書かずにはいられなかった。(4)
という、著者北村匡平氏がwebちくまから始まった「藤井風論 ー救済の音楽」。
今年の5月まで16回予定の中、2 月上旬に8回目と、先日9回目がアップされました。
まずは、第8回目「奏でること」。
なぜ藤井風の歌声は、ここまでリスナーの情動を揺さぶり、体の内側へと生々しく響いてくるのだろうか。
あるリスナーは、この声の「温もり」を前にして、自分がどれほど傷ついていたのか、心がどれほど冷え切ってしまっていたかに気付かされる。
そうなんです・・・
風さんの歌声はもちろん、吐息などの心地よい「音」に
「温もり」が溢れている。
彼の歌唱には、人としての生々しさを伝える独特な歌い方や、作品を超えて反復される、音符には還元できない豊かな音が潜んでいる。そしてそれは、彼が奏でるピアノの演奏と掛け合わされることで、これ以上ないほどの情感が、音から溢れ出てくるのだ。
時に繊細で優しく、時に意志的で強く、そして時に打楽器のように音を切ったり弾ませたりする──多彩な歌唱で彼は独自のグルーヴを追求してきた。歌それ自体もまた楽器のように、ブラック・ミュージックの横ノリのグルーヴを生み出す。
ビブラートではなく、微細なピッチのうねりを歌唱に加える「ピッチベンド」というテクニック。
なるほど。
ここで紹介された、それぞれの曲はもちろん・・・
特に「Prema」をその観点で聴いてみると、確かにその「豊かさ」が実感できます。
それこそ・・・・
楽譜にすれば視覚上では一つの音符にすぎない箇所にも、聴覚的には「一つ」を超える音が幾重にも折り畳まれている。リスナーは、藤井風の放つ歌から豊潤な音を浴び続けているのだ。
そういうこと、なんですよねぇ~♪
フェイクには、言葉の意味が突如として消失する作用がある。彼自身もインタビューで「音楽的にここには言葉は乗らないなっていう時に♪ah~に頼ることも多いです」と語り、「特にない」のフェイクは、「渇き」と「願い」と「祈り」が混ざったような感情で歌っているという。言葉にしてしまうと、どうしても「意味」に縛られ、複雑な感情は縮減されてしまう。だからこそ複雑さを縮めず、音だけでそのまま手渡すのだ。
ただ音に感情を込めるこれらの歌唱法は、言語や国境を越えて、スピリチュアルな感情を万人へ届けうる技法にほかならないからだ。
本当に、言語や国境を超えてる!!!
最近の、海外での藤井風~旋風~を、そのまま現してますよね・・・・
投手と打者の両方で一流の大谷翔平は、「二刀流」で観客を沸かせる。それになぞらえるなら、藤井風は歌とピアノで世界に羽ばたく一流の表現者だ。
そこ、そこ、そこなんです!
今回の2026年WBCでの、大谷翔平さんと藤井風さんの「二刀流」の「夢の共演」は、日本にとっても、世界にとっても歴史的なことですよね!!!
彼の場合、吐息、呼吸、掛け声──すべてが必要な音として奏でられる。藤井風の身体から発せられるあらゆる音に言霊が宿り、温もりが息づく。こうした音楽の力はさらに、彼が歌うときの表情、仕草、眼差し、身体──すべてに表れている。
まさしく・・・
「言霊」が宿っている。
吐息を含む、あらゆる音、すべてが・・・・温かい。
それも風さんの表情や仕草など、身体すべてに・・・
次に、第9回目「攪乱すること」。
声が会場全体に心地よく響き渡り、鼓膜を突き抜けて身体の内側にまで染み込んでくる。全身が金縛りにあったようなあの感覚は、決してライブ映像や音源からは味わえない。実際にその場で、声が鼓膜を震わせ、胸郭や皮膚にまで振動として届く──「生の音」でしか受け取れない響きがあるからだ。
ライブとは音源の再現ではない──藤井風のライブでは、特にそれがはっきりと実感できる。聴取された音は耳から身体、社会(共同体)へと拡張し、瞬間的な集合的経験が生成される。アジアツアー冒頭のアカペラ「優しさ」は、情報量を極限まで絞ることで場の集合的注意を一気に高めた。騒々しかった会場が、一斉に聴くモードに入ることによって生まれた「同期の感覚」が、確かにあった。スタジオ録音の音源とライブの差が小さいアーティストもいるが、藤井風の歌は、ライブでこそ最大の効果を発揮するといっていい。
なんと・・・
まだ、ライブを経験していない者としては
この文章に触れているだけで、その感覚が身体で感じてしまい
ゾクゾク・ブルブルと震えてしまうのは
何なんでしょうか~~~???!!!
耳元で囁くような息づかいが、音の密度をぐっとあげる。(略)
巨大な会場におけるアーティストとの物理的距離の「遠さ」を前提にしながら、親密な「近さ」を作り出す──このような音の演出が、藤井風のライブの特徴だといえるだろう。
たたずまいはどこまでも自然体なのに、演奏が始まると、曲に憑依したかのように完成度の高いパフォーマンスで圧倒する。ソフトからハードへの急激な転移──この「卑近性」と「超越性」の振れ幅こそが、藤井風のもつ独自のペルソナにほかならない。だから生の風を観に行く者は、その振れ幅に巻き込まれ、心を揺さぶられ、適切な距離感を失い続ける。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・
どうしましょう!!!!
その「生風」を浴びる機会が・・・
今年の11月「Prema World Tour」 福岡ドームに当選して、遂に~~!!!
デビューして世界に飛び立っても、彼にはずっと「近さ」が担保されているように思う。ステージにおいて、そのことを端的に表す重要なモチーフが「部屋」である。
世界的なスターになっても、贅沢やセレブのイメージとは無縁のまま、質素な部屋からInstagramやTikTokでメッセージを届ける。変わらない安心感があり、そこに「遠さ」はほとんど感じられない。(略)
演奏によってスターとしての「遠さ」を抱かせながら、舞台上では自室でくつろぐような自然体の「近さ」が持続する──その構造がここにも見出される。距離感を狂わせた上で、予定調和を壊してくる──だから風のライブは、単なる原曲の再現ではなく心に刻まれる‟出来事”となる。
すべてが、心に刻まれる「出来事」!!!
ごく普通の日常が、色彩溢れる「出来事」の連続になる・・・
それは、その後に語られている「驚かせること」や「小さな部屋の幸福」でも同じで・・・
心も身体も、いちいち「納得」してしまいます。
著者の文章を読んでいると、呼吸が乱れ、クラクラしてくるという・・・
また次回を楽しみにしながら〜〜💕
いつもありがとうございます。
いいなと思ったら応援しよう!
拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。
できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡