【S3|身体性の哲学】かたちが語るもの──カーデザインから読むデザインの思想 #1
新シリーズのはじまりに
今日から新しく「かたちが語るもの──カーデザインから読むデザインの思想」という連載を始めます。
これまで自然や生命を題材に「かたちの意味」を探ってきましたが、今回のテーマは人工物の代表ともいえる「クルマ」です。
単なる移動手段にとどまらず、自動車は時代の価値観や文化の象徴をまとってきました。その変遷を追うことで、「デザインとは何か」をもう一度考えてみたいと思います。
第1回 クラウンの変遷──陽明門から海洋哺乳類へ
日本人の欲望を映す鏡としてのクラウン、そのデザインの転換点。
1.「いつかはクラウン」という記憶
日本人なら誰でも知っている自動車「トヨタクラウン」は1955年に発売が開始された。
自動車がまだ贅沢品だった時代に登場したクラウンは、日本のモータリゼーションの幕開けを象徴する存在だった。
「いつかはクラウン」。
このキャッチコピーが示すように、クラウンは常に憧れのクルマであり、人生の成功を象徴するアイテムだった。
2.徳川の権力美学とクラウン
歴代のクラウンを眺めると、私はいつも日光東照宮の陽明門を想起する。
これはあくまで私自身の解釈であり、世の中で語られている一般論ではない。だが、長年デザインに携わってきた目で見れば、両者には共通する「権威をかたちにする美学」が確かに流れているように思う。
陽明門は徳川家康を神として祀る東照宮の正門。
極彩色の彫刻や装飾は「永遠の平和」や「権威の正統性」を誇示するために施され、徳川の絶対的な権力を可視化する装置だった。
そこに込められていたのは「権力を美として示す」という、まさに徳川の美学である。
クラウンも同じだ。
そのフロントマスクやシルエットには、単なる機能を超えた“見せるための力”が宿っていた。
自動車としての性能はもちろんだが、日本人にとってクラウンとは「地位や威厳を形にする存在」だったのである。
言い換えれば、クラウンは徳川の陽明門と同じように、日本人の欲望を象徴する「権力のデザイン美学」を体現していたのだ。
3.デザインの転換点
ところが、2022年のフルモデルチェンジでクラウンは大きく様相を変えた。
陽明門的な「権威の美学」から脱却し、まるで海洋生物のようなフォルムをまとうようになった。
流線的でしなやか。
力強さの代わりに「生命感」や「知性」を漂わせるデザインは、もはや過去のクラウンとは別物だった。
4.なぜ海洋生物なのか?
私には、現行のクラウンにイルカやシャチといった海洋哺乳類のしなやかさと知性が重なって見える。
従来のクラウンが陽明門に象徴される「権力の美学」をまとっていたのに対し、現行クラウンは「生命の美学」へと舵を切ったのではないだろうか。
内燃機関を使わない自動車という新しい移動体には、旧来の象徴性ではなく、新しいメタファーが必要だった。
クラウンの変化は、単にデザインの刷新ではなく「クルマはもはや権威の象徴ではない」という宣言に等しい。
5.世界の潮流とクラウンの挑戦
これはクラウンだけの話ではない。
テスラ、ジャガー、マセラティ──エンブレムこそ違えど、どれも同じ方向性を持ったデザインに近づいている。
世界の高級車はいま、陽明門的な「権力美学」から脱し、「生命美学」へとシフトしているように思える。
「価値を創造するデザイン」という行為が、新たな価値観を生み出すターニングポイントに差しかかっている。
クラウンの変化は、その象徴的なサインなのかもしれない。
次回予告
第2回では、日本の名車「N360」を通して、デザインが単なる形ではなく“意思の痕跡”であることを探る。 第2回を読む ▶
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