謝礼金をたんまりとる。これにも、はや、かの天魔がすでにとりついているらしい。
法外「とんと、これからは、茶の湯と生け花は、自休先生を頼りになされませ」
自休「さりとはお若いが、感心なことでござります。とかく茶というものは、わびさびが主でござります」
扇右衛門「松さん(相生松之介)、ごらんなさい。私はもう、このとおりの腕前、ちょっとした稽古なら私にお聞きなさい」
六

人々がもてはやすままに、村田自休、法外、心をあわせ、山吹色の小判をせしめようと、自休は、古い茶わんを継ぎ合わせては舶来品だとあざむき、お茶をすくう茶杓を削って古そうにして有名な作品だという。法外は、中国の文徴明流の書道を習っていたので、中国風の文字を書いては、紙を古く見せかけて、舶来の歴史ある品だといつわり、人々に高く売りつける。
自休「これ法外、見たまえ、われらの細工のうまいことを。われらの細工には鑑定書までつけてある」
法外「手前味噌ではありますが、こう書いた書体は小野道風よりうまい。これは中国の祝允明の文字だといつわりましょう」
七

村田自休、新弟子を集めては、法外と心をあわせ、小道具類を高く売りつける。
自休「この茶わんは、なるほどなるほど、たしかに中国の古いものにまちがいなし。あなた、お買い得ですぞ。私が口をきけば小判一枚くらいで手に入ります。お買い得お買い得」
法外「村田先生のおっしゃるとおり、これはよいものだ。要介さん、お買いなさい」
要介「これはありがた山。それくらいの値段なら、店の主人の目をぬすんですぐに用意できますよ」
変手古庵「ときに、このお花は、どこがいいのかわかりませぬが、感心な作品。近々生け花の会を催したいものです」
暑左衛門「さてもみごとみごと。先生が言われるからにはまちがいないでしょう」
江戸時代に流行していた誹諧、茶の湯、さらには生け花の教室の実態をあばきながら、上巻はここまで。
中巻につづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
