【S2|生命とデザイン】進化を疑え──デザインから見たダーウィニズムの限界 #3
第3回 便利さの裏で誰が置き去りにされるのか
進化の名のもとに、見えない不便が増えてはいないか。
1.進化という言葉の盲信
「進化したデザイン」という言葉は、よく広告や商品説明で使われる。
だが、その裏に「誰にとって進化なのか?」という問いが欠けていることが多い。
ここでは交通系サービスを例に考えてみたい。
2.交通系サービスにみる“進化”の錯覚
鉄道の改札口は、SuicaやPASMOなどICカードが普及して「便利になった」と語られる。
確かに日常的に通勤する人にとっては、財布を出さずに“ピッ”と通れるのはありがたい。
しかし一方で、ICカードを持たない人、チャージが苦手な高齢者、旅行者、障がいを持つ人にとってはどうだろう。
券売機はUIが複雑化し、紙の切符を買おうとすると多すぎる選択肢に迷わされる。窓口は縮小され、有人対応は減っている。
つまり「進化」と言われるサービスは、ICカードを使わない/使えない人を排除する仕組みでもあるのだ。
3.“進化”の本当の意味を疑う
ここで浮かび上がるのは、ダーウィニズム的な「淘汰と適応」の発想だ。
「多くの人がICカードを使う → それに適応できない人は切り捨てられても仕方がない」
そんな空気が、便利さの名のもとに正当化されてしまっている。
だが、デザインが本来向かうべきは「誰かを置き去りにする便利」ではなく、多様な状況や背景を包み込む選択肢ではないだろうか。
4.“進化”がもたらす逆説
皮肉なことに、ICカード全盛の時代だからこそ、切符の存在価値が高まっている。
観光客にとっては紙のきっぷのほうが直感的で、子どもにとっては“きっぷを買って改札を通る体験”自体が思い出になる。
もし「進化」と呼ばれるものが、選択肢を奪い、多様な体験を失わせてしまうなら、それは本当に進化と言えるのだろうか。
5.まとめ
「進化」という言葉の背後にあるのは、ダーウィニズム的な“多数派に適応できないものは淘汰される”という思想だ。
だが、デザインにおいてはその思想を鵜呑みにすべきではない。
デザインの役割は淘汰ではなく、包摂だ。
進化の看板の下に排除されている人々の存在に気づくとき、私たちは「進化を疑う」という視点を取り戻せる。
次回予告
第4回では、「自然界の多様性」と「人間社会の均質化」を対比しながら、デザインが“進化”の物語にどう巻き込まれてきたかを探っていく。
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