ユーザーという違和感──人を“誰か”ではなくした瞬間に起きること
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違和感のデザイン 02
デザインの世界では、「ユーザー」という言葉がよく使われる。
ユーザー視点。
ユーザー中心設計。
ユーザー体験。
とても大事な考え方だ。
しかしこの言葉にも、
私はときどき小さな違和感を覚える。
ユーザーとは、いったい誰のことなのだろう。
デザインの議論では、ユーザーはよく
「ターゲット」
として整理される。
年齢。
性別。
職業。
行動パターン。
データを集め、人物像をつくる。
それはときに「ペルソナ」と呼ばれる。
そしてその人物像を「ユーザー」と呼ぶ。
もちろん、それは必要な作業だ。
だが同時に、
何かが抜け落ちている気もする。
人は、そんなにきれいに整理できる
存在なのだろうか。
ある場面では、ユーザーでも、
別の場面では、ただの人だ。
そして多くの場合、人は「ユーザー」として
生きているわけではない。
生活している。
迷い、
選び、
関係をつくりながら生きている。
しかしデザインの議論では、
その複雑さが削ぎ落とされていく。
理解しやすい形に整理されていく。
ユーザーという言葉は、
人を理解するための言葉であると同時に、
人を整理するための言葉でもある。
その瞬間、
「人」は「ユーザー」になる。
便利な言葉だ。
だが同時に、
世界の見え方を決めてしまう言葉でもある。
もし世界を「ユーザー」として見るなら、
人はユーザーとしてしか見えなくなる。
しかし
デザインの出発点は、必ずしもユーザーではない。
それは
もっと単純なものだ。
目の前の人。
その人が
どう感じ、
どう振る舞い、
どんな関係の中にいるのか。
そこを、よく観察すること。
デザインは、
ユーザーのためにあるのではない。
人と社会の関係を
少し整えるためにある。
だから私は、
ユーザーを考える前に人を見る。
違和感は、
そこから生まれる。
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ここまで読んで、
もし誰かをうまく捉えきれない感覚があるなら、
それは「ユーザー」と呼ぶ前の関係かもしれません。
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