高慢斉行脚日記②~誹諧、茶の湯、生け花などにのめりこむ江戸の人々
江戸の町では、誹諧、茶の湯、生け花を習うことがブームになっていた。その実態をを茶化した黄表紙「高慢斉行脚日記」恋川春町作画は、安永五年1776に、鱗形屋孫兵衛から刊行された。
上中下三巻の現代語訳を三回に分けて紹介する二回目。
中巻
八

村田自休、鶴ヶ丘の茶屋蔦屋にて生け花の会を催し、門人を集める。これも実は、法外のねらいは、その日の席料をちょろまかして金や金銀をむさぼろうとの企みなり。
法外「これは白左様、お早い。今日は天気もよく、見物には美人もだいぶ来るでしょう。とかく美人と並ばねば花も冴えませぬ」
白左衛門「法外殿もお早い。今日は評判になる気で、早咲きの水仙を生けました。季節はずれの花は、大変な出費となりました」
法外「武士の二本差しから町人の一本差しへの変身、見事なドラ息子に見えますぞ」
小僧「今日も一日やることがない。おれは花より団子が食いたいものだ」
九

さても六人の者どもは、かりそめにも高慢斉の門人となり、誹諧を学びけるが、法外のすすめで、姿を変え、いろいろな遊芸にもとりかかり、そのおもしろさにとりつかれ、茶を習えば「わび」にやみつきならぬわびつきとなり、なかなか手に入らない高価な道具がほしくなり、花を習えば、花は二の次で、銀の花瓶や骨董品の高価な花器に生け、季節外れの早咲きを高い値段で求め、下に敷く毛氈も一般的なものではなく、外国産の高級品へと、だんだん高慢が増長し、すでにとめどなくなっていた。
見物の男「なるほど、お寺で聞いたが、生け花がすばらしいと、花自体は二の次になり、花そのものを誰もほめなくなるそうな」
見物の女「もう見物はこのくらいにして、この後、鎌倉山のあたりで女浄瑠璃でも聞いて帰りましょう」
扇右衛門「なんと松さん、なんともいい女じゃないか。われら、おおいに気がありま山」
十

おのおの、花も少し秋の風吹き飽きてきたのか、次は蹴鞠をしようと思いつき、これは宮中の貴族の遊びながら、慣れるにしたがいおもしろく、まだ下手くそなうちから、好みの服に金銀を使い、これも主人の金の使い込みとなりにける。
自休「ヨウヨウ、なるほどなるほど、茶の湯ではおれも大和尚だが、これはたしかにおもしろい」
要介「あれあれ」
十一

おのおの、いろいろな遊芸も高慢をつくし、今は三味線を使って、義太夫節、豊後節、河東節に昼夜の別なくのめりこみ、今夜は徹夜の日待で、晩は月待で、これまた徹夜で飲み食いをし、類は友を呼ぶのならいで、扇谷の芸者おせん、中啓谷の男芸者広市らとのつきあい広くなりて、今は自分らも三味線片手に芸者のようになり、それぞれの仕事は、おのずとおろそかにこそなりにける。
扇右衛門は長唄をうなる。
言門「お蝶坊、この次は、おれ様がきっちり河東節で、プロ並みに聞かせやしょう」
古庵「おいらは義太夫の道行を語ったので、ごらんのとおりの大汗だ」
十二

鎌倉時代には大磯に廓ありて、それは繁盛していた。れいの連中は法外のすすめで行ってみると、そのおもしろさはいうばかりなので、ホスト狂いならぬ女郎屋狂いで、雨の降る夜も、風の夜も、一寸先は闇雲と、おのおの足を運びけり。
十三

こうして山川白左衛門、相生松之介、変手古庵は、いろいろな遊芸や廓通いに金銀を使い、今は武具や馬具も金のために売り払い、どうしようもなくなって、三人そろって日向勾当の弟子、景都、清都のところで三百両を借り受ける。
白左衛門「しからば三百両、借り受けもうします。返済は月末にはいたします。かたじけない。しあわせしあわせ」
景都「なんと清都よ、証文の文言はあれでよかったかなあ」
清都「大丈夫大丈夫、もし違っていれば玄関まで押しかけて文句を言えばいいさ」
下巻につづく、
当時は盲人が金貸しをしていた。盲人の金貸し鳥山検校は、吉原の高級遊女瀬川を身請けするほど金を持っていた。金貸しは、返済が遅れると、借り手の家に大人数で押しかけ、玄関で、大声で返済を求めるいやがらせをすることもあったようだ。
出版社の鱗形屋孫兵衛は、こんな絵もある。

この絵のある黄表紙作品は、
この二回目最終ページに鱗形屋孫兵衛が出てくる。
