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デザイン思考という違和感──考えすぎるほど、なぜ見えなくなるのか

ユーザーという違和感──人を“誰か”ではなくした瞬間に起きること

違和感のデザイン 03



「デザイン思考」という言葉を聞くと、
私は少し違和感を覚える。

その言葉が出てきた瞬間、話の重心が少し変わるからだ。

もちろん、デザイン思考そのものを否定するつもりはない。
観察し、問いを立て、試し、確かめながら進めていく。
その姿勢は、デザインの実践とかなり近い。

D4G Worksの仕事を振り返ってみても、
結果としてはかなりデザイン思考的だと思う。

ただ、それでも
私はこの言葉をあまり使わない。

理由は単純だ。

デザイン思考という言葉が出てきた途端、
デザインの話が、
デザイン思考の話に変わってしまうからだ。

本来デザインは、結果で問われる。

人に届くのか。
関係を変えるのか。
社会を少し良くするのか。

そこが問われるはずなのに、プロセスの名前が前に出た途端、
評価の軸が変わる。

何を生んだのかではなく、どう進めたのか。

そこに話が移る。

その空気に、
私はずっと違和感を覚えている。

プロセスは大事だ。
だがプロセスは、デザインを保証しない。

料理のレシピが立派でも、
皿の上のものがおいしいとは限らない。

それと同じだ。

デザイン思考もまた、数ある枠組みの一つにすぎない。

うまく使えば役に立つ。
だがそれだけで良いデザインが生まれるわけではない。

むしろ本当に重要なのは、その前にある違和感だと思う。

「なんか、おかしい」

その感覚がなければ、
どんなに整ったプロセスも、ただの作業になる。

逆に、その違和感が強くあれば、使う手段はあとから選べる。

だから私は、
デザイン思考をあまり掲げない。

それを掲げた瞬間、
デザインは思想ではなく、営業トークに近づく気がするからだ。

プロセスを語ることはできる。
再現性を説明することもできる。

だが、それが
デザインの本体ではない。

デザインの本体は、
まだ言葉になっていない違和感の中にある。

方法より先に、
デザインはある。

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ここまで読んで、
もし思考では捉えきれない何かが残っているなら、
それは考える前に動いているものかもしれません。


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デザインを通じて社会や生命の営みをより良くする実践を進めています。
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※こうした、考えるだけでは捉えきれないものや、まだ言葉になっていない感覚を、実際の仕事や思考の中で整理していくこともできます。
必要であれば、ご一緒することもできます。

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